1.朝の恒例行事(2)

 赤ビルは、俺達が子供の頃からほとんど手入れをされていない、まるで廃墟みたいな場所だった。

 建物自体は赤レンガ造りのレトロモダンだし、賃貸部屋も広々とした物件だけど、一階にくっついている店舗部分が致命傷になって、買い手がつかなかったらしい。

 というのも、この近隣は表通りの商店街ですら、一方通行にしないといけないぐらい道が細くて立て込んでいる。

 住宅街に入ったら、路地しかない。

 表通りから外れた路地の奥に建っている赤ビルは、全部が賃貸部屋か、もしくはオフィスにでも使える作りだったらもっと買い手も付いたのだろうが、一階にはビルと一体成型されている巨大な煉瓦窯があって、ぶっちゃけ居住用やらオフィスやらにリフォームするのは無理過ぎる構造なのだ。

 ではシノさんが、なんでそんなおかしな物件を買ったのかと思ったら、子供の頃に赤ビルに忍び込んで遊んでいた頃から、くだんの煉瓦窯に恋しちゃってて、ずっとこのビルが欲しかったんだそうだ。


 シノさんは、熱くなる時はいくらでも熱くなるが、興味を失った時の温度の下がり方も急速冷凍ってぐらいに早い。

 高額当選金を注ぎ込んでリフォームをしたにはしたが、元々数字が天敵で事務処理が苦手なシノさんは、煉瓦窯を自由に使える環境と、自分の身の回りが快適になった辺りで "達成感" を得てしまい、ビルの管理は放置になった。

 俺はシノさんのことが好きだし、シノさんの力になれるならなりたいと思う。

 しかし、残念なことに俺も大した事務能力は持ち合わせてなかったので、結局シノさんの様子をハラハラしながら気にはしても、代わりに管理をしてやることは出来なかった。

 そこに登場したのが、くだんの敬一クンだ。

 先にも述べたとおり、彼はデキすぎているぐらいデキる人物だった。

 何がどれくらいデキるかと言うと、四階と三階の賃貸四部屋と二階のテナントは、一週間ぐらいで全部埋まってしまい、シノさんの元には不労収入が普通に入るようになった。


 そしてその敬一クンに請われ、俺は家賃3万8000円の1Kアパートから、メゾンの部屋に入居して、シノさんがやっている中古アナログレコード店 "MAESTRO神楽坂" の店長を任命された。

 簡単に言えば、シノさんの面倒を見るために、常駐してくださいってワケだ。

 ちなみにそういうイロイロな都合を考慮されて、本来なら8万する家賃は、1Kアパートの金額が据え置きになっている。


 ぶちくさ言いながら、諦めた様子でベッドを出たシノさんは、のそのそとキッチンへ向かった。

 敬一クンは、シノさんのための朝食を用意しない。

 それはシノさんが、出来たてを食べたがって、わざわざ用意はしないで欲しいと言付けてあるからだ。

 というか、じつを言えば敬一クンは、此処で暮らし始めた当初は、お湯の沸かし方も知らないような箱入りだったのだけど、オイシイモノ大好きで自炊大好きなシノさんと暮らしていたら、一ヶ月で自分の朝食の用意が出来るようになっちゃったのだ。

 インスタントラーメンならなんとか作れる程度の俺は、最初はお湯の沸かし方を教えていたはずなんだが、今では敬一クンに食事を用意して貰っている。

 一方のシノさんは、前述の通り「オイシイモノを食べるためには、自炊は基本!」ってなタイプで、こと料理に関しては熱が冷めることが無い。


「シノさん、そろそろ敬一クンに、ちゃんと部屋を用意してあげた方がイイんじゃないの?」

「ケイちゃんの部屋なら、ちゃんと用意したぜ」

「いや、部屋はあるけど、ベッド無いじゃん!」

「なんだよレン。嫉妬かぁ〜?」


 なんだかいや〜な感じに、シノさんがニヤニヤ笑う。


「敬一クンがシノさんに懸想するような子だったら、最初から同居に反対してます〜」


 俺とシノさんの関係は、言うなれば友人以上恋人未満の状態だ。

 と言うのも、シノさんは俺の気持ちを知ってるし、時に身体的接触もしたりしてるけど、いかんせんシノさんは、俺を恋人とは認めてくれていない。

 もっとも、敬一クンは見た目こそアラサーだが、中身はまだまだ子供…と言うか、現況の彼は学業とか自分の体を鍛えたりする方向にばかり興味が向いていて、下ネタで赤くなるどころか、下ネタの意味が分からなくて「それはどういう意味ですか?」とで返されるほどのピュアな人格をしている。

 ぶっちゃけ、18歳にもなってそのピュアさは、むしろ心配になるような清廉潔白な人物なのだ。

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