第3話 受験生

 僕とピーコは、実は幼稚園からの付き合いだ。部活がないときには一緒に帰ることも多い。普通なら付き合っているという噂が立つところだが、中学から仲良くなったヤマトがいるお陰で、妙な噂を立てられることもない。

 ピーコの家は父親が会社員、母親が専業主婦という、校区では一般的な家庭である。三つ年上の成績優秀な兄がいるせいで、両親の愛情は兄にばかり注がれ、妹であるピーコはいつも肩身の狭い思いをしている。というのは本人談だ。

「女の子って不自由なのよ。お兄ちゃんは夕食の片付けもしないし、服だって脱ぎっぱなし。なのに散らかってると私が叱られるの。気が付いたらお兄ちゃんの分も片付けなさいって。どうせ将来、家事をしないといけないんだから、今から練習しておきなさいって。時代と逆行してるよね」

 今どき家事の分担は当たり前だが、そうでない家も、まだまだ多いのだろう。僕の家も御多分に漏れず、その傾向がある。父も家では家事をするが、祖父母の家に行った時などは何もせず、ぐうたらしている。一度理由を尋ねた事があるが、「お父さんが動くと、お母さんが叱られるから、あえて」という奇妙な回答が返って来ただけだ。

「試験前だって、それは変わらないの。勉強に使える時間に差があるのに『お兄ちゃんは優秀だけどお前は駄目だ』って。おかしくない?」

 ピーコの兄は、先日有名大学に合格したらしい。親戚中が兄をめそやし、最後に「心奈ちゃんも頑張らないとね」と付け加える。その度に母親は「この子は駄目なのよ。遊んでばっかりで全然勉強しないから」と答えるのだそうだ。

「それって、どちらかっていうとピーコより兄ちゃんの方が可哀想くね?」

 ヤマトの言葉に、ピーコが「何でよ」と反応する。

「だってさ、今どき亭主関白なんてモテないぜ。兄ちゃんが将来結婚するにしたって、家事が出来ない美人と家事が出来るブ……、いや、家事が出来るけど性格の悪い女と、家事は苦手だけど気立ての良い女性がいても、必然的に後者が除外されるわけじゃん」

「途中、気になるところがあったけど、スルーしてあげる」

 ピーコが言った。

「言いたいことは分かる。お兄ちゃん、彼女出来た事ないもん。ソファにふんぞり返って『心奈、お茶』なんて言ってる男と、付き合いたいなんて誰も思わないよね。ああ、将来が不安」

 額に手を当てて、ピーコは嘆いた。まあまあ、とヤマトが宥める。

「いいじゃないか。ピーコは家事も出来るし気立てもいい。それに……」

 何故かそっぽを向いて小さな声で「可愛いし」と言ったヤマトに、

「何? 聞こえない。もう一回大きな声で」

 耳に手を当てて聞き返すピーコを見て、僕は吹き出してしまった。


 ヤマトとは中学一年で同じクラスになった。運動が苦手な僕と違ってスポーツが得意な、そして素朴を絵にかいたような奴だった。それは今も変わらない。

 彼の両親はヤマトが幼い頃に離婚していて、母一人子一人の母子家庭だ。中学卒業後は就職も視野に入れていたヤマトは、絶対に大学まで行くよう、母親に「強要」されたらしく、奨学金を申請する予定なのだそうだ。

「こうなったら死ぬほど勉強して特待生になってやる」

 そう言っていたが、公立高校に特待生制度はない。私学で特待生になったとしても、入学金や授業料が免除になるだけで、その他の費用は免除されないから、結局は公立の方が安い。担任からそれを聞かされたヤマトは、随分とへこんでいた。


「さあ、帰って模試の勉強でもするかな」

 勢いをつけるように、ヤマトが声を出す。

「そうね。帰ろう」

 ピーコが応じる。

「頑張れ受験生」

 そう声を掛けた僕に、二人の視線が集まった。

「アスムくんはいいよね。もう行くとこ決まったんだから」

「毎日何してるんだ? ヒマなんじゃねーの?」

 少々意地悪な質問に、僕は鞄から入学準備用のテキストを取り出して見せた。高校に入ってすぐに実力テストがある。その結果をもって、一か月後にクラスの再編成があるのだ。入学試験の成績には内申書の点数が加算されるため、僅かだが学校間格差が生まれる。それを考慮して本当の学力を審査するのだと聞いた。辛うじて試験範囲のテキストが前もって渡されるが、その教材の中身は明らかに中学の領域ではなかった。

「げー!」

「アスムくん可哀想~」

 打って変わって同情的になった二人にニヒルな笑いを返した僕は、テキストを鞄に仕舞い、おもむろに立ち上がった。

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