内見の怪

深川我無

内見の怪  柏木圭介の過ち


 

 新婚だろうか……きっと新婚だろう。

 

 膨らみかけた女の腹に目をやり、柏木は一人得心する。

 

 仲の良さそうな新婚夫婦は住宅の内見に夢中で、柏木のことなど目にも止まっていないという風だった。

 

 ならばこちらからわざわざ声を掛けることもあるまい……

 

 柏木はそう考え、新婚夫婦の少し後を付いて回ることにした。チラチラと視線の端に映る影を見ないようにして……

 


「いかがでしょう? 駅や生活圏にも近いですし、自転車なら保育園にも一五分圏内ですよ?」

 

 柏木がにっこり笑ってそう言うと、妊婦の方が顔を顰めた。

 

 柏木も思わずシンクの上に鎮座した影に目がいく。

 

「あの……いかがなさいましたか……?」

 

 恐る恐る声をかけると女は言った。

 

「私達、保育所は嫌なんです! 産まれてくる子どもにはちゃんとした愛情を注いであげたいんで!!」

 

「ああ……! なるほど……!! ホームスクーリングですか? うちも今考えてるところなんです!」

 

 そう言うと女の顔がパア……と明るくなった。

 

 次々と口から溢れる女の持論を聞き流しながら、柏木は思う。

 

 ふう……意識が高いならこんな都心に住むんじゃないよ……


 保育園だって大抵の場合はちゃんと愛情を注いでくれるだろうに……


 何より……アレが見えていないようで良かった……

 

 

 無事に契約を結び終え、柏木は安堵のため息をついた。


 手帳を開き、予定を確認するとすぐに次の予定が入っていることに気付き憂鬱になる。



 カランカラン……


 ベルの音が客の来店を知らせた。



「いらっしゃいませー」

 

 柏木はゴクリと息を飲む。

 

 人懐こそうな若い女の後から、鋭い目つきの男が入ってきたから。


 男はこちらをじっと見つめて目を細めている。


 その目を前にすると柏木は、自分の秘密が全て見抜かれたような、ひどく落ち着かない気持ちになった

 

 言葉に詰まってると、若い女が口を開く。

 

「こんにちわ! 予約していた万亀山まきやまです。お願いしていた内見の件で来ました」

 

「あっ……はい! そうでしたね……! それでは早速物件の方へ……」

 

 柏木の車に乗り込み、三人は女性の一人暮らし向けマンションへと向かう。

 

 オートロックのエントランスとシックなピンク色の外観をひとしきり見学してから、三人は部屋の内見に移った。

 

 独立したバスルームと洗面、使いやすそうなキッチン、落ち着いた色合いをしたフローリングのゆったりとした2LDK。


 大きな窓から差し込む明りに、女は目を輝かせる。


「先生!! いい部屋ですね!?」


「さあな」


 男はぼそりとそれだけ答えた。


 その言葉で女の顔がこわばる。

 

「先生……もしかしてんですか……?」

 

 男はすっと部屋の隅を指差す。

 

 何も無いリビングの角には、柏木にしか見えないはずのソレが佇んでいる。

 

 目玉を不規則に煽動させ、薄っすらと笑った唇からは血のが溢れ、身体を黒いビニール袋でぐるぐるに巻かれた女。

 

「すみません……ここって事故物件とかじゃないですよね……?」

 

 女の言葉に、柏木は首を振った。

 

「ち、違います……報告義務がありますし、何件遡ってもそういった事実は確認しておりません……」

 

「ああ。この部屋には何も憑いていない。憑いているのはだ……」

 

 男の指先が滑るように自分を指し、柏木の心臓が凍りつく。

 

「な……なんのことですか……?」

 

「さあな。依頼人でもないアンタに詳しく話す義理はない。だが助手の物件探しに関わったよしみだ。忠告だけしておいてやる」


 

 部屋の気温が下がった気がする。

 

 太陽が雲に隠れたせいで、部屋には暗い影が差した。

 

 その影の奥から男が言う。

 

「今の家から引っ越さないことだ……そこに住み続けていれば安全だ」

 

 

 

 結局客の女は部屋を契約していった。

 

 男が一言「問題無い」と言ったのが決め手になったらしい。

 

 やつれた顔で家に帰った柏木を妻の由美が出迎えた。

 

「どうしたの圭ちゃん? ひどい顔してるよ?」

 

「疲れたんだ……今日は変な客の内見が二組もあって……」

 

 柏木が教育ママの話をすると、妻は辟易した様子で言う。

 

「面倒くさいね……そういう人……」

 

「ほんとに……普通が一番だよな? それに……」

 

 男の話をしかけて、柏木は言葉をグッ……と飲み込んだ。

 

「それに?」


 続きを促す妻に、柏木は言う。


「それに……俺達の子どもが産まれる前に、できるだけ良い環境に引っ越そうな」

 

「うん」

 

 嬉しそうに笑いながら、おヘソのあたりを愛おしそうにさする妻を横目に、柏木は息を飲む。

 


 狭いアパートの一室、部屋の隅の暗がりに、アレが立っている。


 

 ニタニタと笑う口元から、血の泡を垂らして、アイツがこっちを見ている。

 

 ぐるぐるとせわしなく動き回る目で、アイツが僕を見ている…!

 


 何が引っ越さなければ安全だ……!!


 

 ふつふつと湧き上がる逆恨みにも似た怒りが、柏木の背中を押した。

 

 柏木はカバンの中から物件の資料を取り出して妻に差し出す。

 

「どうかな? うちの物件でいいところがあるんだ。ローンの支払いは今の家賃より少し高くなるけど、環境もいいし、部屋も広くなるよ」

 

 真剣な眼差しで物件情報とにらめっこしていた由美が明るい顔でこちらを見つめる。

 

「うん……! いいと思う!」

 

「じゃあ、さっそく次の休みに見に行こう!」

 

 


 こうしてトントン拍子に引っ越しは進んだ。

 

 いつも内見の時に現れるアレが、内見当日に現れることは無かった。

 

 ローンの審査もスムーズに通った。

 

 新居に引っ越し、しばらくすると子どもが産まれた。

 

 

 その時からだ……

 

 ふと見た鏡の奥、視線の端、電気が消える瞬間に、アレの影が見えるようになったのは……

 


 引っ越さないことだ。そこにいれば安全だ。


 

 あの男の言うことは本当だった……

 


 後悔した時には、すでに手遅れだった。

 

 思えばあの日、、もうなにもかも全て、手遅れだったのかも知れない……

 

 

 柏木は顧客の個人情報が挟まったファイルを手に取った。

 

 万亀山かなめ

 

 そう書かれた書類の連絡先を見つめながら震える手でダイヤルを回す。

 

 数度の呼び出し音の後に、女が出た。

 

「はい? どちら様ですか?」

 

「柏木不動産の柏木です……あの……」

 

 少し躊躇ってから柏木は言う。



「あの……先生にご相談したいことが……紹介していただけませんか……?」

 

 柏木の背後ではビニール袋で封じられた女が、メリメリと音を立てながら袋を裂いて、傷だらけの白い手を伸ばしていた。

 

 まるで蛹が羽化するように、重たい呪いが、羽を開いたのだった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


こちらは、代表作【邪祓師の腹痛さん】の世界線で描いたショートストーリーになります。


腹痛さんの世界観に触れて頂ければ幸いです。


本編は下記リンクからどうぞ。

https://kakuyomu.jp/works/16817139555499753150

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

内見の怪 深川我無 @mumusha

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説