第6話 有力諸侯

タルトン平原の小高い山に砦を築いたポンニウス陣営では軍事会議が開かれていた。


「こちらの兵力は相手の三倍。決戦しない手があるのか。」


有力貴族たちが勇ましい声を上げると、他の貴族たちも追従する。


「決戦には早すぎる。まずは相手が食料不足で弱るのを待つのだ。そもそも、持久戦に持ち込むと決めたばかりではないか。」


普段は人の好いポンニウスだが、このときばかりは声を荒げて反論した。

しかし、名誉と欲しか考えていない他の貴族たちはしつこく食い下がる。彼らは戦地で勝利して凱旋する自分の姿ばかり思い描いているため、正しい判断ができないでいるのだ。


「私も今はまだ決戦の時ではないと思います。相手もここまで来て引き返すとは思えません。もう少し相手の出方を見守って絶好のチャンスを待ちましょう。」


副官の騎兵隊長ラビンススが重い口を開いた。戦場では馬に乗り、先頭に立って槍を振るって敵を蹴散らす英雄として、兵たちだけではなく貴族たちからも一目置かれていた。


「ムムッ、ラビンスス将軍がそう言うのならここは様子を見るとしよう。」


数を頼みに生きる貴族たちは、一度言い出したら相手を屈服させるまで止めることを知らない。

狭い貴族世界の中において、一度言い出した意見を簡単に取り下げるのは屈辱に等しく、途中で間違いに気づいても簡単に意見を取り下げるようなことはしないのだ。


・・・やれやれ、なんとか収まったか。


ポンニウスは心中で安堵する。味方の兵力は相手の3倍、騎兵の数もポンニウス派の方が多いが、ほとんどは戦経験の少ない新兵や貴族たちが連れてきた従者や奴隷たちで構成されていて、1万を超える騎兵でもほとんどの者は戦いの経験がないのだ。


対するガラムス派は数こそ少ないが半数以上は戦いなれている古参兵で構成されている。戦場において何よりも心強いのは、弓矢や投石器より、数々の戦場で生き抜いてきたという『経験』だ。それこそが最高で最強の武器となる。


「やはり決戦は無謀か。」


軍事会議が終わった後、ラビンススはポンニウスに尋ねる。


「確実に頼みにできるのは数の暴力とあきらかに過剰な物資だけ。今のところ砦に立て籠る持久戦しか手はないのだ。」


「数を頼みに包囲殲滅というのではダメなのか。」


「相手はガラムスと戦慣れしている古参兵たちだ。対してこちらは新兵と指示通りに動いてくれそうもない貴族たち、簡単に突き崩されるのは目に見えている。」


「そうか。」


そう言うとラビンススはエールを口に運ぶ。


「相手が飢えて弱るのを待つのが一番の得策だ。弱ったところを叩けば必ず勝てる。」


ポンニウスは自分に言い聞かせるように呟く。

首都ポロネースから大勢の貴族たちと共に支配地域の属州に落ち延び、多くの有力貴族や富裕層を味方に付け、富と名声では絶対的に有利なはずのこの状況で、なぜか打つ手が限られていた。


だが、ポンニウスは勘違いをしていた。底辺の貧民貴族から才能で成り上がって富裕貴族の仲間入りをすることはできた。だが、狭い貴族社会で立ち回っているうちに大多数を占める一般市民の存在が見えなくなっていた。

戦う前から、資金力や動員力で優っているはずのポンニウス自身が、なぜか追い詰められていることを肌で感じている。


・・・私は一族の繁栄とガラムスの独裁を阻止するために戦っている。なぜ市民たちのほとんどはガラムスを支持するのか。


国が小さかった頃は、ポンニウスたちが理想とする富裕貴族たちの高貴なる義務による政治体制で問題はなかった。

しかし、領地が拡大し人口が増えれば一部の貴族たちだけでは国の統治はできなくなる。さらに、世代を重ねるうちに貧富の差が増大し、貴族のほとんどは没落し一般市民どころか、奴隷たちとの生活レベルの差がほとんどなくなっていた。


ガラムスが目指すのは、一部の富裕層が独占している領地のほとんどを貴族やラーマの市民たちに再分配すること。

貴族だけが動かしていた経済を、圧倒的多数の市民たちの手で動かすこと。それを実行するためには、権限の強い独裁体制が必須であり、市民たちの一部はそれがわかっているのでガラムスを熱烈に支持していた。


ポンニウスも貧乏な市民たちをなんとかしたい、という気持ちはあったが、永年に渡って裕福な生活をし、富裕貴族たちから煽て上げられて来たため、ガラムスの進める急激な改革には多少の抵抗はあった。


・・・ラーマの伝統を守るためだ。


いつの頃からか、保身のため、何よりも自分が築いた財産を守るため、認めたくない現実から目をそらすようになっていた。


☆ ☆ ☆ 奇襲


ガラムス軍はタルトン平原着くと、ポンニウス軍陣地の目と鼻の先にある1kmほど離れた小高い山に陣地を構築し、そのままの状態で睨みあいは一ヶ月ほど続く。


数万の兵が一ヶ所に留まるということは、そこに一つの大きな町ができることになる。そこには頻繁に食料などの物資が運び込まれるだげなく、近隣の村や町から物資などの物売りや商売人などが出入りし始め、一週間後には常設されたにぎやかな市も開かれていた。


その間、こっそり抜け出した兵士たちはお互いの陣地の見学をしたり、敵同士で暢気に酒を酌み交わしたりすることもできた。

当然、その中には間者が紛れ込み、情報収集をしたり偽情報を流したり、有力な貴族たちと密会して交友関係を築く者たちもいた。

兵たちだけでなく貴族たちさえも生き残るための努力は惜しまない。


「相手の砦の様子はどうだ。」


ガラムスは敵の砦の様子を探って帰ってきた間者たちに話しかける。


「はい、思惑通り食糧庫を中心に守りを固め本陣もすぐ近くに設営されており、貴族たちは奇襲に巻き込まれないよう離れたところに移動して陣屋を築いています。」


「そうか、うまく行ったようだな。それでは各部隊の隊長たちを集めろ、作戦会議を行う。」


作戦会議は暗くなるまで続き、その後各部隊に作戦が伝えられた。

翌日、兵たちは日が昇る前に朝食を済ませてから静かに砦を出て、明るくなる前に敵の砦の近くまで行き大量の槍を飛ばせるバリスタと投石器をセットし明るくなるのを待つ。


辺りが明るくなり始めた頃、敵のポンニウス陣営から炊飯のための煙が立ち始めたのをみて、ガラムスの軍の部隊長たちは砦への攻撃を命じる。


「かかれ かかれー。」


砦内とはいえ、一斉に石と矢と槍の雨が降り注いだポンニウス陣営には多数の死傷者が出て大混乱状態に陥った。

パニックになって喚きだす者、逃げ出すのは良いが、逃げ出す先がわからず走り回るだけの者、突然の出来事に泣き出す者など、反撃のための行動を起こせない者が続出した。


新兵だらけの軍の中では、突然の出来事に誰も対応できずにいる中、ポンニウスや部隊長たちが駆けずり回って兵たちを落ち着かせようと走り回っていた。しばらくするとガラムス側の兵たちが砦の柵を壊して砦内に侵入して暴れまわり、食糧庫に火をかけて回った。戦果は上々だった。


しかし、所詮は多勢に無勢。兵10万以上が守る砦に1万ほどで奇襲をかけても勝てるわけはなく、一時間ほど経つとポンニウス軍の副将ラビンススが1万近くの配下の兵たちとともに援軍に駆けつけると、体力的に限界点を迎えていたガラムスの兵たちは戦うことなく撤退していった。


本来ならここで兵をまとめ、数に任せて追撃すればガラムス軍の砦を落とすことも可能だった。しかし、朝から何も食べていない新兵たちは疲れ切って呆然と座り込んでいた。


「追撃戦だ。敵が撤退している今こそ反撃のチャンスだ。全員立て、我らの自由のために戦うのだ。」


ポンニウスは声を張り上げて追撃に向かわせようとするが、座り込んだ兵たちはみんな沈黙していた。

そんな中、砦の前線でガラムス軍の撤退を見守っていたポンニウスと副将ラビンススに衝撃の報告が届く。


「将軍、報告します。貴族たちの営舎が襲われ、大量の物資が奪われました。」


二人は燃える食糧庫群を抜け、貴族たちの営舎に向かうと、そこには多くの犠牲者が転がり貴族たちの営舎のほとんどは燃えていた。


「やられたな。こちらが狙いだったのか。」


ラビンススは思わず口に出して悔しがる。

貴族たちは首都ポロネースから脱出するとき、金銀や奴隷たちだけでなく高級家具や高級服などの物資も大量に持って来ていた。ガラムスの狙いはそれら物資の略奪だった。

その策を悟ったポンニウスの顔から血の気が引いた。


「これで貴族たちの抑えは利かなくなる。」


この数ヶ月の間、ポンニウスは黙って砦に籠っていたわけではない。

周辺の属州に使者を送りこちら側に協力するよう要請し、ほとんどの属州からの支持を取り付けていた。

そのため、この程度の損害でポンニウスの有利が傾くことはなく、ここでは負けを認めて都市に引き返し持久戦を狙い、各個撃破に努めればガラムス軍は自滅するはずだった。


〇 〇 〇


その日、ポンニウス陣営では夕刻に開かれた軍事会議でポンニウスと副官のラビンススが貴族たちに突き上げられていた。


「食料のほとんどは燃やされ、当面の資金も奪われたぞ。当然、すぐに追討軍を出すのだろうな。」


貴族たちは、財産を奪われたが敵の砦は目の前にある。今すぐ兵を向ければ簡単に取り返せると考えていた。


「いや、この砦は引き払って都市トラルルに撤退する。他の属州の支援も取り付けたので、時間を掛ければかけるほどこちらが有利になるのだ。」


ポンニウスは冷静に状況を説明する。本音を言えば、多くの古参兵を率いるガラムス相手に、数倍程度の新兵では歯が立たないのを実感していた。まともにぶつかり合っても勝ち目はないのだ。


会議は紛糾する。有力諸侯たちがポンニウスを担ぎ上げたのだから、ポンニウスの決定に従うべきなのだが、財産を奪われ頭に血が上った有力な貴族たちはしつこく決戦を要求し続けた。


「ここまで屈辱的な敗戦をしておいて、まだそんなことを言っているのか。」


「まぁまて、皆の者そんなに興奮するものではない。さてはポンニウスよ。ひょっとして貴殿は合法的に手に入れた大権を手放したくないだけではないのか。」


叔父のコルタムスが静かな声でポンニウスを問い詰める。


「今さら何を、私への大権の移譲は皆が合意したではないか。その私が持久戦術を取ろうとしている。それだけのことだ。」


「ここには元老院の高官たちもいる。皆が決戦を望んでいるのだ。共和政的に決めるべきではないか。」


「何を・・・、私は共和政を守るために労苦に耐えている。」


「戦いを恐れているだけではないのか。」


「臆病者め。」


他の貴族たちも声を荒げ始めた。ポンニウスへの風当たりは強い。


「もういい、それならば決戦する。陣幕をたため。大言壮語を吐く貴様らも相応の覚悟をして戦いに挑むように。」


ポンニウスはしつこい貴族たちの決戦要求に、激情に駆られて決戦を決意させられたのだった。


「ふん、何を恐れることがあるというのだ。我らの数的優位は揺らがぬ。」


「この内乱は我らが名の下に精算されるのだ。」


早速、貴族たちが率先して使者を立てる。

使者は怪我をして逃げ遅れたガラムス軍の捕虜を三人選び、残りの捕虜を三人の目の前で殺害してから送り出した。

殺害を指示したのは副官のラビンススだった。会議で裏切りを疑われたため、忠誠を示すために積極的に捕虜の殺害に加担したのだ。


「これでガラムスも決戦から逃げることはできないだろう。」


貴族たちは安心したかのように笑みを浮かべ静かに見送った。


「使者たちの目の前で仲間の捕虜を殺害すれば、ガラムスが決戦を避けようとしても部下や兵たちが黙っていないはずだ。我らは今後のことを相談しようではないか。」


その夜、貴族たちは次の各政務官の人選や、ポンニウス派に味方しなかった元老院議員や貴族たちの粛正リストを作って大いに盛り上がっていた。


〇 〇 〇


「ポンニウス殿、何か作戦はあるのですか。」


「もちろんだ。もっと弱らせてから使おうと思っていた策だがここで使うしかあるまい。ラビンスス、作戦の要である騎兵隊の指揮を任せる。ガラムスの首を取るまで地の果てまで追い続けろ。

奴は一度負けたぐらいでは引き下がらぬ。ここで逃がせばさらに厄介な大軍を率いて戻ってくることになる。」


「まさか、周辺の属州はこちらの側になったのでは。」


「ガラムスとはそんな甘い相手ではないのだ。奴を支持する者たちはラーマの大多数を占める市民や解放奴隷たちだ。」


「あなたは平民派の元老員議員たちの支持も取り付けているではありませんか。それでは足りないのですか。」


「ラビンスス、君は気づいていないのか、平民出身者とはいえ選挙を経て元老院議員になったというだけで新興貴族の仲間入りをするのだ。私が知る限り、貧しい市民たちの本当の声がわかるのはガラムスだけだ。」


・・・そうだ、陰ながら貧困市たちに寄り添うガラムスを応援していた私が、いつの間にかガラムスを追い詰める側になっている。なぜこんなことになってしまったのか。


一瞬そんな考えがポンニウスの頭を過ぎるが、今はそんなことを考えている余裕はない。


「一体あなたはどちらの味方ですか。民主政を守るために独裁を狙うガラムスを討つのではないのですか。」


ラビンススの言葉にハッとする。


・・・お前までそんなことをいうのか・・・。


周囲を多くの王国や強力な部族長を持つ遊牧民族に囲まれるラーマ共和国は元老院という元首組織によって統治されている。

周辺の国々は王や部族長が倒されれば国として機能しなくなるが、ラーマは元老院によって認定されたトップの執政官が倒されても、すぐに次の執政官が選ばれ断続して戦い続けることができる。


そういう意味では、新興貴族を生み出すだけの選挙にも実利があるが、平民に選ばれるだけの選挙が民主制かと言われれば疑問も残る。

千人もの奴隷と広大な農地を所有する貴族がいれば、貧困から家族を売り最後は残った自分をも売る没落貴族もいる。底辺層では飢えて行き倒れる者や、親に捨てられた浮浪孤児も多く存在する。彼らは市民としても人としても見られていない。


見たくない現実に対しての言い訳として『我らは神に選ばれた者だからそれでいいのだ』という考えも存在する。


・・・ガラムスはどう考えるのだろうか。いや、ここでこの迷いを断ち切るのだ。


ポンニウスは考えるのを止めた。


「わかっている。ここまで来たらガラムスの首を取って勝たなければ、私だけでなく私たちの一族が粛正の対象になるのは目に見えている。」


ポンニウスはそう言うと立ち上がって、詳細な打合せをするために各隊の部隊長たちを集めるよう指示する。

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