魔女さんと狼さん

月見里さん

第1話「狼さんと魔女さん」


 狼さんは、狼さんでした。

 

「うぅ……さみぃよ」

 

 悴む手であたたかさを生み出そうと試行錯誤します。しかし、どうにも外気の方が強いのと持ってきた籠に入った重い存在が邪魔らしく、狼さんの行動は空気に消えてしまうのです。儚い現代において、尊き行動ではありましょう。

 

「今年の冬は寒いと聞いてたけど、ここまでかよ……」

 

 呼吸の一つ一つで、肺が震え上がる狼さん。踏みしめる雪の絨毯は、彼をその場に留めてしまおうとしているのです。このまま、親切に埋めてやろうと、そんな気さえするような森林の中。

 狼さんは枯れ木の間をずんずんと突き進みます。

 

「魔女さん。生きってかな……凍えてないよな」

 

 何度だって通った道は、狼さんにとって数多の目印がついた地図です。例え、常人が見ると迷いそうな道であっても、狼さんは見えてしまうのです。彼が刻んだ足跡も、匂いの痕跡も。その優れた嗅覚を持ってすれば、ちょちょいのちょいです。


「頼むから、凍え死んでないでくれよ。そうなると、俺が


 狼さんがボツボツと、枝先についた白い葉っぱのように呟くと目的地が見えてきました。

 ぽつん、と。木々の間にまん丸な家。質素かつ簡素な土塊で形作られたそれは、まるで秘密基地のようでした。

 しかし、不思議なのは見た目だけではありません。

 狼さんが真上から見れば、家の周りだけ円形にくり抜かれたような木々の避け方をしているだろう境界線。その範囲を跨いだ瞬間のことです。


「…………なんだよ」


 狼さんの眼前には、先程まで寒さで震え上がった木々はどこへやら。青々しく、豊かな葉っぱをなびかせた森林。そして、足元には様々な色の花々が優雅に揺れているのです。

 一変。景色が様変わりしたとはこのことです。今まで冬景色だったのが、いきなり春の陽気に包まれたのですから。

 そんな光景にあんぐりと筒のような長い口を開いている狼さんへ、声が掛かります。


「あら、誰かと思ったらブラブではありませんか。まだお昼の時間ではないはずですけど」


 それもブラブ――と、呼ばれた狼さんの頭上からです。だから、狼さんも真っ赤な瞳を上へ向けます。

 すれば、お上品なローブに身を包んだ金髪の女性が、宙に浮いているではありませんか。それも、狼さんの上――トゲトゲした木と背比べをして勝ち誇ったような位置で、です。


「魔女さん。これはどういうことですか。さっきまで貧しい土地だったはずなんですが」


「あら、ブラブ。知らないのかしら。私が魔女だということは、これも魔法だということですよ。あなたの素敵なお鼻で嗅いでみたら本物だと分かるのでは?」


「それはもちろん。穏やかな、寒空には似合わない温かな香りですけど……」


 ようやく狼さんと同じ地面まで降りてきた魔女さん。ふわっと、花々の健気な香りではない様々な薬が混合された、狼さんにとって苦手な匂いが漂います。

 だからでしょう。狼さんは鼻を抑え、怪訝な顔をするのです。


「あの、魔女さん。もしかして、薬でも作ってましたか?」


「えぇ、もちろん。ですが、一応香水もしたんですけど、あなたの優れた嗅覚では一瞬でバレてしまうようですね」


 ――改良の余地ありですね。と、右腕を持ち上げ魔女さんは鼻をすんすんと鳴らします。ですが、彼女の嗅覚をもってしても、香水と花畑の甘い香りしかしません。

 しかし、狼さんにとって匂いは確かに嫌なものではありますが、それよりも気になることの方があるのです。


「…………魔女さん。もしかしてお風呂には入りましたか?」


「いえ? 薬を作っていたら朝になっていたのですよ。びっくりですよね。時間魔法でも覚えたのかと思いましたけど、そんな禁忌の魔法は覚えていないので徹夜していたのですよね」


 その話を最後まで聞くこともなく、狼さんは大きな大きな、綺麗に並んだ犬歯達を見せつけながら溜息を吐き出します。

 狼さんよりも背の低い魔女さんが、そのことを確認すると悪戯な笑みも浮かべます。ついでに、自分が集めてきただろう年季の入った木籠を浮かべながら。小悪魔的、魅惑の顔で狼さんを覗き込みます。


「ごめんなさい。ブラブ。徹夜はもうしないわ。あなたを心配させてしまっては、本末転倒ですものね。お風呂にも毎日入ります。あ、そうだ。これから入るつもりなのですけど、良かったら背中を流してくれませんか?」


「じゃあ、昼飯は作らなくてもいいですか?」


 意地悪な子どもには、悪戯で。悪戯っ子には、意地悪で。そういった関係なのでしょう。狼さんは、わざとらしく様々な野菜、果物、切り肉とパンが入った籠を見せつけます。

 なんてことはありません。色気に屈するようであれば、彼女の纏う雰囲気で既に魅了されているはずですから。狼さんの意思はとても固く、そして、魔女さんが色気よりも食い気にあることは誰よりも狼さんが知っているのです。

 だから、魔女さんは籠を視界へ映すと爛々と赤い瞳を燃え上がらせます。


「おや、おやおや。お昼ご飯がないのは困りますね。うむ、仕方ありませんが今度の機会へ持ち越しましょうか。さ、ささ。早くお家へ行きましょう」


 すっきぱらに響く腹の音。それが魔女さんの扉の開閉音ではないこと。それに気づいた狼さんは少しだけ、にんまりとするのでした。

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