第4話 いちご大福

 知らない家でトイレを借りた事を母に話したら呆れられた。

「もう、みっともないったらありゃしない。お礼に行ってきなさいよ。お母さんは行かないからね、恥ずかしいから」

 元はと言えば自分が鍵を掛けて出掛けたからだろうと言いたかったが、こちらの方が呆れてしまい、出かけた理由を聞く気にもならず、そこで会話を打ち切った。母の様子を見る限り、どうせ大した用事ではない。

喜納きのうさんのお家? 何がいいかしらね。そうだ、駅前に出来た和菓子屋さんで何か買って行きなさい」

駅前に和菓子屋なんてあったっけ? そう思いながらも、とりあえず頷き、僕は席を立った。

「お金、置いとくから。余ったら返しなさいよ」

「は~い」

 追って来る言葉に背中で生返事を返して、僕は安全地帯である二階へと階段を上がった。



 新装開店の花が飾られた和菓子屋のショーケースの前で、僕は固まっていた。

 色とりどりの和菓子は、とても綺麗だ。梅の花をかたどった淡いピンク色の練り切りに、一口大の干菓子。餡子と皮が別々になった、自分で仕上げる最中。生クリームが入ったどら焼き、抹茶カステラ。桜餅。

 知らない名前の和菓子もあった。柚餅子、桃山……。値札の下に書かれた説明書きを端から読んでいく。松露しょうろって何だろう。錦玉羹きんぎょくかんと書かれた透明な羊羹ようかんの中には、金魚が閉じ込められている。

 どれがいいのか、さっぱり分からない。そもそも何で和菓子なんだ。クッキーとかケーキとかマカロンとか、洋菓子系の方が良いのではないだろうか。そんな考えが頭を過る。けれど一旦入った店を出るのも憚られ、結局カウンター前で三十分近く悩んだあげく、僕はいちご大福を買う事にした。

 求肥ぎゅうひで出来た白い大福から大ぶりのいちごが顔を出しているそれには、「一番人気」のPOPが添えられていた。母から貰った二千円でちょうど五個買える。消費税分は小遣いから出せばいい。

 これなら喜んでくれるかもしれない。彼女の笑顔を思い出して口元が緩み、店員に「いちご大福、好きなのね」と勘違いされた。


 彼女は、喜納沙絵きのうさえさんといった。彼女の亡くなったお祖母さんが住んでいた家に、一年ほど前に夫婦で引っ越してきたのだという。結婚していると聞いて少しだけショックだったが、旦那さんを紹介されて、それは和らいだ。

 御主人の雅尚まさなおさんは、明治の文豪みたいに青白くて痩せていて、でも、とても優しい声で話す人だった。縁側に灰皿を置いて、咳をしながら煙草を吸っていた。

「お土産を頂いたの。お茶を淹れるわね」

 沙絵さんが声を掛ける。

 和菓子屋の白い箱を開けた沙絵さんは、大きな眼をもっと大きく見開いて、ぽかんと口を開けた。

「いちご?」

 驚いた様子でそう言った後、まじまじと箱の中を見詰める。彼女の口角が上がるのを確認するまで、胸のドキドキは止まらなかった。やがて彼女は顔を上げ、僕に向かって微笑みかけた。

「美味しそう」

 左頬のえくぼが、彼女を少女のように見せた。


 沙絵さんの家は木造の平屋だ。玄関を左に折れるとすぐに縁側がある。左右に開け放たれた障子は細かい桟で区切られ、中央にある硝子には笹の葉のような模様が入っていた。板張りの壁には柱時計が掛けられていて、何かに遠慮するかのように、振り子が小さく時を刻んでいた。

 ふすまの向こうには内廊下がある。その向こうは台所だろうか。丸いお盆を持って出て来た沙絵さんは、金の模様が入った和皿にいちご大福を乗せ、黑文字を添えて勧めてくれた。

「お持たせですけど」

 茶托に乗せられた湯呑茶碗には蓋が付いていて、何となく大人扱いされたような気がして嬉しかった。

 沙絵さんに呼ばれて、縁側にいた雅尚さんが立ち上がる。その向こうに不思議なものを見つけて、僕は身を乗り出した。

 盆栽だろうか。枝を左右に広げた小さな木の上に、六本の細い軸が真っ直ぐに立っている。生け花のようだった。木の枝で出来た台座に突き刺したように垂直に立つ細い幹に枝はなく、先端に飾りのように葉の塊があった。

「ああ、あれ?」

 沙絵さんが言う。

「北山杉っていうの。この人が苗を植えたのよ」

 正確には、北山台杉というらしい。植林が難しかった京都の山で、出来るだけ多くの良質な丸太を得るために考え出された技法で、横向きに生えた丈夫な元枝(取り木というらしい)だけを残し,それを土台として上向きに吹き出したわき芽を育てていくのだそうだ。

「面白いでしょう」

 軸のように細い幹は、刺したのではなくちゃんと枝から生えているのだと聞いて、信じられなかった僕は、縁側から降りて杉を真上から覗き込んだ。側に来た雅尚さんが、取り木の葉を手で避け、立ち木の根元を見せてくれてやっと、僕はそれを信じることが出来た。


「甘い苺だ」

 いちご大福を一口食べて、雅尚さんが驚いたように言った。

「もう一つ、いいかな?」

 もっとたくさん買ってくればよかったと、少しだけ後悔した。沙絵さんは箱に残った二つを雅尚さんと僕の皿に移すと、自分も黑文字を使った。

「美味しい」

 沙絵さんの目が細くなる。

「こんな美味しいもの、初めて食べた」

 これほどポピュラーな和菓子を知らないわけがない。僕を喜ばせるための冗談だと分かっていたが、少々誇らしい気持ちになったのは確かだ。


「また遊びにおいで。次は気を遣わなくていいから」

 帰り際、雅尚さんがそう言ってくれた。

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