第8話 家族という檻

 学校の帰り道にある公園のベンチに、僕はピーコと並んで座っていた。午前中だけの授業を終え、帰宅途中のひと時である。ちなみに広場を突っ切った向こうの端には、先月僕を拒絶した公衆便所が、改修途中のまま見切れている。沙絵さんの家はもう少し先なので、顔を合わせることはないだろう。友達と一緒にいるのを見られるのは、少々気恥ずかしかった。


「アスムくんは、アドバイスしようとしないから、話しやすいね」

 突然ピーコが言った。

 公園裏の駄菓子屋までジュースを買いに行ってくれているヤマトがいない隙に、彼女は何を言おうとしているのだろうか。

「ヤマトも親身になってくれるんだけど、解決策を探ろうとするのよね。ああしたらどうか、こうしたらどうかってうるさいの」

 それは、ヤマトが真剣にピーコを心配してるからだろうと言いそうになって、僕は言葉を呑み込んだ。「心配だから」は、親がよく使う詭弁きべんだ。子供の気持ちを考えずに土足で踏み込んでくる。心配しさえすれば何をしても構わないという大義名分でもあるかのように。

「何かあった?」

 そう尋ねてみる。聞いたからと言って解決できるわけがないが、ピーコは話したがっているのだと思った。きっと、自分で多くの解決策を探って、諦めた結果の愚痴である。だからアドバイスなど何の役にも立たない。

 ピーコは結局第一志望は諦め、ワンランク下の高校を受験した。担任の説得で親も渋々それを認め、問題は解決した筈だった。けれど根本的なものは何も変わっていないのかもしれない。彼女の表情が、そう告げていた。

「子供にプライバシーって無いのかな?」

 独り言を呟くように、ピーコは言った。

「家のこと?」

 尋ねるとピーコは小さく頷き、曇りかけている空を仰いだ。

「没収したスマホの暗証番号をしつこく聞き出そうとするの。断ったけど、勝手に誕生日なんかを入力してロック解除しようとしてた。何でそんなことするんだろうね。自分がされたら、きっと怒るくせに」

 ちょうど戻って来たヤマトが「何の話?」と尋ねる。ピーコは仕方ないといった表情で、同じ言葉を繰り返す。

「それは……、あれじゃないかな? ピーコの事が心配で……」

 案の定、ヤマトが地雷を踏んだ。ピーコの眉が吊り上がる。

「心配だからって、何をしてもいい訳?」

「あ、いや……」

 余りの剣幕に、ヤマトが口ごもる。ピーコはヤマトを睨み付け、唇を噛んだ。

「こないだ、ヤマトが手紙くれたじゃん」

 ピーコの言葉に、ヤマトの視線が不安げに彷徨う。落ち着け、と目で合図して、僕はヤマトの手からペットボトルを取り上げた。


 先日、ヤマトはピーコに手紙を書いた。今どき手紙なんて、と思うが、ピーコは親に携帯を取り上げられているから仕方がない。

『最近ピーコ元気がないから、励ましたくて』

 ヤマトは、そう言っていた。

 ヤマトのお母さんが出張先で買って来た、ご当地キティのキーホルダーに添えた手紙は、きっとラブレターだったのだと思う。自分では渡さずに、僕がピーコの家まで届けにいったのだから。

 手紙を受け取ったピーコは何となく嬉しそうで、僕は二人が上手く行くといいと思っていた。

「夕食前だったから、後で読もうと思って机の引き出しに入れておいたの。だけど、お風呂から上がって見てみたら見当たらなくて。引き出しをひっくり返して探したけど、見つからなかった。キーホルダーはあったの。手紙だけが、消えてたの」

 ヤマトが息を呑むのが分かった。

「お父さんが帰って来て暫くして、両親に呼ばれた。開封した手紙を見せられて、叱られた。第一志望の高校も受けられないくせに、恋愛にうつつを抜かしてるんじゃないって」

 ピーコの唇が震えていた。

「手紙は返してもらえなかった。夜中にトイレに起きた時、リビングから両親の声が聞こえたの。手紙の文面を声に出して読んで、二人で笑ってた……」

「やめろピーコ」

 僕の言葉に、ピーコはびくりとして顔を上げた。

「もうやめろ。ルール違反だ」

 人が聞いて傷付く内容を、自分に共感してもらう目的で話してはいけない。あいつは悪い奴だから、お前も被害者だから共に怒れ、と強要することは、相手をコントロールしようとする卑怯な手段だ。

「……ごめん」

 ピーコが呟く。

「そうかあ。俺が変な手紙書いたから、迷惑かけちゃったなあ」

 ヤマトが頼りなく笑う。

「違うの。そうじゃなくて……。ごめんヤマト」

「いや、そもそも俺が『心配してるから』なんて無責任な第三者みたいな事言ったからいけないんだ。ごめんな」

 顔を上げたピーコが、奇妙な生き物を見るような目でヤマトを見た。

「あんた、何でそんなにいい奴なの?」

 泣きそうで笑いそうなピーコの顔が面白くて、僕は笑いでその場を収めることにした。つられて笑い出したピーコとヤマトの声が重なり、場の雰囲気が一気に和やかになる。

「ジュース飲もうぜ。ほらピーコも」

 ヤマトから取り上げたペットボトルを配る。受け取ったピーコの顔が再び変になるのを見て、僕は手にしたペットボトルに目をやった。

「何だこれ……醤油しょうゆ?」

 五百ミリリットル入りのペットボトルの形状は、醤油にしか見えなかった。横皺のある胴体に、醤油然としたラベルが張ってある。見慣れたようで少し違う傘のマークの下に「なんちゃってオレンジジュース」という文字を見ても、これがジュースであるとは到底思えなかった。

「チェリオの自販機で買ったんだ。面白いだろう」

 ヤマトが言う。

「まず、お前が飲めよ」

 僕が言うと、ヤマトは躊躇ちゅうちょなくふたを開けて口をつけた。

 毒見役どくみやくが何ともなさそうなので、僕たちも恐る恐る一口飲んでみる。脳がバグって味が分からなかった。

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