第11話「ロールキャベツです。」


「魔女さん。とりあえず、分からないなりに聖域がどういうものか分かったとして、だ。なんでいきなりそんな話を……」


 落ちたキャベツが、狼さんの足に大打撃を与えたのでして。その痛む皮膚を優しく労る狼さんは、涙の滲む瞳で魔女さんへ問い掛けます。

 魔女さんは、お腹を抑えて笑いの渦に飲まれていますが。


「ひ、ひひ……ひー、ひー」


「過呼吸になるほど、面白かったのかよ……」


「だ、だって……ひひ。わおーん、て。狼みたいで」


 そう言うとまた思い出したのでしょう。間抜けな遠吠えを。狼さんが痛みに負けて、思わず唸ったものは家中に響き渡ったのと同時に、魔女さんのお腹まで響かせてしまったのです。

 可哀想な狼さん。吐き出した恥ずかしさは、朱に染まっていますが魔女さんも、そんな狼さんを無下にしたいわけではありません。


「ご、ごめんなさい……。あまりに珍しくて、それで、えーと、なんでしたっけ」


「なんで聖域の話をしたのか、って」


「あぁ、簡単です」


 落ち着いた仮面をつけた魔女さんは、お腹を優しくさすります。なかなか外に出ず、滅多に運動もしない体の筋肉はすこぶる元気に揺れていることでしょう。


「ブラブ。あなたが聖域に入ってはいけない理由は、誰かから聞いた事があるでしょうか?」


「えぇ、村長が」


「であれば、なぜブラブはここにいても大丈夫なんででしょうか」


「そりゃ、魔女さんがなんとかしてくれてるんじゃ」


「そんな面倒なことはしたことありませんよ」


 その言葉に、狼さんのまん丸お目目がもっと転がります。同時に机の上に置いたキャベツが転がるので、同じ轍は踏まないと意気込んでその動きを止めさせます。


「……ブラブが聞いた話に間違いがなければですが。この聖域に人が入っていけない理由は、『身体に不必要なほどの魔力が蓄積してしまい、酔ってしまう。もしくは気分が悪くなる』からです」


 狼さんは村長さんから教えてもらった――口を酸っぱくしてまで言ってもらった言葉だと、頷きます。

 そこはかとなく、首を傾けます。


「ですが、ブラブは一度だって魔力に酔ったことも、気分が悪くなったことも、死んだことだってないはずです」


「……え!? 死ぬのか!?」


「言葉のあやです。死にはしません。死にたくなるほどの苦痛が続くだけです」


 いや、それはそれで嫌だ。と言いたげな狼さん。ですよね。いっそのこと殺してくれと叫びたくなる苦しみなんて、人にとって必要ありません。最期の時がそうならないようにして欲しいとさえ、数多の老若男女が死に間際で思うくらいには、苦しみとは無縁でありたいのです。

 だから、狼さんは魔女さんの訂正に、ほっ、と胸を撫で下ろします。しかし、よくよく考えてもみるのです。驚いた脳内に僅かばかり沸いた疑念です。なんでそんなことになりそうな場所で、狼さんへ一切の苦痛が襲ってこなかったのでしょうか、と。


「気づきましたか? ブラブ。あなたへは魔法を掛けていません。もっと、詳しく言えば


「…………」


 狼さんは特別賢いわけではないのですが、特別愚かではないのです。等しく知恵があり。等しく勘がある。

 誰にでもあって、誰かには気づかれないだけで、狼さんが察することも難しい問題ではないのです。

 だからでしょう。狼さんは自分の手を見つめます。


「それって……この体が理由か?」


 ぱちぱち、と魔女さんは気だるげな姿勢で称えます。もっと褒めてあげてあげて欲しいのですが、どうにも関節の堕落を優先しちゃうのでしょう。


「正解です。ブラブ、あなたの体には大きな呪いが掛けられています。それはありとあらゆる魔力や果てには魔法の影響でさえも無意味になるほどです」


 それはそれで、狼さんは実感しにくいものではあります。なにせ、魔力は見えません。先日見えた妖精がせいぜいなもので、ああいった特別な存在を確認――視認できるほどの眼はないのです。魔法だってそうです。勝手に宙を浮いて、落ち着く。ですから、実感しにくいのです。体感しているはずが、痛感はしにくいのです。


「……つまり、俺には魔女さんの魔法が効かないてことか」


「はい。ですから魔法薬を作ってるのですよ。薬で徐々に呪いを解くのです。風邪をひいた患者に風邪薬を処方するようなものですね。その体では風邪すら引きそうになさそうですけど」


 くすくす、と。ころころ、と。魔女さんは鈴のような笑い声を出します。

 なにせ、魔女さんはしっかりと見ていて、触って確かめてもいるのです。狼さんの毛並みを。そのスラッとした銀毛は、程よく空気を通し、程よく体温を保持している。それによって、狼さんは人間よりも少しあったかく、少し毛玉と友達になっているのです。

 ですので、狼さんは、ぽりぽりと頬をかきます。


「……ですがブラブ。それだけで話は終わりじゃないのです」


「……? 話にオチがついたと思ったんだが……作業しながら聞いてていいか?」


 狼さんには買ってきた食料品を、お家に帰してあげる必要があるのです。塩はまな板の近くの小瓶へ。胡椒も同じです。キャベツは今日の晩ご飯に使うので、これも台所の近くです。コンロの近くでしょう。後は魔女さん――いえ、魔女さんのお祖母様が作られたであろう、程よく冷えた大きな木箱の中へ入れる必要があるのです。

 それぞれの場所は、それぞれの食料品のお家ですから。ちゃんと帰してあげなければ、いつまでも散らかったままになってしまいます。

 せっかく掃除した狼さんにとって、それは絶対に避けなければいけません。

 ですから、狼さんのそんな気持ちを把握している――手に取るように理解している魔女さんは「いいですけど、聞き逃さないでくださいね」と注意します。


 ……まるで、大事なことを。隙間風のように流すつもりで。


「ブラブ。あのアデレードという幼馴染さんは、どうして聖域に来られたのか、考えてください。あの人も、


 せっかく手にしたキャベツを、再び足の上に落としてしまう狼さん。時間を巻き戻したような鈍い痛みに、思わず叫びたくなった狼さんですが、それは決して自分の危機を仲間へ伝えるためではありません。狼さんの仲間はきっと、四足歩行でしょうし。

 なにより、遠吠えこそできなくても、今なら月を見上げる狼の気持ちが理解できるのです。痛みじゃなく。衝撃でもなく。

 魔女さんの言葉を聞いて、遠吠えしたくなるのです。

 自分と腐れ縁を結んでいる存在が、もしかすると自分と同じように呪われているなんて。信じたくない事実と、悲しき苦悩がこの身を引き裂きそうですから。


 その後の狼さんは、まるで魂が抜けたような腑抜けた状態になりましたし、それを見て優しく魔女さんが抱きしめたのはここだけの話です。

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