第4話 迷走

ベルベル属州に着いたポンニウスは頭を抱えていた。


・・・どうしてこうなった。


負けん気が強く、古くからいる貴族たちにも物怖じせず言い放つガラムスの性格に、ポンニウスは好感を持っていた。しかし、その危うい行動にはいつも警告していた。


『その調子ではいつか古い貴族たちの恨みを買うことになるぞ。もう少し自重しろ。』。


しかし、回りの者たちはそうは見ていなかった。


「今日もポンニウス殿が生意気なガラムスを叱責していたぞ。」


「もどかしいものだ。我ら古い貴族に意見するような者など、黙ってクビを跳ねれば良いのだ。」


「まぁ気持ちはわかるがな。兵たちから支持の多い者をいきなり処刑しては示しがつかぬであろう。ポンニウス殿の目が黒いうちは、あの若造も迂闊なことはできまい。」


「それにしても、捨て駒の兵たちに国の支給で武器や鎧まで用意させるなど何を考えているのであろうな。」


「まったくだ。金が無い者は無いなりの理由があり神の意志でもあるのがわからぬとは愚かなヤツだ。」


ラーマは共和制ではあるが、貴族、一般市民、奴隷と言った階級差別は存在する。その差別がなくなれば貴族が持つ利権はすべて否定され、王のような独裁者が現れれば、貴族の利権は抵抗することもできずに無慈悲に没収されかねない。


共和制という制度は貴族たちの利権を守るための隠れ蓑となっているのだ。ガラムスが元老院議員としてやってきたことは、もう少しだけでいいから、貧しい一般市民たちが裕福に暮らせるような法案を通そうとしてきただけだった。


その行動が、少しでも余分に利権を貪りたい貴族たちの反感を買っていた。


〇 〇 〇


今年、還暦を迎えたポンニウス・トラルルは首都ポロネースより千km弱ほど南東にあるベルベル属州の総督である。

若いころに数々の戦役を戦い抜きラーマに繁栄をもたらした立役者であり、人々の間ではラーマの英雄として敬愛されていた。


北方の遊牧民ボロンカス族がカリストの街を包囲していると聞いて気を揉んでいたが、若きガラムスが積極的に手を挙げ、ボロンカス族討伐に向かったのを見て『私の時代も終わった』と安堵していた。

ガラムスが執政官選挙に立候補したとき、積極的に支援したのはポンニウス自身だった。

身内からはガラムスの対抗馬として出馬するよう意見する者もあった。


「もう私も老いた。新たな若き英雄を支援する立場でいたい。」


「何をおっしゃいますか。あなた様の回りにいる多くの若者が手足となって働きます。どうかこの国をお導きください。」


「無茶を言うな。若いころのような無茶が効く歳ではない。」


「それならば私があなた様の代わりとなって働きます。私が執政官となったときに、よきアドバイザーとして近くに居ていただければどんな困難でも乗り越えられます。」


「・・・。」


・・・そのような他力本願の気弱な意志では事を成すことはできぬのだ。


誰にでも愛想よく振舞う人の好いポンニウスの周りには多くの者たちが集まってくる。

しかし、その多くは甘い蜜を吸うため光に集まる小虫に過ぎない。ポンニウスの周りには自分の利益の事しか考えない利己的な者たちしかいなかった。


ラーマの首都ポロネースは大陸でも有数の大都市ではある。だが、一歩路地裏に踏み入れば病気の浮浪者や孤児たちが集まり、死体がいつまでも遺棄されたままの社会の吹き溜まりのようなところもある。

そういうところは貴族や一般市民たちからは見向きもされなかった。


ポンニウスもただ手を拱いていたわけではなかった。奴隷たちを使って裏路地の掃除をする法案を出したり、孤児のための施設を作ろうとしたり、貧民救済のための炊き出し法案を提出したりしたが、すべて元老院議員たちによって却下されていた。


逆に、他の議員から活動方針のない男女平等のための法案や没落貴族を助けるための法案が提出されて可決されたが、その資金はすべて口のうまい利権者たちの懐に入ってしまっていた。


ポンニウスが若いころに形成した数十年の平和は、すべて貴族や富裕層たちの私腹を肥やすためだけに利用され続けた。

それだけではなく、たった数十年の平和の間には圧制がラーマ全土に蔓延し、地方の属州民からは必要以上に税を取り立てる風習ができあがっていた。最高権力の地位にいたポンニウスはそれさえ止めることができなかったのだ。


だがガラムスは違った。執政官になるやポロンカス討伐のための徴兵と同時に、貧困市民救済のための法案や属州民に対する税の軽減処置などの法案を一挙に通した。


そのやり方は強引で、ときには貴族たちでさえ脅迫し、強硬に反対する者たちを、武装した兵たちと共に襲撃し黙らせていった。

その行為はラーマの市民たちから賞賛され支持され、国を憂う一部の有力者たちからの支持を得てはいたが、多くの有力貴族たちからの反感を買っていた。


・・・よくやったガラムス、応援するぞ。


ポンニウスは内心ではガラムスに賞賛を送っていたが、貴族や利権者たちの代弁者となっていた立場がポンニウスの行動を阻んでいた。没落貴族出身のポンニウスは富豪貴族の妻や一族に頭が上がらず、ガラムスへの賞賛など口にできる環境にはなかった。


「貧乏貴族の若造がゴミ屑共の救済に金を使い出したおった。何を考えているのだ。」


憤慨するのは妻フルスニナの父コルタムス。大貴族の一人だ。


「まぁ、ラーマの将来を考えればそれも一つの選択でしょう。長い目で見れば良いことだと思います。」


ポンニウスはコルタムスの顔色を窺いながら宥める。


「チッ、お前も少し毒されているようだな。我らが今あるのは神の采配であり、貧民や奴隷も神の裁定だ。奴らはなるべくしてなり、我らは神に選ばれ、なるべくしてなった。我らがいくら贅を尽くしてもそれは許されるのだ。」


「そうでしたね・・・。」


ここでの反論は許されない。もし反論すれば、娘婿の立場であるポンニウスには死が待っている。

貴族の絆、それは身内でさえ裏切りを許さない狂信者の誓いと同じだ。


「お父様。そんなことより今は貴族同士の繋がりを強くして、ガラムス派との戦いに備えるのではなくて。」


妻のフルスニナが物騒なことを言い出す。


「そうだな。・・・ポンニウスよ。お前が盟主となってガラムスを討て。他派閥との交渉はこちらで整えておく。今からガラムスとの戦いに備えて作戦を練っておくがいい。お前なら必ず勝てるはずだ。」


「・・・はい。」


人当たりの良いガラムスは、相手を不快にさせないように機械的に返事をする。その過去の栄光は曇りに曇り、貴族の無言の鎖にがんじがらめにされて、いいように利用され続け、これからも利用されていくのだ。


そして、ガラムスがボロンカス族の討伐に出陣すると、元老院内ではガラムスへの非難が始まり、とうとう法務官シブリルによってガラムス解任の動議まで出された。もう一人の法務官や護民官が拒否権を発動してもそれは無視され解任の手続きが強引に進められていった。


・・・こいつらはいったい何をやっているのだ。


ポンニウスは大いに戸惑った。黙って見ているとガラムスへの解任の使者が出され、後釜の執政官の地位を争って元老院議会は揉め始めた。

数日後、ガラムスがポロンカス族を討伐し、その軍を率いてこちらに急行しているという噂が流れる。


「ポンニウスよ出番だ。都市の門を閉じて籠城するのだ。」


義父のコルタムスから命じられたポンニウスは、元老院議員たちを集めガラムス討伐を宣言し、ガラムスから利権を取られまいとする多くの議員たちによって、ガラムスは忌むべき独裁者と名指しされ議場は大いに沸いた。


「明日、独裁を企てるガラムスを撃つ。日の出とともに中央広場に武装して集まるように。私に付いて来ない者は敵とみなす。」


ポンニウスは元老院で宣言した。

その話は夕刻までには首都ポロネース中に広まった。ここまでくれば後には引けない。家族と財産を守るため、派閥の長としての矜持のため正々堂々戦うことを宣言する。

元老院議員の数は500人ほど、そのうちポンニウス派を支持する者は半数ほどだが、議員には多くの一門や奴隷もいる。少なく見積もっても数万の兵が集まるはずだった。


翌朝、ポンニウスは数人の武装奴隷とともに広場に向かうが、そこには数十人の兵しか集まっていなかった。


「これはどういうことだ。時間を間違えたか。」


「いえ、集合時間は夜明けで間違いありません。」


しばらく待っていると、数台の荷馬車隊や馬やロバに大量の荷物を乗せた一団が通り過ぎていき、時間の経過とともにその数は増していった。


「ひょっとしたら、内乱と知った貴族や富裕層たちが逃げ出しているのかもしれません。」


「そ、そのようだな・・・。それにしても募兵しているにも係わらず、市民たちの集まりが悪いな。内乱に勝てば、戦ってくれた兵たちの地位が向上することを知っているだろうに。」


市民たちにとってポンニウスはラーマを救った英雄として一目置かれていたが、それは過去の話。

数十年続いた平和の時代に、ポンニウスは貴族や富裕層の利権の拡張や税の徴収などには本気で取り組んではきたが、一般市民のためにはほとんど何もしてこなかった。


その一方、ガラムスは一般市民たちの生活が苦しいことを知っていて、執政官になる前から日々のパンの支給法案や富裕層が持つ土地を市民に分け与えるための土地改革法案、私財を投げ打って貧民救済のためのインフラ整備事業などに乗り出していた。


一般の市民たちは、どちらが自分たちのことを考えてくれているのかよく知っていたのだ。


「ご主人様、これ以上の兵を望むのは困難です。他の貴族たちはご主人様にすべてを押し付けて逃げ出したのです。属州に戻って体制を立て直しましょう。属州ならばポンニウス様のために戦ってくれる兵が集められます。」


普段からポンニウスに良く尽くしてくれる奴隷の一人が、数十人の募集兵たちを見回しながら提言する。


「なっ、貴族が逃げ出すなどと滅多なことを言うでない。だが、そうだな、それしかないようだな・・・。」


人の好いポンニウスは裏切られたとは考えなかった。


・・・栄光ある首都ポロネースを内乱の舞台にしてはいけないのだ。


ポンニウスは気を取り直すと集まった兵たちを連れて自邸に戻る。

自邸に戻ると、妻フルスニナが家財道具や財産などを馬車に積み込ませていた。


・・・逃げる準備か、手回しがいいな。


口コミでの情報伝達速度は思った以上に速い、どこからか情報を得てきたのであろう。ポンニウスは妻のすばやい行動に関心していた。


「兵は集まらなかった。」


「そう、では属州に戻って態勢を整えるのですね。ガラムス派に敵対しそうな貴族たちにはベルベル属州に来るよう伝えてありますわ。貴方も早く支度して頂戴な。」


機転の利くフルスニナは軽く微笑みながらポンニウスを出迎える。日の出とともにポンニウスを送り出した後、他の貴族たちや元老院議員の動向を調べさせ、ほとんどの者が首都から逃げ出す準備をしていると聞いて身辺整理をしていたようだ。


「・・・。」


「長引きそうですか?」


フルスミナは囁くように聞いた。


「あ奴とは何度も戦場を共にしている。私はラーマの伝統である兵站を重んじるが奴は直感で動く。負け戦は多いがそれが致命的な損失にはならず、最終的に敵は根負けして戦意を失うのだ。」


「ずいぶんと評価が高いのですね。」


「ああ、だがこちらには豊富な資金力がある。決戦を避けて消耗戦に持ち込めば負けることはないだろう。」


「そうですか。勝ち筋が見えているのでしたら安心ですね。」


「安心か・・・。」


本音を言えばガラムスとは戦いたくはない。戦うメリットも個人的に争う理由もないし、そもそも戦わなければならない理由がまったくない。

だが、貴族たちで搾り取った富を分け合う共和政を支持する者として、圧倒的な大勢を占める一般市民からの支持を集めているガラムスを見過ごすことはできない。


数で劣る貴族たちにとって、圧倒的多数の一般市民たちの支持を受けている者がいる状況は、嫉妬だけの問題ではなく、現体制がいつ覆されてもおかしくない状態にあるということになる。


一有力者として、ラーマ共和政内で出世競争を勝ち抜いて上り詰めた者の一人として、ガラムスのような存在は認めてはならないのだ。


〇 〇 〇


「ガラムスよ。なぜそこまで市民たちに肩入れするのだ。名声を得て帝王にでもなるつもりか。」


「そこに私の仕事があるからに決まっている。ポンニウスよ。お前こそなぜそこまで他の貴族に媚びを売るのだ。弱き者は強き者の正義に呑まれるものだ。貴様は誰の正義に呑み込まれている。」


「それは偽善だ、正義のつもりか。」


「お前こそ小さな群れにすぎない貴族内で不公平な扱いを受けることに恐怖を抱いている。お前の正義は何かよく考えるがいい、臆病者め。」


ポンニウスはガラムスが出征する前に交わした言葉を思い出す。


・・・今となってはどうでもいいことだ。どちらの正義が勝っているか、神の御前で正々堂々と決着をつけなければなるまい。


ポンニウスは側近や奴隷たちと共に生贄用の山羊を連れてユピテルの神殿に行って戦勝祈願を行い、神への寄進にも大枚をはたいた。そこで占いも行われ、その結果はポンニウス派が勝つというようなものだった。最後は万全を期すために、ガラムスが呪われるよう呪いの儀式まで行わせた。


〇 〇 〇


逃げ出した貴族たちは示し合わせたかのようにポンニウスの治めるベルベル属州行きの船に乗っていた。


「それにしても狂犬ガラムスの行動力には驚かされますな。」


「ボロンカス族には情報を流してやったというのに、簡単に敗走するとは読みが甘かったか。」


「いや、ガラムスの行動が予想以上に早すぎたのだ。金だけでなく利権を与えようとしても我らの言うことには聞く耳を持たぬ。妻と離縁させて有力貴族の娘を与えようとしても拒絶してくる。

その上に元老院議員だけでなく我ら貴族から金を出させて貧民救済をしようという法案まで通してしまった。あれを従わせるのは無理だな。」


貴族たちにとって貧民の生活を良くしようとするガラムスの行動を理解することはできない。

そして、ガラムスが金や利権に目もくれず、一般市民たちの名声は気にするクセに、名家である貴族たちからの名声を気にしない事も理解できないのだ。


「その点、ポンニウスは最高の番犬だ。」


「戦にも強く、おだてていれば大人しくいうことを聞くポンニウスには、利権と我らの庇護を与えて英雄として祭り上げておいたが今回も頑張ってもらうとしよう。」


「そうだな、今回は金と物資の援助は惜しみなく与えて協力するのが一番だろう。」


富裕層にとっては金で従わせられる者ほど扱いやすく、その者が有能ならばさらにおだてて貧民の統治もさせることができる。貴族たちにとって、ポンニウスは扱いやすい貴族たちの番犬として見られていたのだった。

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