【KAC20244】はじめてはエンドロールの中で

貴葵 音々子

はじめてのささくれ

「いたっ」


 洗い物をしていたマコトが蛇口を止めて急に指を引っ込めた。不思議そうに右手の中指と薬指を見ているので、皿を拭いていたアーティも隣から覗き込む。


「あー、ささくれが剥けちゃってますね」

「ささくれ?」


 爪の付け根の皮膚がわずかに剥け、青白い指先に痛々しい赤が散っている。

 首をかしげるマコトの手を引いて、二人は一旦ソファへ移動した。テーブルに置きっぱなしだった鞄の中からアーティが取り出したのは、チューブタイプのハンドクリーム。指先に少量を取り、水仕事の後で冷たくなった手に丁寧に塗り込む。


「乾燥してると爪の周りの皮膚がめくれ上がっちゃうんです。特に水仕事した後とか。ちゃんと保湿ケアしてあげないと、どんどん増えちゃいますよ?」

「それはやだなぁ」

「というか、ささくれ知らないんですか?」

「うん。はじめてなった」


 アーティは一瞬目を丸くして、すぐに「そっか。そうですよねぇ」と、懐かしさを噛み締めるようにつぶやいた。

 最近まで不老不死だったマコトの自己修復力は知っている。ささくれなんて無縁だったのだろう。


「なら肌荒れとか日焼けもしたことないんですか?」

「気にしたことなかったなぁ」

「風邪引いたこともなかったり?」

「うん」


 少しの異常なら瞬きの間に回復してしまうような身体だった。日常生活における軽微なダメージや体調不良は存在しないも同然。だが、今はもう違う。


「マコト先生が体験したことがない色んなことが、これからたくさん待ってますね」


 自分よりも大きな手を慈しみながら、アーティはそんな未来を想像して口元を綻ばせた。

 誰とも違う存在だったマコトが経験したことのない「当たり前」が、まだまだたくさんある。それが例えようのないほど嬉しい。


「じゃあ、アーティと一緒にたくさん『はじめて』を見つけられるね」

 

 絆創膏を貼られた指を見て、マコトも幸せそうに微笑んだ。

 痛みすらも愛おしさに変えて、二人のエンドロールは続いていく。

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