透明な花とそれから            KAC20243

福山典雅

透明な花とそれから

 透き通るような月明かりが夜空に広がり、星のかがやきが随分遠くに感じられた。僕は部屋の窓から夜空をながめながら、そんな夜を楽しんでいたんだ。


 僕は32歳になっていた。別に大した事じゃない。先生もそう言っていた。部屋のテーブルの上には真新しいチョコレートの箱が置かれていた。イタリアのなんとかというメーカーのものらしいんだ。普通の板チョコなんかと比べると随分と大きくて、つい興味のまま試しにメジャーでサイズを測ったら、42センチ×28センチ×8センチある事がわかった。合計で78センチだ。僕の測り方が間違っていなければいいんだけど、随分と中途半端な数字だ。


 僕は合計78センチの箱から、大きなビー玉ほどのチョコレートを取り出して口にほおり込んだ。もぐもぐと食べながら、僕は箱について考えてみた。


 78センチの箱、丁度数字を数えるのなら「7」と来て「8」だから、そういう部分では随分素直な数字でもある。何事も素直な方がいいと先生が言っていた。僕は素直という意味が良くはわからないけど、きっと滑り台みたいなもので、座ってしまえば勝手に楽しくさせてくれるものならいいなって思った。


 僕はもうひとつチョコレートを口に含んでから、机の上に置かれているPCの画面を開いたんだ。これは日課だ。必ずしなければいけないって事もないけど、僕としては出来る限り頑張ろうと思っている。何事もね、自分なりにっていうのが大事なんだ。


 白いノートPCは昔から僕が使っていたモノらしい。らしいっていうのはね、何もぼかした言い方がすきな訳じゃなくて、そのままの意味なんだ。


 僕は28歳の時にとても酷い病気をした。それは世界中で流行ったもので、僕は何日も生死の境を彷徨って、どうにか熱が下がってこうして生きているんだけど、目を覚ますとよくわからない事になっていたんだ。


 僕はそれまでの記憶がすごく曖昧になっていて、例えばイメージは湧いても言葉を思い出さなかったり、すごく疲れやすくなったり、睡眠時間がバラバラになったり、もう随分と困った毎日を送っているんだ。


 でも、その中で一番みんなが心配しているのは、記憶が消えてるのと伴って「感情」的な部分をすっかり見失っているらしいんだ。おかしいよね。僕としてはちゃんと毎日、自分の「感情」を感じているんだけど、どうも違うらしいんだ。


 とてもむつかしくて説明出来ないけど、どうやら僕はそれまでの自分とすっかりかわってしまったらしい。変な話だ。僕は僕なのにね。


 それで僕は先生に言われて過去の僕が書いていた日記みたいなもの? を毎日読む事にしているんだ。むつかしくて何を言いたいのかよくわからない内容だけど、僕の過去でもあるし、もちろんところどころではあるけど、思い出せそうな事も書いてあって、僕は繰り返し毎日読んでいるんだ。


 そこに書かれている内容はとてもふくざつで随分ややこしい。かいつまんで言えば、僕には子供の頃からとても好きな女の子がいて、名前は佳奈さんと言うんだけど、すごく好きだったって事は思い出せるんだ。そして同じくらい好きな親友がいて、名前は祐樹くん。僕は二人をとっても大切に考えていたんだけど、佳奈さんと祐樹くんの結婚式の日にとても酷い事をしてしまったんだ。


 僕はその結婚式の挨拶の時に、佳奈さんを好きだって言っちゃって、あっさりフラれちゃうんだ。馬鹿な事をしたなって思う。でもそんな僕を二人はなんだかほっとしたみたいに受け入れてくれて、許してくれたんだ。


 それで僕はなんとなくきまずくて、しばらく海外赴任とかして二人と距離を置いてたんだけど、そこで病気になっちゃったっていう事。これはね、多分天罰なんだ、僕が悪い事をしたから、すっかり神様は怒ってしまってこらしめてやるぞって決めたんだと思う。


 それで最近日本に帰って来て、この施設で療養をしているんだけど、まぁ、いつまで続くんだろう。僕は大人だから働かないといけないんだけど、みんなは暫く休みなさいって言うし、先生もそうした方がいいというから、のんびりさせてもらっているんだ。


 そうしてね、僕が少しは落ち着いたみたいだから、明日はその佳奈さんと祐樹くんが遊びに来てくれるらしい。僕は今でも二人が大好きだからそれが楽しみで、こうしてチョコレートをたべてもらおうと準備したんだ。あっ、でも待ちきれずに少し食べちゃったけど。でも、まだたくさんあるから大丈夫だよね。それで僕はワクワクしながら眠ることにしたんだ。




 翌日、僕は大好きな目玉焼きとベーコンとトーストを食べて、食後にコーヒーとクッキーを頂いていたら、佳奈さんと祐樹くんが遊びに来てくれた。内緒だけど少し寝坊したから、時計の針はもう10時過ぎになっていて、僕は慌てて身支度をして二人と久しぶりに再会したんだ。


 僕は二人に会った瞬間、すごく嬉しくなってニコニコした。でもね、なんでかしらないけど、二人共泣いちゃった。僕はそんな哀しい顔をしないでって、いつもよりも頑張ってしゃべって、どうにか二人に元気になってもらおうとしたんだ。


 でも、まったく効果がなかった。一生懸命に喋るのを無視して、二人は僕を強く抱きしめた。そして祐樹くんが「……なんで、なんで、お前だけがこんな目に……」って言うし、佳奈さんは「……健太くん、健太くん……」って号泣しちゃってる。僕はね、すっかりあせってしまって、「大丈夫、僕は二人が大好きだから、そんなに泣かないで。大丈夫だから、ねっ、泣かないで」って何度も、何度も、お願いしたんだ。だってね、酷い事をした僕を神様が怒ってこうなったんだから、ぜんぶ僕のせいなんだ。二人は何も悪くない。僕はね、今日二人に会って仲良くしたら、きっと神様が許してくれるんじゃないかと思っていたんだ。



 そのまま二人が泣いちゃうものだから、先生や他のみんなが来てしまって、僕らは一度落ち着こうってなったんだ。仕方ないよね。僕はなんだか部屋の中にいたら気分が暗くなりそうだったから、中庭に散歩に出たんだ。


 とっても天気が良くて、庭にはお花もたくさん咲いているのが綺麗だった。もう5月も終わりだから、新緑がすごく青々としていて、元気だなぁって僕は思った。この中庭には変なものが置いてあるんだ。僕はね、もう大人だから全く必要ないんだけど、小さなブランコがあるんだ。子供用なのに僕だって座れちゃうのが不思議だけど。


 そこで僕はいつものベンチじゃなくて、今日は天気がいいからそのブランコに座って揺られてみる事にした。そよ風が吹いていてとっても気持ちいい。するとね、こちらを見ている女の子に気がついたんだ。多分5歳くらいかな? さっきもね、彼女は佳奈さんと祐樹くんに会っている時に、ドアの隙間からこっそりのぞいていたんだ。たぶん、二人の子供だなって僕はすぐにわかって嬉しくなっちゃたんだけど、おしゃべりできなくてとても残念に思っていたんだ。だから、僕は彼女ににっこり微笑んで手をふって、おいで、おいで、とよんだんだ。


 佳奈さんにそっくりな長い髪と、祐樹くんみたいに目元が涼し気で、とても可愛い女の子なんだ。僕の呼びかけに彼女は少し困った顔を浮かべた。でもね、僕はどうしても話してみたかったから、すこしずるい手を使う事にした。僕はね、ブランコから立とうとしてわざと大袈裟に転んでみせたんだ。すると彼女は「あっ!」」って声をあげて、すぐに走って来てくれた。


「……お、おじさん、大丈夫?」


 不安げに見つめる彼女に、僕は起き上がって地面にあぐらをかいてから頭を下げて、「ごめんね、君が来てくれそうになかったから、お芝居したんだ、えへへへ」と笑って見せた。すると彼女はすごくびっくりした顔をして、少しだけほほを膨らませた。だから、僕は「ごめん、ごめん、そうだ、チョコレートをあげるよ。ほんとはね、君のパパとママと一緒に食べようと思っていたんだ。よかったら一緒に食べない?」って言って、ブランコの横に置いてたチョコレートの箱を取ってぱかって開いたんだ。


「遠慮しなくていいよ、すごくおいしんだ」って僕がそう言うと、彼女は恐る恐るチョコレートを手に取ってくれた。


「僕は健太。君の名前は?」

「……里奈……です」


 チョコを食べてリスみたいに頬を膨らませ、小声でそっと答えてくれた。僕は彼女を隣のブランコにのせてあげた。そして「もうひとつどうぞ」ってチョコをすすめると、少し警戒心を薄めてくれたのか、彼女はやっと微笑んでくれた。


 それから少しだけブランコに揺られてお喋りしたら、すぐに打ち解けてくれた。僕も彼女と話すとなんだか楽しい気分になれた。僕はチョコレートの箱のサイズの合計が78センチだと教えてあげて、それは「ラッキーセブンの7」と「末広がりの8」だから、きっと食べると幸福になれるよって教えてあげた。そして「末広がりって何?」と聞かれ、僕は「幸せを見失わずに大切にしてたら、どんどん膨らんでいく事だよ」って教えてあげた。


 暫くしてから、彼女が急にブランコを止めて僕に真面目な顔を向けて来た。


「あのね、おじさんはパパとママの友達なの?」

「うん、そうだよ」

「今日ね、パパもママもすごく怖い顔をしてて、あんまりしゃべってくれなかったの。おじさんが病気だからすごく心配って言ってた」

「ああ、そうだったのか。でもね、何も心配しなくていいんだよ。僕はね、この通り元気なんだ」

「でも、……でも、さっきおじさんと会って、パパとママが泣くのを見たの。すごく、悲しそうで……あんなパパとママ初めてで……」


 そう言った瞬間、彼女は今にも泣きそうな顔になった。


「だから、どうしたらいいかわからなくて、私も辛くなって……、ひっく、ふぇっぐ……」


 僕が「あっ!」って思ったら、彼女の瞳から涙がポロポロと溢れ初めてしまった。


「うわぁあああああああああああああああああああああん」


 突然の涙に僕はとても驚いてしまった。


 だから僕はすぐにブランコを降りて、彼女の側でひざをついて、頭を優しく何度も撫でてあげた。


「大丈夫だよ、大丈夫。何も心配する事はないんだ。実はね、おじさんは昔、君のパパとママにすごく酷い事をしたんだ。でもね、君のパパとママは僕をあっけなく許してくれた。それがね、僕にはすごくありがたかったんだ。僕はね、そんな君のパパとママが大好きなんだ。だから心配しなくていいよ」


「わぁああああん、ひっぐ、でも、ひっぐ、全部おじさんがわるいの、ひっぐ……」

「そうだよ、僕が悪いんだ」

「……ひっぐ、おじさんのばかぁあああああ、うわぁあああああん」

「そうだね、ごめんね、ごめんね……」


 僕はひらすら彼女に謝りながら、頭を撫で続けた。そしてようやく落ち着いてきたのか、泣き止んでくれて、その真赤な瞳を僕に向けた。


「ひっぐ……おじさんは、ひっぐ、……おじさんは、パパとママと本当に仲良しなの?」

「もちろん!」

「なんで、仲良しなのに泣かないといけないの?」

「それはね、僕はこの通り元気だけど、多分まわりから見ると病気かもしれないからなんだ」

「……悪い病気?」

「ううん、そんな事はないよ、ちょっとだけ色々な事を忘れているだけさ。きっとそのうち思い出すよ」

「もし、思い出せなかったら?」

「それでも平気さ。でもね、これだけは言える」


 僕はそう言うと彼女の小さな肩に両手を乗せて、しっかりとその小さな瞳を見た。


「あのね、お願いがあるんだ。いいかい、君には覚えていて欲しいんだけど、もしね、もしも僕がいない場所で、今日みたいに君のパパとママが泣いちゃう様な事があったら、どうか伝えて欲しんだ。僕はね、君のパパとママが大好きで、その気持ちだけは、なにがあろうと失くさないって。何があっても絶対に失くさないから安心してって。僕は二人の事が、とても、とても、大切なんだ、僕の一生の友達なんだ。だからね、何も気にする事はないんだってね」


 僕がそう言って微笑むと、彼女もやっとニコっとしてくれて「うん、わかった、きっと伝えるね」って笑ってくれた。


 それから僕は少し足が痛くなったんで、立ち上がって背伸びをした。その時に真っ白な雲が空を気持ち良さそうに流れていた。僕は何も考えずに、のんびり雲を眺めてれば、きっとみんな幸せなんだと思ったんだ。




                                FIN













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透明な花とそれから            KAC20243 福山典雅 @matoifujino

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