第9話 モラトリアム

 桜舞い散る卒業式なんて、イメージの中だけだ。現実の桜の木は茶色い枝を寒風にさらし、どんよりとした曇り空は、明るい門出など演出しない。

 公立を受験した生徒たちは、発表を待つ緊張で感動どころではない。校長先生の長い訓話を聞き流し、僕たちはやっと「中学生」から解放された。

「これから暫くは宙ぶらりんだな。逮捕されたら新聞には『無職の少年』って書かれるんだろうか」

 ヤマトが言う。

「どんな犯罪を計画してるんだ? 万引きか?」

 僕の軽口に、ヤマトは呆れたように笑った。

「万引きなんて下らない事はやらないよ。俺の夢は世界征服だって言っただろう」

「武力で征服するんじゃないって言ってたくせに。結局犯罪なのかよ」

「うん。ショッカーの幹部になるんだ」

「……そうか。凄えな。頑張れよ」

 ちなみにショッカーとは、昔の仮面ライダーに出て来た悪の秘密結社だ。戦闘員は骸骨の模様の全身タイツを着た雑魚キャラである。

「もう、何言ってるのか分からない」

 ピーコが笑った。彼女の鞄には、ご当地キティのキーホルダーが下げられていたけれど、その後の二人に進展は無いようだ。手紙がどうなったのかも、僕は知らない。

 それでも良いのかもしれない。今の関係が壊れるよりは、きっと。公立の入試と卒業式は終えたけれど、その後には合格発表が待っている。束の間の執行猶予モラトリアム堪能たんのうするのも、僕たちにとって必要な事なのだろう。


「土曜日に法事があってさ」

 ヤマトが突然話を変える。そう言えば親戚の伯父さんだかお祖父さんだかが亡くなったと言っていた。

「大伯父さんな。爺ちゃんの兄貴。気難しいし、すぐ怒鳴るし、俺は苦手だったんだけど」

 ヤマトはベンチに鞄を下ろし、卒業証書が入った筒をもてあそんだ。ふたを取ると「ポン」という子気味のいい音がする。

「親戚の皆からも嫌われてたはずなのに、葬式では泣いてる人が結構いた。お通夜でも悪口は一切出なくて、いい事だけ話すんだ。俺は不思議だったなあ」

 心底不思議そうに、ヤマトは言った。葬式で悪口言われるようだったら、それこそ人として終わっているんじゃないかと思うが、死んだ途端に善人になってしまうという風習も、いかがなものかとも思う。

「俺はあまり好きじゃなかったって言ったら、死んだ人を悪く言うもんじゃないって叱られた。そんなもんなのかなあ」

「それってさあ」

 ピーコが口をはさむ。

「死んだから良い人になった訳じゃなくて、生きている人が許してあげてるだけじゃないのかなあ」

「許す?」

「うん。死んだらもう謝ることも出来ないし、やり直すことも出来ないじゃない。だから、可哀想だから許してあげてるの。そう思わない?」

 ヤマトも僕も、言葉を失った。もうやり直すことが出来ないから、取り返しがつかないから、だから許す。不思議な考え方だと思った。

「ピーコは大人だなあ」

 真面目な表情で、ヤマトがそう言った。


 大人と子供の違いとは何だろう。もしかしたら、どうにもならない現実があることを、受け入れられるかどうかの違いなのかもしれない。

 それは、世の中と自分が別物であることを理解しているかどうかの違いだ。思い通りに行かなかったとき、子供は外に責任を求める。外部が変わることを望む。それを甘えと言い切ってしまうのには抵抗があるが、多分そうなのだと思う。

 子供は大人に守られていて、だからこそ不自由なのだ。鳥籠の中で大切に飼われ、けれど生殺与奪せいさつよだつの権利を握られている。気付かなければならない。親ガチャに当たりなど存在しないことに。巣立たなければ何も始まらないことに。

 そして、その先は。大空を飛ぶ自由と引き換えに、僕らは庇護ひごというものを失う。いや、親たちは籠を持って、僕らを捕えようとするだろう。僕らはそれを拒否するのだ。


 うっすらと何かを理解しようとしている僕たちは、まだ子供で。そして、ほんの少しだけ大人になりかけていたのかもしれない。

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