第4話「魔女さんのお家紹介です。少しだけ」


「……魔女さん。俺の勘違いじゃないと思うけど」


 皿洗いを終え、さっそく魔女さんと一緒に作った魔法の軟膏を塗る狼さん。毛皮で覆われたふわふわの手でも意味があるのでしょうか。いえ、きっとあるのでしょう。ほら、肉球とかぷにぷにですし、爪は尖っていますから、掻きむしっては大変なことになります。ですので、きっと効果があるのでしょう。そう思う方が、狼さんにとっても、魔女さんにとっても幸せなのです。

 無意味だと気づくのは、悲しいですからね。

 さて、狼さんの話へ戻すとしましょう。彼は今、軟膏をヌリヌリしながら、家中を見渡します。その赤い瞳でしっかりと。


「家、大きくなってる……?」


「あら、気づいたのですか」


 彼の瞳には、昔の家の中。そして、今の家が比較されていきます。家具の配置を度々、変えて欲しいと魔女さんに言われるがまま、そうした方が魔女さんも怪我をする心配がないからと、無意識にやってきた狼さんです。しかし、度々配置を変えるというのは、それだけ余裕があるということです。空間的余裕がある。そういうことです。

 そして、そのことにようやく気づいたのか、と魔女さんはのんべんだらりとした姿勢で、答えます。


「ちょくちょく、狼さんへ家具を動かして欲しいと頼んだことがあったと思います。その時に、てっきり気づいているものかと思っていましたが、私がちゃんと説明するべきでしたね。すみません」


「あぁ、いや、魔女さんが謝ることはないよ。ただ、気づかなかったのは、どうしてなんだろうと思っただけで」


 狼さんはふきふきと、続いては食卓を布巾で拭いていきます。そんな当たり前の風景です。少し違うところは、魔女さんの読んでいる本が昨日と違う真っ赤な革で覆われた、分厚い本でしょうか。

 それをこれまた器用に、魔法で浮かせて一枚一枚、魔女さんが読み終えると捲ってくれる便利なものです。


「拡張自体、なんてことはないはずです。一部屋増えただけですし、それに合わせてリビングが少し大きくなったのに気づくのも気づかないのも、珍しい話じゃないのです。むしろ、気づいたブラブは流石と褒めてあげます」


「いや、そんな大したことじゃ……それより、一部屋て。そんなに簡単な方法で増やせるのか」


「はい。ちょうどそこです」


 魔女さんは気だるそうに、ソファーの裏側――背もたれ側へ指を伸ばします。狼さんが視線を送ると、確かにそこにある扉だけ、ほかのものより綺麗です。

 いかにも、新築のお家にありそうなピカピカの樫の木目。艶やかな存在が、そこにあるわけです。


「あそこって、昨日の調合部屋か」


「はい。もう一部屋作りました」


「作りました――て、そんな当たり前みたいに言われると感覚が麻痺しちゃうだろ」


「実際、当たり前ですから。この家は、私のお祖母様が作った家ですけども、今の家主は私です。新しい部屋が欲しいと願えば、この家もその願望を叶えてくれるのです。まぁ、限度はありますけど」


 そんな話、今までの狼さんでしたら信じられなかったでしょう。しかし、今の狼さんにとって、魔女さんの言っていることが空想や妄想の類でないことは、実感しているのです。この家だけではありません。魔女さんが、見聞たがわぬ魔女であることを目の当たりにしてから、狼さんの中で魔女さんは魔女さんなのです。

 空も飛ぶし、物も浮かせられる。昨日なんか、大きな鍋で奇妙奇天烈奇々怪々な色のスープらしきものを混ぜた時だって、魔女らしいと感服もしたのです。

 なにより、彼女のお祖母様もこの不可思議な家を作ったのですから、驚きも一入でしょう。


「そのお祖母様とやらの魔法てやつか? なんともまぁ、便利なものだな、魔法てやつは」


「便利ではあります。しかし、便利なものは時として大きな代償を伴うものです。これは、あくまで例え話のひとつですけど、暇つぶしにでも聞きますか?」


 どうやら、魔女さんは相当お暇な様子です。

 というより、魔女さんにとって目的とやらがあるのでしょう。魔法を使う者としての責任や伝承していかねばならないことが。

 だからこそ、気だるそうにくつろぐ魔女さんから、そんな真面目な雰囲気で持ちかけられると、狼さんも興味がそそられるというものです。好奇心旺盛ですから。


「お茶は、淹れた方がいいか?」


「いえ、大して長い話ではありません。それに、不確定要素が多すぎる戯言みたいなものです。作業しながら聞き流すような、他愛のない話ですよ」


「そうは言っても、魔女さんに関わる話なら真剣に聞かなきゃだろ」


 狼さんからの言葉は、魔女さんを一瞬だけ黙らせるには充分でした。というのも、狼さんが今まで魔女さんの話を聞き流すことがあるとすれば、本当にしようもない、しょうもない、馬鹿げたものだけです。それ以外は、あんな風にキリッと顔を決めて、更には魔女さんのことを第一に考えている優しい瞳で見てくるのです。

 だから、魔女さんは呆れたように溜息を吐き出し、それを糧に話し始めます。


「その昔、『魔女』と呼ばれた最初の魔法使いはこう言いました。『魔法を使うと寿命が縮んでいく』と」


「……え」


 これには、狼さんも唖然としながらお茶っ葉が予想以上出てしまいます。あぁ、これでは味が濃すぎます。ですが、そんなことより、気になるのは魔女さんから軽く発せられた重い事実とやらです。

 いえ、真意不明。真偽不明だと、魔女さんが言っていた以上、確証もないのでしょう。そして、それが事実だと説明するような材料もなく、むしろ否定するようなものばかり、なのでしょう。


「驚かないでください。嘘だというのが、魔女の間での通説なのです」


「そうなんですか……?」


「はい。その証拠に、私のお祖母様は多くの魔法を使い、たくさんの魔法薬も作ってきましたが、今も元気です。週に三度働き、三度休み、空いた日は日帰りの旅に出る。そんな衰え知らずなのです。ですので、大きな代償は嘘なんじゃないか。寿命が縮むというのも信ぴょう性はないのです」


 そういうものなのだろうか。狼さんにとって、大事な話だと思っていたことが、真実かどうかも分からないとすれば、悩むのもむべなく。

 しかし、そこは狼さん。一緒に暮らしてきたからこそ、魔女さんの言葉の裏側まで気づいてしまうのです。その証拠に、銀のつんつんとしたお耳が背筋を伸ばします。


「じゃあ、なんで魔女さんはそんなことを? わざわざ、信じるかどうかあなた次第な不確かなもの。それも、魔女について、なんて。何か考えがあるんだろ?」


「……」


 狼さんと魔女さんが出会ってから、幾度もの月と太陽が見守ってきました。風もそうです。雨もそう。彼らを見守ってきて、昔の出来事を思い出すのに、少しばかり苦労しそうなほど、二人の出会いは尊きものとなっているのです。

 ともすれば、魔女さんのお家もそうです。お祖母様もそうです。魔法を使えば寿命が縮む、と言っておきながら、そうではない。そんなことはないはず、とわざわざ言う理由がある。狼さんには、それが漠然とでも分かっているのです。

 だから、狼さんがそうなら、魔女さんもそうです。相手が気づくなら、こちらも気づく。故に魔女さんは少し嬉しそうな感情を奥底に宿しながら、ちらちらと真っ白な歯をのぞかせます。


「……ブラブ。きっと、私が死ぬ時、私を看取ってくれるか発見するか、そのどちらでも最初はあなただと思っています」


「……」


「そうなった時、私が満足そうな顔だったかどうか教えて欲しいのです。もしくは、安らかだったかどうか」


「教えるたって……どうやって」


「あの世に来てください」


「いや、まぁ、行けるのは行けるけど……」


 狼さんは戸惑います。なにせ、魔女さんと過ごしてきてからたった数日ではありません。そこそこの年数を共に過ごしてきたのです。

 そして、これからもそのつもりだったのです。

 だから、別れることなど。どちらかが冥土へ旅立つなど、毛ほども思っていない――銀色の直毛ほども思っていないのです。


「私が安らかであったのなら。寿命が縮むという恐怖、死そのものへの高慢な態度もなく、そこそこ充実したということですから」


「…………せめて、俺を治してから死んでください」


 これだけは狼さんの虚勢でしょうか。どうにも、狼さんは他者との別れが辛いのです。慣れないのです。己が姿は銀狼の男となってしまってから、様々な人々との決別を涙ぐみながら行ってきたのです。

 だから、彼にとって魔女さんは唯一、狼男であっても恐れず、むしろなんとも思っていない人なのです。気を張りつめる必要もなく、自然体でいられる。そんな人は魔女さんだけなのです。

 失いたくない。手離したくない。そう思ってしまうのです。狼さんのものでもないのに。自分の手にあると勘違いしてしまうのです。でもわがままは言いたいわけです。


「それもそうですね。ふふ、気が早すぎましたかね」


「早すぎるし、魔女さんもそんなことを言う歳じゃないだろ」


「あら、女性に年齢を聞くのはご法度です。なにより、人を見た目で判断しない方がいいですよ。狼男さん」


 にやっと、魔女さんはにたつきながら狼さんへ視線を向けます。暗い話には似つかわしくない、おどけた表情で。


「後、俺が例え治ったとしても。他に行く宛てはないんだし、死んだ後のこととか考えなくていい。とにかく、薬さえ作ってくれたらそれでいいから」


 あら、これは言質と呼ぶには些か弱いでしょうか。うむ、悩ましいところですけど、魔女さんはそれでもいいかと思案の末、納得します。まぁ、欲しい言葉はいつか貰えるでしょう。

 そう思ってしまうのです。楽観的で、短絡的なので。短く絡まった方が、お互いの距離も近くて幸せでしょう。


「そうですね。じゃあ、ご希望通り作ってきましょうか。失敗しないことを祈っておいてください」


「期待しないでおくよ。お菓子はスコーンでいいか?」


「はい。美味しいの、期待していますよ」


 そう言って、拡張した部屋へと向かっていく魔女さん。彼女自身、狼男を元の人間に戻す魔法や薬など聞いたこともないのです。それこそ、長生きのお祖母様から聞いた話もないほど、希少な事例です。故に、狼さんを治すことというのは知的好奇心を刺激し、退屈だった毎日を色づかせるには充分すぎるほどです。

 だから、もし成功したら狼さんはいなくなってしまうのではないか。そんな漠然とした不安が彼女へやってきたものですから、思わず死んだ後の話までしてしまったわけです。重い女ですね。

 しかし、まぁ、言質はとりました。魔女さんは狼さんから、例え元に戻っても行く宛てはないと聞きました。つまりは、今の場所以外に居場所を求める必要がない。

 そういうことになります。

 ですから、安心して作れるわけです。老後の心配も、おやつの時間何を食べるのかどころか、毎食の胃袋を寂しがらせることもなくなるのです。これで憂いなく、作業に取り掛かれるのです。


 ……魔女さんの薬作りは、無事失敗しちゃいましたけどね。

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