第14話 北山杉

 手土産に持参した有名店のいちご大福は、白餡と小豆餡の二種類を三つずつ。改装されて綺麗になった駅舎を出て、僕は道を急いでいた。見慣れた筈の風景は少し形を変え、懐かしさと新鮮さを同時に感じさせた。

 道端で近所のおじさんに会ったので挨拶すると、不審げな視線を向けられた。

中務なかつかさです。二軒隣の」

 僕がそう言うと、おじさんは「歯医者の息子ぼうずか」と驚いたように言った後、

「大きくなったな」と、目を細めた。


 高校在学中の全ての長期休みを、僕は学校の寮で過ごした。家族や友人たちは会いに来てくれたけれど、沙絵さん達とは会う事が無いまま、僕は高校を卒業した。四月からは大学の近くで一人暮らしをする予定だ。

 沙絵さんは元気だろうか。変わらずに、あの家で暮らしているのだろうか。

 僕はまだ、あの頃と大差ない。今だって十分に子供だ。三年前と違う事はと言えば、自分が子供であることを認識しているかどうか。それだけだ。

 幾度も夢想した。彼女を連れて逃げることを。雅尚さんから、沙絵さんを奪い去ることを。進学は諦めなければいけないだろうけれど、選り好みしなければ仕事はある筈だ。二人寄り添って、生きていくことは出来るはずだ。

 けれど、僕は覚悟を決めることは出来なかった。

 今日、彼女に会って、僕はどうするつもりなのだろう。もし彼女が望むなら。待っていてくれたなら……。


 沙絵さんの家は変わっていなかったけれど、何処かに、微かな違和感があった。

 いつものように庭に廻りかけ、三年ぶりであることを思い出して呼び鈴を押した。心臓の鼓動こどうが耳に響く。

 格子戸がカラカラと音を立てて開き、沙絵さんが顔を出した。いつものエプロン姿ではなく、珍しいことにジーンズにトレーナーという格好だ。不思議そうに僕の顔を見て、首を傾げる。

「沙絵さん」

 どちら様? と訊かれそうな気がして、僕は先に声を掛けた。

明日夢あすむです。ご無沙汰してます」

 期待した笑顔は得ることが出来ず、彼女は益々ますます不思議そうな顔をした。

「お祖母ちゃんの、お知り合い?」

 彼女の口から出た言葉は、理解の範疇はんちゅうを越えていた。


「沙絵お祖母ちゃん、先月亡くなったの」

 彼女は、そう告げた。顔は沙絵さんによく似てはいるけれど、確かに声が違う。細く頼りなげな沙絵さんの声と違い、堂々とした張りのある声だ。別人なのだろう。親戚──姉妹であるとか、従姉妹であるとか、そんなところだろうか。しかし「沙絵お祖母ちゃん」というのは何だ。あの人の名前は沙絵さんではなかったのだろうか。この家に以前住んでいたという、亡くなったお祖母さんの名前をかたっていたのだろうか。いや、お祖母さんが亡くなったのは先月だと彼女は言った。益々頭が混乱する。

「どうぞ」

 彼女に誘われて、家の中に入る。四十九日を過ぎて、遺品整理の為に家族で来ているのだという。

「両親も弟もいるから、気にせず入って」

 玄関から左に折れる廊下の隅には薄っすらと埃が溜まり、古い家の匂いがした。

 縁側に続く廊下から何気なく庭を見て、僕は目を見張った。北山杉が大きくなっている。盆栽のようだった台座の幹は太く大きくなり、小さかった六本の立ち木は、隣家の二階屋根を優に越す程に成長していた。

 三年でこんなに大きくなるものなのか。感心して、僕は立ち木を見上げた。綺麗に枝打ちがされ、先端部分に細い葉が飾りのように残っているのが見える。

「ああ、それね。お祖父ちゃんが植えたんだって」

 先を行く女性が、そう言った。

 障子を開け、リモコンで灯りを付けると、LEDの白い光が居間を照らした。丸いちゃぶ台はそのままだったけれど、板壁は色が濃くなり、少し近代的になっていた家財道具は、何故か随分と古ぼけて見えた。

 居間には小さな仏壇があり、すぐ横の棚に遺影が二つ並んでいた。新しい方の遺影には、優しい微笑を浮かべた高齢の女性が映っていた。白い髪に包まれた小さな顔には確かに見覚えがあり、ふいに湧きおこった、懐かしさと愛おしさが入り混じったような感情に、僕は困惑した。

 ぼんやりと写真を眺めていた僕は、しわの刻まれた左頬に、小さなえくぼを見つけてしまった。

──ああ、沙絵さんだ。

 そう思った途端、身体から力が抜けるのを感じた。

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