S2:名古屋メシとアフタヌーンティー

1.ホクト視点:電書ボタルの電ボ

 俺の名は天宮北斗。

 経営の勉強をするため名古屋から上京してきて、今春から東京の大学に通っている。

 そして今、神楽坂の夕暮れの空を眺めながらケイと二人でお茶をしているマエストロ神楽坂のカフェテラスは、なかなか素敵なロケーションだった。

 俺とケイは今、この店で新規に雇ったパティシエのパイを試食しているところだ。

 新しいパティシエは帰化した英国人で、白砂聖一という日本人名を名乗っているけど外見は見るからに西洋人の、俺の妹が趣味で集めている綺麗な人形にソックリな銀髪碧眼の美形だ。

 常に仏頂面で、表情に乏しいところまで人形みたいなのだが、話す口調は居丈高な軍人みたいだったりして、かなり悪いクセのある人のようだ。

 だが、その変人の白砂さんが作ったアップルパイは、実に美味しかった。

 美味しいものが大好きなケイが、美味しいものを美味しそうに食べてる顔は、いつ見ても本当に可愛い。

 やっと神楽坂に引っ越して来られたのだから、今後は是非こういう機会が増えて欲しい。

 ケイは名門大の附属高校に通っていたから、てっきりそのまま地元で進学すると思っていた俺は、東京で自分の大学の近場にマンションを借りた。

 だが昔から向学心旺盛なケイは敢えて進路を変更して、東京の国立大に進学していた。

 その事に俺が気付いた時には、既に海老坂が赤ビルに先住していたのは痛恨のミスだったが、珍しくも捻くれ者の従兄弟のミナミが協力を申し出てきたので、俺も晴れて神楽坂の住人になれたというわけだ。

 俺たちがパイを食べ終えたところへ、中華饅頭の紙袋を提げた小熊さんが帰ってきた。

 小熊さんは赤ビルの住人で、外見は日本人離れしてるけど生粋の日本人で、部屋を海老坂とシェアしているのに海老坂を怖がっているという、色々とイミフな人だ。

 仕事は飯田橋の方で、英会話教室の講師をしているという。

 俺の目線を追って振り返ったケイが、声を掛けた。


「おかえりなさい小熊さん」

「こんばんわ、敬一クン。珍しいね、こんな時間にカフェの営業をしてて」

「いいえ、今日はカフェは休業です。俺たちは白砂さんの焼いたパイの試食をしてたんです」

「シロタエ…さん…」


 白砂さんの名前を聞いて、小熊さんはなんとも浮かぬ顔つきになった。

 というのも、銀髪で色白で服装も白っぽかった白砂さんのことを小熊さんが幽霊と見間違えて、赤ビルであれこれと騒動になったからだろう。

 スッタモンダの末、小熊さんは多聞さんと共に階段を転け落ちたりしたらしいが、特に怪我も無かったようだし、誤解も解けて白砂さんはマエストロのパティシエになったのだから、俺は結果オーライと思っている。


「そうだ、せっかくだから、小熊さんにも試食してもらおう」


 そう言ってケイが店内へ行ってしまったので、残っていた俺はちょうどいい機会だと思い、小熊さんに話しかけた。


「小熊さん。俺、今日からこの路地の奥のマンションに引っ越してきたんです。従兄弟の部屋をシェア出来たので」

「そうなんだ。じゃあこれからご近所さんだね」

「ええ、今後ともよろしく」


 そんなやりとりを一通り済ませたところに、店内から白砂さんが出て来たのだが。


「立っていないで、そこの椅子に座りたまえ!」


 俺の脇に立っていた小熊さんに対して、いきなりの命令口調なのに呆れた。

 だが命令された小熊さんは、白砂さんを見るなりポウっとした目つきになり、瞬きも忘れたようにうっとりと白砂さんの顔を凝視している。

 ケイのお兄さんが言うには、小熊さんは同性の美形が大好きで、美形の男であれば片っ端から惚れてしまう「電書ボタルの電ボ」なのだそうだ。

 俺は、妹がまだ小学生だった頃「おじゃる丸」というアニメを一緒に観ていたので、“電ボ" がやたらと惚れっぽいホタルみたいなキャラだと知っていた。

 小熊さんはホタルというより、熊か牛の方が似てると思うが、お兄さんが電ボと呼ぶのはルックスに関係なく、小熊さんが惚れっぽいからだろう。

 なんせ小熊さんは、美形の海老坂を一目見るなりのぼせ上がり、部屋のシェアを自分の方から申し出たのだそうだ。

 のぼせ上がりつつ海老坂を怖がっているあたりがますますもってイミフな電ボなのだが、そこら辺の事は俺には無関係なので、まぁどうでもいい。

 だがここはケイのお兄さんの店だから、従業員に問題があっては困るだろう。


「白砂さん、お客様にそんな命令口調は、まずいんじゃないですか?」


 すると白砂さんはその無表情な仏頂面を、今度は俺に向けてきた。


「カフェは営業していないのだから、彼は客では無い。同じ建物に暮らす者のよしみで、こちらにも試食を振る舞うよう敬一に頼まれたから、提供しているだけだ」

「でも店で給仕をする時に、相手によって態度をコロコロ変えるのもどうかと思います」

「ミナミは出資者だそうだが、君もそうなのかね?」

「違います。俺は南の母親に頼まれて、南が出資しているカフェの様子を見に来ているだけの、親族です」

「では君には私に指図をする権利は無い」


 言い切って、白砂サンはスタスタと厨房に戻って行ってしまった。

 俺が呆れて後ろ姿を見送っているところへケイが戻ってきて、元の席に座る。


「なぁケイ、言っちゃなんだが、あの人に店の給仕をさせて大丈夫なのか?」

「ん? ちょっと変わったところはあるが、きちんとした人だ。心配はいらない」

「そうかなぁ、ケイはお人好しだからなぁ」


 ここに引っ越してきてよかったなぁ…と思いつつ、俺は頬杖を突いてケイの顔を眺めた。

 幼稚園で将来を誓った時のケイは、濃ゆいまつげに縁取られた栗色の瞳がお人形みたいに可愛い男の子だった。

 月日が流れて目の前にいるケイは、褐色の肌にキリリとした眉も凛々しい青年になっている。

 だが中身は今も昔と同じように、真面目で頑張り屋だけど世間知らずで天然気質なところがなんとも可愛い、俺の大事な婚約者だ。

 ケータイの画像なんかじゃない、実物のケイに毎日会えるシアワセに俺が浸っているところで、ケイは小熊さんに声をかけた。


「小熊さん、パイ、試食してください」

「ああ…ありがとう」


 白砂さんの後ろ姿を見ながら半口を開けてぼうっとしていた小熊さんは、明後日の方を向いたままパイを口に運んだ。

 そしてモグモグと口を動かした途端に、ビックリするほどデカイ声で

「うわあっ、美味しいっ!」


 と叫んだ。

 いきなりの大声と唐突なアクションにケイと俺が呆気に取られていたら、本人もさすがに恥ずかしくなったのか、

「ゴメン、あんまり美味しいから…」


 と、言い訳みたいなことをモゴモゴ言っている。

 ほんとにイミフな電ボだなぁと思いつつ、適当にフォローを入れた。


「いや、解りますよ。白砂さんのパイ、俺も本当に美味しいと思いますから」

「ああ、身贔屓抜きで美味しいよな。とにかくパイの生地が良い、どっしりしてるのにサクッとしていて、粉とバターの味わいがある。今まで食べていたパイが薄っぺらく思える」


 実際、白砂さんは変人だが白砂さんの焼いたパイは、どれも素晴らしく美味しい。

 そうして俺とケイが白砂さんのパイを褒めると、小熊さんはやたらと大きな動作で、何度も何度も頷いている。

 口調は概ね丁寧で日本語にも問題はないけど、でも態度はまさにオーバーアクションなアメリカ人みたいで、ほんとに何から何までイミフな電ボだ。



 ケイが暗くなる前に屋上の給水タンクを点検すると言うので一緒に見に行ったのだが、ついでに周囲のフェンスの手入れもしたいというので、俺が道具を取ってきてやると言って一人で階下へ降りた。

 工具ケースは確か、中古レコードを管理している小部屋に置いてあったよな…と思い、厨房と小部屋とホールを繋ぐ通路に入ると、店の方から東雲さんの声がした。

 ケイの義兄である東雲さんは、今日は商売の仕入れで出掛けていたのが、帰宅したらしい。

 通路からフロアを覗くと、東雲さんはグテグテの様子で端っこの席に座り込んでいた。


「重てェ〜、坂キッツ〜」


 東雲さんの足元には、レコードが詰まった帆布の手提げ袋が置いてある。

 隣のテーブルには、外のテラスから移動してきてたらしい小熊さんが座っていて、どうやらあれからずっとそこに居座ってたらしい。

 多聞さんが飲み物の入ったカップを持ってきて、東雲さんの前に置いた。


「連絡してくれれば良かったのに。この時間なら、もう敬一クン戻ってるから、俺が迎えに行ったよ」

「だぁって、連絡して待ち合わせとか、面倒クセェじゃんかぁ〜」


 柊一サンと多聞サンがやりとりしてると、小熊さんが声を掛けた。


「柊一サン、今日はお出掛けだったんですか?」

「仕入れに行ってたンよ〜。収穫はスッゲェあったけど、昼飯食べ損ねてるンよ〜。も〜、あの会場で催しするの止してくれっちゅ〜の! 近所にめぼしい食い物屋が、じぇ〜んじぇんナイんじゃもん!」


 さっさと工具を探して屋上に戻るか、フロアへ出て行って東雲さんに挨拶した方がいいか迷っていたら、厨房からやってきた白砂さんがチラと俺の顔を見つつ、俺を追い越してフロアへ出た。


「よーほーセイちゃん! 窯の調子、どーよ?」

「やはりあの窯は素晴らしいな。試食も概ね好評だ」

「そりゃ、セイちゃんのパイが好評にならぬワケね〜よ! んじゃ、俺にも早よ早よ試食のパイちょーだい!」

「パイは無い」

「なんでっ!」

「最後の一切れは、その男が先程食べた」


 クイッと白砂さんが顎で指し示したのは、小熊さんだった。


「なんでっ!?」

「敬一が、同じ建物で暮らす者同士のよしみで、彼にパイを提供するように申し出てきたのだ」

「それ、俺の分って言った?」

「私は、マエストロの分だと提供を断った。だが敬一が、それならば彼に提供して構わないと言った」

「じゃあ、マジで俺の分ナイの!? 昼抜きで、でもセイちゃんのパイが楽しみだったから、我慢して、頑張って、やっと帰ってきたのに!」


 わあっと泣いた東雲さんは次の瞬間、猛タックルで小熊さんにコブラツイストを掛けた。


「うぉれのパイ返せぇいいいいぃぃ〜!」

「うわあぁ〜、痛い、痛い、柊一サン、痛あぁ〜い!」


 イミフな人だと思っていたが、自分より遥かに小柄な東雲さんにワザを掛けられて解くことも出来ずにヒイヒイ泣いている小熊さんに呆れてしまい、そんなところにわざわざ顔を出すのも面倒だったから、俺は工具箱を持ってそのまま屋上に戻った。

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