神々に祝福されし力 Ⅲ
春も終わりかけ、初夏を感じさせる心地よい風が教室の中に吹いてくる。
学園に入学してから約三週間程経ち、実習の導入も多くなり、生徒達は学園に入学した実感を感じている時期であった。
今日も教室には担当教諭のレーナの声が響き渡り、生徒達のノートに文字を書き連ねる音がそれを調和するかのように聞こえてくる。
「これにて午前の授業は終了とする。午後の授業に遅れないように」
眠気に襲われていたノルドはレーナの終了の言葉と共に響くチャイムにより覚醒する。
まだ一年生の最初ということもあり、基礎の基礎。
当たり前のことをただひたすら聞いているだけあって、刺激もなく眠気を誘発される。
隣のへーラルはメモを書き留める回数は減っても、眠気のねの字もなく、顔を上げて真剣に聞いている。
「ほら、食堂行くわよ?」
フヴィルが痺れを切らし、ノルドの机まで足を運んできた。
「ん?そうだな......」
ノルドはあまり乗り気ではない回答をする。
というか動きたくないのが本音である。
「あんた、まだ気にしてるの?」
フヴィルは分かっている。
ノルドがここ1週間気にしていること。
そして周囲の生徒の目線に。
「いや、そうだろ?!だって俺......魔力値マイナスなんだぜ?!」
「そんなこと知ってるわよ」
「いやいやいや。ゼロですらなく、マイナスなんだぞ?!」
何を今更とフヴィルに対し、ノルドはまだ現実を受け入れられていない。
というより受け入れたくない。
周囲の生徒の目線の原因。
そしてノルドが気にしている原因。
それらは遡ること一週間前の魔道演習の話である。
レーナは声高らかにノルドの体質を話した。
まるで生徒達に知らしめるように。
マイナス10000。
レーナにより告げられたノルドの魔力値である。
レーナの意図は読めず、ノルドは今のいままで一度たりとも魔法が発動できない理由をこんな形で知るとは思っていなかった。
しかしノルドは魔法が発動できないのは魔力に原因があると、何となくだが察していたのだ。
ただノルドにとって予想外だったのが、魔力値がゼロではなく、マイナスに振り切っていることであった。
ノルドは地に手を付き、絶望したのか乾いた笑いが零れていた。
レーナの発言から沈黙が明け、生徒達はひそひそとざわつき始め、フヴィルはノルドに寄り添うように声をかけた。
「だ、大丈夫よ!これからじゃない!」
どう頑張っても無理だろとノルドはツッコミを入れる気すら湧かなかった。
(魔力値がマイナス?ありえるのかよ。そんなこと......)
レーナに向け視線を上げる。
やはり何の狙いか、何を考えているのか、何をノルドに求めているのか、皆目見当もつかない。
ただ嘘ではないことは表情から見て取れる。
だからこそノルドは現実だと受け入れなければならない。
それからその日の記憶が殆ど残っていない。
失望と絶望、不安や焦燥にノルドは脳を占領され、記憶という機能が一時停止していた。
翌日、ノルドはいつも通り登校するが、既に噂は広まっているらしい。
マイナス得点の時もそうであった。
生徒達からは奇異の目を向けられ、陰口を叩かれる。
「あれが魔力値マイナスの......」
「近寄らない方がいいな。魔力がなくなっちまう」
「賢者とは正反対だな」
言われたい放題、叩かれ放題である。
そんなノルドでも変わらず接してくれる人間はいる。
フヴィルとへーラル、そしてレーナである。
フヴィルは最初驚いていたものの、だからと言ってあんたが変わるわけじゃないわと言っていた。
初めて良い奴だなとノルドは感じたのであった。
へーラルも驚きつつも、魔法が全てではないと優しく包み込んでくれたのである。
良き友人を持ったとノルドは感慨に耽っていた。
しかし、それとは別にやはり自分のことである故に考えてしまい、気にしてしまう。
生徒達からも蔑まれ、忌避と奇異の視線を浴びせられ、気にせずいられる方が異常であると。
そうして一週間そのような日々を送り続け、今日に至り、未だに気にせずにはいられないのである。
「あーもう!いいから食堂に行くわよ!」
半ば強引に腕を引っ張られ食堂へ連行されていくノルドは歩くことを辞め、リードで引っ張られている犬のようであった。
へーラルはその様子が可笑しいのか笑いながら着いてくる。
こうしてまた変な目で見られながら食堂へノルドは連れて行かれ、萎縮しながら昼食をとることとなった。
「全く......自分のことを気にするならまだしも、他人の視線なんかどうってことないじゃない」
いや、あなたのメンタルが異常なだけですよと心の中でノルドは言った。
フヴィルのメンタルは異常である。
しかし、それは先天的もあるが、今までの境遇も起因しているのだろう。
「でも、ショックだったんだよね?今は自分のことに向き合って消化していこ?」
目の前に女神がおるとへーラルに向けて手を合わせてしまいそうになる。
無論ノルドはどこの宗教も信仰してはいないが......
これを機にへーラル教でも新設しようかと真剣に悩み始めていた。
「まあ、確かに聞いたことないわよね......魔力値がマイナスだなんて......」
昼食を頬張りながらフヴィルは零した。
ノルドも確かにその点についてはずっと気掛かりであった。
魔法が発動できなかったのは魔力に問題があるのは理解ができる。
そしてその魔力が全くない、つまりゼロであるならまだ素直に飲み込めていたかもしれない。
しかし現実はマイナスである。
そんなことが有り得るのか......
「前世で悪いことでもしたんだろう。だから神より天罰が下ったのだよ。なんせ今も平民で落ちこぼれなのだから」
その声はノルドの座っているテーブルからではなかった。
ノルド達の会話が聞こえていた。或いは聞いていた隣のテーブルの緑髪の男子生徒からであった。
ノルドはその生徒の顔を知らない。
ということは他クラスの生徒。
気品のある顔立ちであるが、その表情には侮蔑を前面に出している。
しかも取り巻きらしき生徒がいることから貴族の中でも中位以上だろう。
その貴族の生徒がノルドに向け、辛辣な言葉をぶつけてきたのだ。
ノルドは怒りや悲しみより心配が勝ってしまった。
何故ならノルド達のテーブルには狂犬がいる。
「あんた、それどういう意味?」
あー、終わったとノルドは顔に手を当てていた。
怒号は飛んでいないものの、言葉には明らかに怒気があり、ノルドから見てもフヴィルがキレているのがわかる。
これ以上は何も言わないでくれとノルドは心の中で願うが、現実はそう甘くない。
「意味も何も、そのままであるが?妖精種の小さな脳みそでは理解できなかったか?」
フッと明らかにノルドとフヴィルを見下し嘲笑うその男子生徒の態度にフヴィルは完全にキレた。
「あんた、良い度胸してるわね」
そう言葉を吐いた瞬間、ノルド含め周囲の生徒は身体を上から押さえつけられるような重圧を感じた。
見ればフヴィルの周りには翠緑のガラス玉のような粒子が浮遊している。
魔力を表に出した。
つまり敵意を視覚化しているのだ。
ノルドは今にも魔法を使いかねないフヴィルに対して冷や冷やしているが、その敵意を真っ向から受けているその男子生徒は全くもって動じていない。
「そこのエルフ。お前も例外じゃないぞ?」
こいつは馬鹿なのかとノルドは疑いたくなる。
今にも爆発しそうなフヴィルに挑発という選択肢を取ってくるとは思いもよらない。
怒りに肩が震え、次の言葉次第では魔法を放つであろうフヴィル。
へーラルもその様子におどおどしている。
「そもそも妖精種、特にエルフのような愚劣な民族は神に......」
フヴィルの中で何かが切れる音がノルドにも聞こえたような気がした。
右手をその生徒に翳し、最速で魔術式の外殻を構築。
そして必要な情報は絞り、最短で魔法の発動を実行する。
魔力の粒子も先程より増え、魔法の発動まで間もないことがわかる。
「あんたみたいなのが居るから......!」
そう怒気を孕んだ声と共に詠唱の段階へ入った瞬間であった。
フヴィルの視界に紅い一筋の閃光が映り込んだかと思えば、構築していた筈の魔術式はガラスが砕けたかのように崩壊し粒子状となって霧散した。
何が起こったのかと理解の及ばない状況に加え、いつの間にか男子生徒とフヴィルの間にノルドが割って入っていた。
「フヴィル、落ち着けよ。らしくないぞ.....」
完全に鳩が豆鉄砲な様子のフヴィルに対してノルドは事の収集を図る。
流石に魔道演習のような魔法をここで放たれれば、男子生徒だけでなく複数人の死者が出る。
「確かにお前が短気で頭に血が上りやすいのは知ってるけど、殺すまでは良いだろ」
「ノルド......あんたから食らいたいってことで良いのかしら?」
「いやぁ、冷静沈着で眉目秀麗、完全無欠でいらっしゃいますのでその右手を向けるのは辞めていただけないでしょうか!」
高速手のひらドリルをかましたところで、フヴィルは何とか落ち着きを取り戻した。
その一連の様子を見ていた生徒は被害に遭わないようにと距離を取っている。
男子生徒とその取り巻きは興が冷めたとかよくわからないことを吐き捨て、歩き去っていった。
「それにしても、あの緑頭本当にムカつくわね」
まだ怒りが収まりきらないフヴィルに対してノルドは冷静である。
そしてノルドは先の緑髪の男子生徒に見覚えがあった。
あまりフヴィルには関わらせたくないと。
あの生徒はフヴィルに一度......。
「二人とも、もうすぐ時間だよ......?」
今まで黙り込んでいたへーラルが口を開く。
その事実に二人は顔にやばいと出ている。
ノルドの思考は方向転換し、フヴィルと共に残った昼食をかき込んだ。
あの緑頭、覚えとけよと二人は苦しさと共に例の男子生徒へのヘイトが高まったのであった。
昼食を終え、生徒達は教室内にて午後の授業の準備をしていた。
その殆どは着席しており、定刻になることをそのまま待っているのだ。
レーナ教官の調教......正しくは教育のもと、時間管理は徹底されている。
その教官であるレーナも定刻前には教壇に立っている。
現状この一年五組の教室内で空いている席は三つだけ。
緑頭の男子生徒にちょっかいを出されていたノルド、フヴィル、へーラルの三席だ。
もう間もなく授業の開始を宣言しようという瞬間、勢いよく教室の扉が開け放たれた。
無音に近い教室内に響いたその音に一同の注目は注がれる。
ノルド、フヴィル、へーラルは肩で息をし、明らかに走ってこの教室に向かってきたのが見て取れる。
静寂を破ったのに対してか、授業開始前ギリギリに教室内に入ってきたことに対してか、はたまた両方か、バツが悪そうにノルドは頭を搔く。
「ギリギリだが、間に合ってはいる。良しとしよう。席に着きたまえ」
教官否、レーナ直々の許しが出たことに胸を撫で下ろし、三人は席に着く。
五月前とは言え、春も終わりかけである。
気温もそこそこ高く、走ってきた体に汗をかくには十分である。
じんわりと汗が出るのを感じながら、レーナの授業開始の声が響いた。
「本日より魔道史基礎に入る。読んで字の如くであるが、魔法の歴史を学ぶわけだ」
いつも通り授業は始まる。
レーナの声が響き、窓から入ってくる心地よい涼しい初夏の風、それと夏が来ることを思わせる日差しと気温。
何一つ変わらないいつも通りの授業の筈であるが、ノルドにはどうしても違和感が拭いきれない。
「魔道史と言っても基礎だ。まず序章の......」
「レーナ先生、それは魔法を学ぶ上で本当に必要なことなんですか?」
遮るように一人の生徒が声を上げた。
ノルドが感じていた違和感の正体。
それはノート、教科書を開いている生徒がいつもの授業に比べて極端に少ない。
それにより筆を走らせる音が全くしない。
ノルドが無意識に拾っていたBGMの一部が欠落していたのである。
そもそも歴史を学ぶ意義とは何なのか。
それを理解していなければ歴史とはただの情報であり、ただ記憶するだけの作業と化してしまう。
しかしその意義とやらを学園の一年、歳にして十五やそこらの年齢の少年少女達が理解できる筈もなく、それは態度として表れる。
つまり皆、歴史なぞ学ばずに魔法を学んだ方が早いと思っているのだ。
「ふふ。まあ、毎年毎年恒例と言うべきか......どの学年も最初の授業ではこんな感じだったな」
口元に手を当て、レーナは笑う。
未熟だと言われているかのような笑み。
そしてその笑いは質問をした生徒の癇に障るには十分であった。
「何が可笑しいんですか?歴史なんて学ばなくても魔法は学べますよね?だったら継続して魔道学や魔道演習をしていた方が上達すると思いますが......」
「言いたいことはわかる。最初に流れを話そうと思っていたが......まあ良い。では質問だが魔法の......我々が有する魔力の起源を君は知っているのか?」
先程とは一転、レーナはその生徒の眼を真っ直ぐ見つめる。
まるで射抜くように鋭く見つめられたその生徒は言葉に詰まってしまう。
沈黙だけが教室内を支配する。
「知らずに.....知ろうともせずに今までもこれからも使おうと言うのか?魔力は使いたいが、それが何で、何処から、何時からあったのか知ろうともしない。しかし魔法は上達したいと......?」
明らかな挑発であった。
この年齢の人間は簡単に血が昇る。
しかしレーナも大人であり、それを承知している。
その生徒が爆発するよりも先にレーナは続きを話した。
「まあ、起源なぞ知らなくて当然だ。私含め現代に生きる人間全員知らない。そこまで魔力の起源について解明されていないからだ」
「そんなこと知らなくても魔法は使えます!だったら......!」
何が言いたいのかと理解できないレーナに対し痺れを切らした先の生徒が吠える。
先の挑発もあり、心穏やかではないだろう。
しかし、とレーナはその生徒の発言には耳を傾けずに続ける。
「古代の文献の解読により、わかっていることもある」
その生徒も今度は黙り込み、再び静寂が教室内に訪れる。
しかしレーナにとってそれは皆が聞いていることを確認したという間であり、レーナは続きを語る。
「それは魔力が“神々に祝福されし力”ということだ」
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