第2話 ボロンカス部族
季節は麦の収穫を迎える6月。ラーマ共和国北方の辺境の地にある都市カリストは、10数万のボロンカス軍に包囲されていた。
「うーむ、降伏の使者はまだ来ないか。」
遊牧民ボロンカス族の族長ロンドスは高々と建つ城壁を眺めながらつぶやく。
「城壁の上にいる者は元気に動き回っているので食料も十分にあるのでしょう。」
「それだけ裕福な町ということになる、攻略後の略奪が楽しみだな。」
ロンドス族長の取り巻きたちが各々思ったことを口にする。
遊牧民たちも奴隷や移民者たちを使って畑を作ってはいるが、定住している農民ほどうまく作れるわけではない。そのため、ちょっとした気候変動で作物の収量が減るのだ。
「それにしてもこの当たりの土地は麦がよく育っている。われらの土地とは大違いだな。」
「このまま我らの土地としてしまいたいところだが・・・。」
「やめておけ、ラーマ兵は精強な上に住民の数も多い。まともに戦って勝てる相手ではないぞ。」
「精強な我らが負けるとでもいうのか。」
「そうではない。予備の兵の数だけではない、兵糧や物資だけでなく指揮官さえ無尽蔵に湧き出てくるのだ。精強で知られたゴンド族が何度も押し寄せるラーマ軍に滅ぼされたのを知らないのか。」
「ああ、ラーマの大軍を4度も殲滅しながら、5度目には食料がなくなり疲弊した状態で戦って敗走し、生き残った王族はすべて捕らえれて、残りはすべて奴隷として連れていかれたのだったな。」
「そうだ。ラーマの貴族たちに賄賂を送っているおかげで、辺境の都市を略奪している間は追い払う程度の軍しか派遣してこないが、本気で討伐対象にされたら遠くまで逃げるしかなくなるぞ。」
「そうなったら戦えばよいでしょう。我らには機動力のある騎馬隊が1万はいるのだ、蹴散らしてくれましょう。」
話を聞いていた族長の長子タコレルが割って入る。
「ダメだ、それだけは認めん。略奪するだけで十分な戦果があるのだ、それで満足しておけ。これ以上欲張っても何もいいことはない。」
ロンドス族長はきっぱり否定するが、
「弱腰にもほどがありますぞ。」
まだ20歳と若く経験の浅い長子タコレスには、父親ロンドスの言うことがわからない。
「負けてすべてを奪われてからでは遅いのだ。」
その日を生きるために目先の利益を追う遊牧民だからと言って何の情報もないわけではない。
毎年ラーマで行われる執政官選挙の結果はアッという間に周辺の国や部族たちに広まっていく。広めるのは旅商人だけではなく、旅人や、周辺部族たちと繋がっているラーマの貴族や有力者たちからの情報によることもある。
その情報の中には、執政官たちの性格や、所属するグループまでかなり詳細に伝わっていく。情報の大切さは何時の時代でも変わらない。
・・・威勢が良いのはいいが、夢と現実の違いはまだわからぬか。
まだ幼さが残るが逞しく育った我が子を見ながら、複雑な表情を浮かべるロンドスであった。
包囲から2ヶ月後。多少の小競り合いはあったものの緩やかな包囲は続いていた。包囲の間、カリストの都市周辺の作物はボロンカス族によってすべて刈り取られてしまい、包囲された都市カリストの降伏は時間の問題と思われていた。
ある日、ボロンカス族の天幕に伝令兵が飛び込んでくる。
「族長、ドルイド(魔法使い)のポートン様より報告です。」
「おう、ラーマの軍に何か動きがあったか。」
「本日ラーマの首都ポロネースからガラムス・フォビオス指揮の元、3万ほどの兵が出陣。その内、騎馬兵は千騎ほどとのことです。」
「それにしても、遠くの者と会話できる通信魔法とは便利なものですな。」
「魔石を使っての固定台という前提付きだがな。」
ドルイド(魔法使い)とは、政治や経済の相談や部族間の調停や連絡役をする者たちで、高位の者では呪術で予言のようなことや、魔法で風を起こし火や水を出したり、幻術で人の目をまどわし、妖術で人を騙したり煽ったり、精霊と契約して使役することができる者たちのことだが、一撃で人を殺めるような強力な力を持っている者はいない。
「ほうガラムスか、あれは武勇にも秀でて手強いと聞いている。相手にとって不足はない。」
「たしか、ゴンド族との戦いのときに隙をついて崩壊に導いた一軍の指揮官だったな。とうとう執政官になったか。」
「さすがラーマ軍、敵ながら最善の人選だ。だがこちらの10万の兵に対して3万とは、ずいぶんとなめられたものだ。」
「ラーマ人共の鼻っ柱を叩くいい機会だ。」
ボロンカスの将軍たちも情報には敏感で、手強い将軍の名や近隣で起こった大きな戦争のことも詳細に知っていた。よく訪れる商人や旅人たちから情報を得ているのだ。
「よし、ラーマ人たちが造った街道沿いの開けたところに強固な陣地を作れ。到着まで一ヶ月はかかるだろう、叩き潰してやるのだ。」
族長ロンドスは各将軍たちの戦意の高さを汲み取って迎撃を選択する。ラーマの首都ポロネースから包囲している都市カリストまでの距離は600kmぐらい。途中で兵糧の補給なども考えなくてはならないので軍の行軍なら早くても一ヶ月はかかる。
このときは、それだけあれば十分な対策ができると踏んでいた。
☆ ☆ ☆ 出陣
ラーマの首都ポロネース。執政官に選ばれたガラムスは募兵を始めると同時に、行軍途中の村や町に食料の炊き出しなどの準備をしておくように使者を出していた。
「馬はなくとも機動力こそ命。」
都市国家間の戦いでは盾と槍を持ってファランクス体形(槍衾)を取った、集団対集団の押し合いのような戦い方が主流だったが、広域国家となった今は騎馬を中心とする騎乗兵を相手にすることになる。
さらに、食事時には戦いを仕掛けない、正々堂々と戦って勝敗を決める、というような暗黙の了解があったが、土地が変わればそんな常識は通用しない。
「敵は蛮族、卑怯なやり方で襲ってくる野蛮な相手にどう立ち向かわれるのですかな。」
執政官ガラムスの下位である政務官シブリルは皮肉ったような言い方でガラムスに問いただす。
「まずは軍を組織して向かわせなければ話にならぬであろう。」
国の制度がどういう形態になっても、言質を取って相手を蹴落すための道具にしようとする者はいる。それが出世のきっかけにならずとも、習慣的に言質を取って意味もなくマウントを取ろうとしてくる。
組織が大きくなれば、足を引っ張るだけの無能な味方は増えていく。
「やれやれ、無策なまま出発する気ですか。これではねぇ。」
執政官を支えるなくてはならないはずの法務官シブリルは、両手を広げて挑発するようにお手上げのポーズを取る。
・・・フーム、いきなり突っかってくるとはやっかいだな。
戦の準備で忙しいガラムスは部下の無礼な態度にムッとしたが、それ以上は追求しなかった。シブリルはガラムスの敵派閥に属しており、ガラムスを失脚させるために送られた人物でもあった。
それでも敵対関係にある政務官シブリの言うことも一理ある。
どうやって三倍以上のボロンカス族の大軍を叩くかは頭の痛い問題でもある。
・・・いくら無能でも味方の軍の足を引っ張ることはあるまい。
法務官は二人いる。自派閥から出したもう一人の法務官アントンに留守のことを任せ、練兵の終えた3万のラーマ軍は出発する。
〇 〇 〇
ガラムス率いるラーマ軍が、ボロンカス族軍に包囲されている都市カリストの手前10kmほどのところに到着したのは二週間後。
天気も良く、途中の村や町に炊き出しを頼んでいたので兵站の心配をすることなく順調に進軍していた。
一方、出発から一ヶ月はかかると思っていたボロンカス軍は油断して斥候を放って警戒することを怠っていた。
「ラーマの法務官シブリルよりガラムス率いるラーマ軍団出発の一方が入ってから早や二週間。迎撃の準備は遅々として進んでいないようですが、あまりにも油断しすぎではないですかな。」
ドルイド(魔法使い)ポートンは族長ロンドスに苦言を呈していた。
ドルイドは遊牧民たちの間を旅して回り、各部族間の調停や祈祷などの儀式をし、時には政治や軍事の指南役として意見する立場にいる。
いくらラーマ内に内通者を持っていたとしても、大国ラーマの都市を略奪することの危険性をよく知っているのだ。
「何の心配をしているのだ。こちらは三倍以上の兵がいるのだ、負けるわけがない。戦いのことは我らに任せておけ。」
族長ロンドスは酒杯を片手で掲げ上機嫌で答える。
「左様左様、都市を包囲している間に周辺の村や町から略奪した戦利品を見よ。大戦果だぞ。これが笑わずにいられるか。」
「今夜も祝いじゃ。前祝いじゃぁ。ハァッハッハァー。」
族長の取り巻きの将軍たちもすっかり酔っぱらっていた。
「とにかく、明日からはしっかり警戒態勢を取ってくだされ。」
酒宴が続く中でドルイド・ボートンの声は空しくかき消えていた。
〇 〇 〇
翌朝、辺りが明るくなり始めた頃にボロンカス軍はハチの巣をつついた騒ぎになっていた。
「敵だ。ラーマ軍がいるぞ。」
明るくなった草原の先から、ラーマ軍の軍旗を掲げた集団がこちらに向かって進軍してくるのが見えた。
「兵たちを叩き起こして整列させよ。急げ。」
族長ロンドスは右往左往する兵たちに向かって何度も大声で叫び続ける。そのうちに包囲していた都市からも数千の駐屯兵たちが出撃、ボロンカス軍を向かって進軍し始める。突然の敵兵の出現と都市からの兵の出陣に、ボロンカス族の兵たちは動揺して立ち尽くしていた。
「動け、戦列を敷くのだ。」
ロンドスは声を枯らして叫び続ける。
そのとき、一群の騎兵部隊が整列して向かってくるラーマ軍に突撃していった。
「タコレルの騎馬軍が突撃していったぞ。」
数は千騎にも満たない軍ではあったが、見方が整列するまでの時間稼ぎには十分だ。それを見た味方の兵たちも次々と集まりだし整列し始める。なんとか間に合うかに見えたボロンカス軍は、蓋を開けてみれば1万にも満たない数しか集まっていなかった。
人は、大勢の中にいると恐怖が伝染する。ほとんどの兵はパニックになって、家族を逃すため、また自分たちの財産を守るために馬車や馬に荷物を積んで逃げ始めていた。
十数万の軍勢であっても、突然の出来事に冷静に対応できる者は一割にも満たない。
族長の息子タコレルが奇襲に気づいて突撃した部隊でさえ、統一性もなくバラバラに突っ込んでいったため一瞬で蹴散らされて時間稼ぎ程度にしかならなかった。
その後、集合した一万ほどの軍も戦列を整える前にあっという間に囲まれ、戦意を喪失した兵たちは続々に降伏していった。
声を枯らして叫び続けていた族長ロンドスは、巻き返しが不可能と悟ると従者の者たちとともに一目散に逃げ出した。逃げ遅れた者たちはすぐに捕らえられ、その中には族長ロンドスの子供や妻などの一族も含まれていた。
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