人鳥たちの星

藍﨑藍

人鳥たちの星

 その昔、人類はみなペンギンであった。そしてまた、人類の向かう先もペンギンである。

――『人類ペンギン論』(2024. 3. ●●)


 👦🐧👦


 かつてワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造を解明した論文のように。ヘックや根岸がクロスカップリング反応を発見した論文のように。ウィルムットがクローン羊を作成した論文のように。科学の根底を覆すほどの大きな発見は、得てして短い論文であることが多い。だが、短い論文が良い論文であるとは限らない。

 それはあなたも知っているであろう、かの論文『人類ペンギン論』にも当てはまった。


 あの論文がIFインパクトファクターの小さな科学雑誌に掲載されたとき、良識ある科学者の多くは相手にしようとしなかった。当然のことだろう。これまでの学説から考えて、「人類がペンギンを祖先とし、人類はペンギンに向けて進化している」など、あり得ない話であった。それに加えて筆者である●●は素性も怪しい人物であった。彼または彼女が学会の場に姿を現すこともなく、この論文は死んだように埋もれるはずであった。

 この雑誌の編集者にして『人類ペンギン論』を採用したエドウィン・ロックハートは後にこう語っている。「まさかこの論文が人類の未来を揺るがすことになるとは思ってもいなかった」と。彼自身、眉唾物の学説だと思っていたのだろう。炎上を狙っての掲載だったのかもしれない。


 だがしかし、進化生物学の世界的権威であるダニエル・スタローンが興味を示したことで状況は一変した。

「ペンギンは高い社会性と生存戦略を持ち合わせている。現時点で『人類ペンギン論』は根拠に乏しいと言わざるを得ないが、着眼点は面白い」

 スタローンが『人類ペンギン論』を支持する論文を出せば、彼と双璧をなすフリッツ・ヨーゼフ・コッホは反論する学説をすぐさま発表した。


 加熱する論戦は進化生物学のみならず、古生物学・遺伝学、システム生物学等はもちろんのこと、心理学や文化人類学、果ては「こういった議論が許されるのか」と倫理学までも巻き込んだ巨大な渦となった。

 そして、この渦に巻き込まれたのは学者だけではなかった。メディアやSNSで取り上げられる回数が増え、アカデミアとは無縁の一般市民たちこそが大きな影響を受けたと言える。


「いつかはペンギンになってしまうんだって思うと何もする気が起こらない」

「あれを信じるなんて知能が低すぎるだろwwウケる」

「これは地球を滅亡させる陰謀に違いない。今こそ人類が結束して立ち上がるべき」

「ペンギンはかわいいからええやん」

「遺伝子組み換えペンギンが研究所を脱走したって噂、聞いちゃった」

「祖先が何だろうと人類の進化の先が何だろうと今日あなたが幸せに生きることが大切。そう思うあなたは下のリンクをクリック!」

「鳥は鳥でも飛べない鳥ってのはちょっとね」


 盲信する者。全否定する者。そして無関心な者。全人類の頭に『人類ペンギン論』が浸透するのにそう時間はかからなかった。

 ペンギンの黒い羽根に見えるという理由で人種差別は激しさを増し、未来に絶望した人々は新興宗教に夢中になり、社会人マナー教室では「政治と野球とペンギンの話はするな」と教えられることになった。

 マイナージャーナルに投稿された一本の論文がここまで大きなインパクトを与えるなど、人類の誰が予想していただろうか。


 そして人類がことの次第に気がついたときには、すでに手遅れだったと言える。


 🐧👦🐧


「おまえ、本当に魚ばっか食ってんな」


 声をかけられた青年は曖昧な笑みを浮かべる。ビールジョッキを片手に、腕を肩に回してきたのは会社同期の人間だ。


「別に何を食べようと僕の勝手だろ」

「わぁーってるよ、それくらい。魚ばっか食って、ペンギンみたいだとかデリカシーのねぇことは言わねぇよ」


 赤ら顔で相当出来上がっている人間は、案の定数分も経たないうちに畳の上で寝息を立て始めた。酒類を嗜まない青年はいつも酔い潰れた人間の介抱をすることになる。暑すぎる店内から一歩外へ出ると、気持ちの良い風が吹いていた。


「○○君の家はわかる?」


 一つ上のメス個体は白い息を吐き、困ったような呆れたような顔で青年の背中に乗ったオス個体を見る。青年は穏やかに笑う。


「数十キロ先でもわかりますよ」


 魚で腹が満たされた状態で数キロ移動する程度、青年にとっては朝飯前のことだ。むにゃむにゃと寝言を立てるオス個体を彼の部屋へ入れ、体が冷えないようにそっと布団をかけてやる。

 そして立ち上がり、それを冷然と見下ろした。人間の体はなんて寒さに弱いのだろう。


 青年が自分の部屋――巣に帰ると、愛しい相手が青年を待ち構えていた。


<遅かったじゃない>

<人間の世話をしていたんだよ>

<あら、面倒見が良いこと>

<まずは友好的にやらなきゃね>


 青年を待ち構えていたメスのヒゲペンギンはフリッパーをぱたぱたと動かし、うっとりと青年を見た。全身のホログラムを解いた青年――オスのヒゲペンギンもまた、それに応えるように体全身を震わせた。


共同保育所クレイシの様子はどう?>

<問題ないわ。赤ちゃんたちも順調に大きくなってきたわね>


 ひとしきり愛情表現を行ったあと、彼女はよたよたと冷房の効いた部屋を歩いた。パソコンの前の椅子に飛び乗ると、その画面をフリッパーで示す。


『これを見て。人間たちは自分たちが人間であることに疑いを持ち始めたわ』


 彼女が彼に見せたのは、混乱し始めた一部の人間たちの様子だった。


 彼や彼女のように高度な知性を有するペンギンたちは、人間たちの手によって秘密裏に生み出された。元々有していた社会性や適応能力に加え、遺伝子組み換え技術により人間の言語を解するようになった彼らは、自分たちの置かれた状況を理解して愕然とした。


 温暖化によって一部の地域のペンギンたちは増加している一方、絶滅寸前まで追い込まれている仲間たちがいることに初めて気がついたのだ。そしてその原因は人間にあると考えた。

 このままでは人間によって人鳥ペンギンたちの星が奪われてしまう。だが、人間たちに正面から挑んだところで勝ち目はない。

 そう考えた彼らは敵地である人間たちの社会に潜り込むことにした。海に潜って獲物を仕留めるのは得意だ。同じように社会に潜り込み、少しずつくさびを打っていく。

 当然、全ての人鳥ペンギン種が賛同したわけではなかった。図体だけが大きく縄張り意識の低い連中や、臆病すぎて逃げ出す連中もいた。しかしペンギンは時に危険を冒してでも海に飛び込まなければならない。これは我々ペンギンの命運を賭けた負けられない戦いなのである。


 そのために、彼らはありもしない学説をでっち上げた。ペンギンたちからすれば、ペンギンと人類が同等というこの上なく屈辱的なものであった。しかし身を切るようなその作戦の効果は想像していた以上だった。社会的な生物は、いとも簡単に他者の影響を受けてしまうからだ。


 長い時間をかけて人類を洗脳してきた結果は少しずつ表れている。各大陸、各国に潜り込んだ同士たちが、衆人環視のもとで本来の姿を見せると『人類ペンギン論』を信じ込む人類は急速に増えた。そして海に飛び込む者まで出てきているという。


<ねえ、この星を私たちが取り戻せるまでにはあとどれくらいかかるかしら>

<長い戦いだよ。僕らの寿命が尽きても、子供たち、孫たちがきっと成し得てくれるはずさ>


 🐧🐧🐧


 人類はまだ知らない。この星の覇権が少しずつ奪われようとしていることを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人鳥たちの星 藍﨑藍 @ravenclaw

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画