神々に嫌われし者 Ⅰ
日常。
いつも見ている光景、耳を傾けずとも聞こえてくる音、そして当たり前となり気にならなくなった匂い。
要素は様々であるが、日常に至るには時間を要する。
今まで地方のような田舎に住んでいた者であれば、森や田畑、昆虫や家畜に牧場等が日常として存在する。
一方王都のような栄えた都心に住んでいる者であれば、大通りのような石畳や人でごった返しになった商店通り、自然とは掛け離れた建物の群れが日常である。
日常とは人によって、場所によって、その時代によって変わる。
そして日常は移り変わる。
かつて山や森で暮らしていた者も都心で暮らしていた者も移住すれば日常ではないものに触れ、そしてそれが日常になる。
そう。今のノルドのように......
今日も今日とて教室にはレーナの声が響いている。
目に映り込んでくる情報も無意識にも嗅覚に訴えてくる匂いも授業の最中聞こえてくる音も声も今となってはノルドの日常となっており、逆に今までの生活が非日常となっている。
今の生活が日常になる程には時間も経ったのだと感慨深いものを感じるが、今はそれよりも気にしなければならないことが脳を埋め尽くしている。
ノルドの日常をというよりフヴィルの日常を壊そうとしている者。
緑髪の貴族生徒・オリバーという人物を警戒せねばならないこと。
フヴィルがそのオリバーに負けたと思い込み、そして落ち込んでいるということ。
何よりもこれで終わりではないというのが一番厄介である。
日常を壊されない為にも、フヴィルを......友達を守る為にも動かなければならない。
(二度とあんなことにはさせない......)
ノルドは密かに誓うのであった。
時を同じくしてフヴィルも考えていた。
日常となったこの生活を脅かされるのは気分の良いものではない。
ましてや自分だけでなく、友達まで貶され、それを守ることもできなかったのは許せることではなかった。
しかし、あのオリバーの余裕そうな態度と順位という瞭然とした事実での敗北。
(私が魔法で負ける......?ありえない......)
それは許せない事実であり、払拭せねばならない事実だ。
今も尚、刻々と進む時間の中、授業すら聴覚からシャットアウトされる。
屈辱に下唇を噛み、悔しさに拳に力が入り、爪が皮膚に食い込む痛覚だけが伝わってくる。
絶対の自信があった故に負けたことが許せない。
これは友達の為でもあるが、自分の名誉とプライドの為でもある。
姿は見えないが、自分より後ろに座っているノルドとへーラルを守らなければならない。
(私は大賢者グランドセージになる!だからこそこんなところで、あんな奴に負けてられない......!)
決意を固め、決してこの屈辱を振り切って立ち上がるわけではない。
この屈辱を抱え、そしてそれを晴らす為に進む。
自分の名誉の為、この日常を壊されない為、そして友達を守る為に......
(俺が......)
(私が......)
((何とかする!!!))
二人の決意と同時に午前の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
午後の授業は魔道演習である。
いつも通り昼食を食堂で済ませ、中庭の演習場へ向かう。
相変わらずフヴィルは落ち込んでいるというより大人しかった。
昼食の時間が一番オリバーと出くわしやすく、いつもより雰囲気がピリついている。
それを察してか、へーラルも敢えて声はかけていなかった。
魔道演習の授業の為か、いつもより集合具合が良い。
(いつもより多い気がするな......それに見たことのない顔も多い)
ノルドは違和感に気づくと同時に嫌な予感がしてならない。
魔道演習の授業を楽しみにしている生徒は多い。
ただ、それにしてもいつもより人が多く、見たことの顔の殆どが貴族の生徒である。
「誰かと思えば、罰当たりとエルフの女じゃないか」
この声と嫌味な言い方、今一番会いたくない人物が声をかけてきた。
フヴィルの表情が強ばる。
それもその筈である。
その声の主は無駄に整えられた緑髪と飾りの取り巻きを引き連れたオリバーである。
強ばった表情から敵意を剥き出した鋭い目でフヴィルは睨む。
「何であなたがいるのよ。今日の魔道演習は私達のクラスよ」
「フッ聞いてないのか?今日は合同授業だぞ。そうでなければ、貴様のような奴と授業を受けるわけがないだろう」
そんなこと一言もレーナは言っていなかった。
しかし今はそんなことは良い。
もしそれが本当であれば最悪だ。
今回の魔道演習から対人で行うと前回の授業の最後に言っていた。
オリバーは恐らくフヴィルを相手に選ぶだろう。
そして十中八九何か仕込んでいる。
ノルドはそれが確信たる理由がある。
「こちらこそ願い下げよ」
「まあ、いいさ。精々邪魔だけはするなよ?」
そう捨て台詞を吐き、オリバーはその場から去った。
フヴィルの表情が暗い。
やはりオリバーという存在はフヴィルにとって悪影響でしかないのだ。
オリバーとの絡みで気が付かなかったが、中庭に集まる生徒も大分増えた。
そしていつの間にかレーナの姿もある。
定刻が近い証拠だ。
いつからか定刻を知らせる象徴と化したレーナは珍しくも授業開始前に話し始める。
「まだ定刻前ではあるが、本日は二クラス合同の授業に加えて対人演習である。くれぐれも怪我をしないように」
その発言に生徒達は授業を楽しみにする者、対人演習に不安が募る者の二極化されている。
フヴィルも本当であれば前者の人間である筈なのだが、どうやらオリバーが影響しているらしく、浮かない顔をしている。
それから少し経ち、午後の授業“対人魔道演習”が開始された。
「ルールは簡単だ。開始の合図と共に戦闘を開始。降参するか戦闘続行不能と判断された場合の負け。開始前に攻撃を仕掛ける。又は死に至らしめる、重傷を負わせるレベルの魔法を使用した場合失格とする。武器を使用する者は基礎体術で使用している物のみとする」
(げっ.......まじかよ)
ノルドはレーナの最後の言葉により一気に絶望に叩き落とされる。
自分の慣れ親しんだ武器を使用禁止にされたのである。
魔力値のマイナスのノルドからすれば絶望的だ。
しかし、それよりも今はフヴィルの心配である。
ルールにより重傷、死亡の可能性は低くなったが、それはあくまで失格となるまで。
使用してしまえば、失格だろうがフヴィルは怪我を負うことになる。
ただフヴィルも魔法に関しては学生の中でも上位だ。
そもそも負けるというのが考えられないが......
「最後に組み合わせだが、好きな相手とすると良い。こちらでは特に決めたりはしないので各々探すように」
その言葉を最後に生徒達は自分の対戦相手を探し始めた。
ノルドからすれば面白くはないのだろうが、対戦の申し込みの数は人によって目に見えて違っていた。
フヴィルの申し込みをする人間は全くもっていない。
それもそうだろう。
成績上位に加えて魔道演習の壁貫通事件だ。
殺して下さいと言っているようなものである。
それに対してノルドには長蛇の列。
長年愛された老舗のような賑わいに本来喜びたいのだが、これはつまり弱いのが確実だとわかっているから相手として選ばれたのである。
(全然嬉しくねえ......)
一人断り、また一人と断り、フヴィルの元へ向かおうとノルドは試みるが、数が多すぎる。
本当はファンクラブなんじゃないかと疑いたくなる程の人気。
人の壁に阻まれ、フヴィルの元へは辿り着けそうにない。
そんな中、人の壁の隙間からフヴィルの元へ向かう一人の人間が見えた。
一歩、また一歩とフヴィルの元へ歩を進めるその人物。
ノルドがフヴィルに挑ませないように阻止しようとしていた人物でもある。
太陽により髪の艶が際立った緑髪のオリバーである。
「そこのエルフ、俺と勝負しろ。まさかとは思うが逃げはしないよな?」
「はあ......その安い挑発に乗るのも癪だけど、あんた如きに逃げたなんて言われる方が癪だわ。受けて立つわ」
ノルドはオリバーの目を真っ直ぐ見て勝負を承諾した。
そしてオリバーと共にレーナへ報告し、対戦の準備が始まる。
ノルドはと言うと、オリバーの阻止も失敗に終わり、次に声を掛けてきた知らない生徒の申し込みを受けた。
こうなっては断る理由もない。
へーラルも勝負相手が決まったようで、ノルドと同じタイミングでレーナへ報告に行く。
「ノルド君、凄い人気だったね」
「人気と言えばポジティブだな。ただ弱い相手と楽して勝ちたいだけだろ」
それにはへーラルも苦笑いをしている。
いや、否定してくれよ......
その虚しい心の叫びは誰にも伝わることなく、生徒達は勝負開始の運びとなった。
試合をする者以外は横並びとなり観戦。
試合は一組ずつ中央で勝負ということになっている。
一組ずつというのも、基礎体術と違って魔法は規模も威力も桁違いに大きくなる。
最悪流れ弾に被弾し負傷、更には死亡も有り得る。
一組ずつであれば、目の前の相手の魔法に気をつければ良いというのもあり、先生から見ても止めに入りやすい。
実際始まってから、軽傷はあっても、生活に支障をきたすような負傷はおらず、その前にレーナが的確に判断し試合は決着となっている。
試合を見るに、各々の魔法のレベルはピンキリである。
人を殺せる域に達している者もいれば、魔法を発動するのが精一杯の者、魔法を発動できるものの威力が中途半端な者。
特に気をつけなければならないのは人を殺せる域の魔法を放てる者である。
精神的にも成熟しきっていない年代に要は刃物を持った側と丸腰に等しい側に分かれているのは危険である。
ただでさえそのような生徒の多くは貴族であり、平民や魔法の劣る者を下に見る傾向にある。
ルールで失格と定められているものの、法と同様、その効力が発揮されるのは事が終わった後である。
つまり殺されてから失格では遅い。
レーナもそれは重々承知している。
だから敢えて一組ずつ試合という形を取り、魔法の兆候から威力を予測し、発動前に判定を出している。
そのおかげもあり、擦り傷や軽い火傷等、軽傷で済んでいる。
「次!ノルド、アーベルは前へ」
レーナの隣に居る恐らくオリバーのクラスの担任であろう男性教師がノルドとその対戦相手の男子生徒を呼ぶ。
ノルドは基礎体術同様、木剣を手に取り、中庭中央へ向かう。
「よろしくね」
「お、おう」
そう声を掛けてきたのは対戦相手“アーベル”であった。
凄く良い笑顔だ。
俺が弱いから安心からの笑顔なのか、本当にこのような良い笑顔をする朗らかな性格なのか。
いや、前者に違いないとノルドは偏見塗れの思考のままアーベルと向かい相対する。
「始め!」
男性教師のよく通る大きな声が中庭に響き、ノルドの試合が始まった。
ノルドは試合が始まる前から、否対戦相手が誰か決まる前から既に作戦は決まっている。
アーベルはというと魔法の発動へ入っている。
その証拠に魔力の粒子がアーベルを包み込むように漂っている。
恐らく詠唱法だ。
記憶法なら既に発動しているだろう。
刻印法であれば、術式を書き始めている。
ノルドは木剣を両手で持ち上へ振り上げる。
アーベルはその様子に少し動揺と言うより変な物を見るかのような目で見てくる。
それもそうだ。
魔法も発動しないと言うよりできなく、だからと言って走って距離を詰めてくるわけでもなく、その場で剣を振り上げ始めたのだから当然の反応だ。
一体何をするつもりなのかと考えているだろう。
(そんなこと簡単だ。こんな試合すぐ終わらせてやるよ)
ノルドは上へ振り上げた手の力を緩めた。
それにより木剣は手から抜け落ち、自由落下を始める。
益々アーベルは意味がわからないという顔をする。
そして振り上げた手はそのまま上で固定し、この勝負を終わらせる正に魔法の言葉を吐く。
「参りました!」
清々しい程の降参。
お手本を用意しろと言われれば誰も彼もがノルドを連れて来るであろう程の綺麗な降参であった。
すぐに終わらせると言っただろう?
残念、勝つとは言っていない。終わらせるのは降参して終わらせるでした。正に外道!
アーベルは開いた口が塞がらないという状態だ。
集中も切れ、漂っていた魔力の粒子は消えている。
レーナは少し笑っているように見える。
最初から負けるのが見えているのだ。
だったらコテンパンにやられて負けるのも降参して負けるのも同じだ。
騎士道精神?誇り?矜恃?プライド?そんなもんで生きられるなら生きてみろと言わんばかりの降参のスピード。
開始数秒で降参を宣言したノルドは静まり返った中庭中央からまるで勝利したかのような顔つきで退場する。
フヴィルからは何でそんな顔ができるのよと訴えかける目線が刺さるが、ノルドは気にしない。
(魔力値マイナスだし?試合やってもどうせやられるだけだし?)
最早開き直っている。
ノルドは冷えきった視線を浴びながら観客の元へ戻る。
フヴィルとへーラルが出迎えてくれるが、そこに会話はない。
フヴィルのピリついた雰囲気によるものだろう。
決してノルドの不甲斐ない降参が原因ではない。と思いたい。
そして数組の試合を経てフヴィルとオリバーの試合となる。
「次!フヴィル、オリバーは前へ」
フヴィルは堅い表情のまま中央へ向かう。
ノルドもへーラルも今更掛ける言葉もなく、そのまま見送る形となった。
緊張とは違ったプレッシャーがフヴィルにはのしかかる。
確定ではないが、順位で考えれば格上。
しかしフヴィルにとって格上かどうかなどどうでも良かったのだ。
単純明快。
アイツが気に食わない。ただそれだけである。
その相手に負けるのが嫌だという気持ちがフヴィルにはプレッシャーであった。
中央で改めてフヴィルはオリバーと相対する。
フヴィルの作戦は既に決まっている。
自分の技量を考慮し、オリバーに魔法の構築速度、威力において遅れは取らないだろうと。
開幕早々の先制攻撃により決着をつける。
(開始の合図と同時に構築速度だけを優先した“ヴェンタス・サジッタ”を決める......!)
下手に様子を見て、探り合いをすれば相手に隙を与えかねないというのがフヴィルの懸念であった。
故に技量という点において負けないという自信を基に先制攻撃を決めるという作戦であった。
男性教師は腕を上へ挙げる。
試合開始に向け、フヴィルは集中する。
相手の一挙手一投足にまで神経を集中させ、立てた作戦を実行するだけ。
オリバーがどんな作戦を立てようが、行動を取ろうが、先手を取ってしまえば関係ない。
瞬きすら忘れそうになる程、集中力を高め、魔力が表に出そうになる。
男性教師は二人の準備ができたことを確認し、挙げていた腕を振り下ろす。
「始め!」
フヴィルはその言葉が発せられた直後、魔術式の編纂、構築を行う。
魔力の込める量は必要最低限に抑え、術式の構築を優先し、最短での発動を狙う。
フヴィルの作戦通り、全神経を術式編纂、構築に注いだおかげもあり、最速での術式完成を可能にした。
魔力の粒子が漂い始めたのと同時に術式を構築したフヴィルの技量にノルドすら驚きに声を出していた。
「はは、アイツ速すぎんだろ......」
その学生離れした速度に乾いた笑いすら出る程である。
周囲の生徒はその速度に何が起きたか理解が追いついていないようで、騒然とし始める。
フヴィルはそのまま右手を前へ突き出し、狙いを定める。
「魔は風、式は放出。敵を穿つ......」
詠唱の唱え始めた時であった。
フヴィルの視界に映っていたオリバーが一気に大きくなったのである。
「え......?」
その異様な光景に豆鉄砲を食らい、詠唱を中断させられてしまう。
そして遅れて理解が追いつく。
決してオリバーが大きくなったのではない。
オリバーが驚異的な速度でフヴィルとの間を詰めてきたことによりフヴィルは錯覚させられたのである。
「......っ!敵を穿つ一本の矢となりなさい!ヴェンタス・サジッタ!」
何とか術式が崩壊する前に詠唱を再開し、魔法の発動をする。
フヴィルが放ったヴェンタス・サジッタと距離を詰めるオリバーとの相対速度を考えれば、必中だろう。
フヴィルはそう踏んでいた。
しかしオリバーは既の所で踏み止まり、横へ移動することで躱したのである。
(あの速さ、普通じゃない......!)
先程の距離を詰められた時といい、今の躱した時といい、生身の人間の出せる速度ではなかった。
オリバーの速さが異常なのは理解できたが、何故速いのかはまだ理解ができていない。
「あれ反則なんじゃ......?」
観客の方で呟いていたのはへーラルだった。
フヴィルは気づいていないようだが、ノルドとへーラルはその速度の正体について知っていた。
「いや、反則にはならないだろうな......」
「え......なんで?」
へーラルが反則と言及した理由。
それはオリバーが試合開始と同時に身体強化魔法を使用していたからだ。
つまり試合開始前には術式の編纂と構築を終えている。
フヴィルがその魔法の発動を感知できなかったのは試合開始と同時に最短の魔法を使用した故に微量のオリバーの魔力粒子を見落としたからだろう。
しかし問題なのは試合開始前に術式構築をしていたフライングにある。
「レーナ先生は試合開始前に攻撃を仕掛ける魔法は禁止していたが、攻撃をしない魔法......要は身体強化魔法みたいな魔法は禁止していない」
「そ、そんな......!」
確かにこれはフヴィルにとっては計算外だろう。
ルールの穴をついた戦法、そしてフヴィルはそんな卑怯な真似はしない。
故にその発想がない。
フヴィルは横へ避けたオリバーに視線を合わせ、理解が追いついていないながらも身体強化魔法の発動を試みる。
しかしオリバーは既に発動している為、フヴィルが発動するまでの間、オリバーに他の魔法を発動を許してしまう。
だからと言って、身体強化魔法を使わずにあの速度のオリバーと対立はジリ貧である。
よってフヴィルにとって身体強化魔法が最善の策となる。
フヴィルは記憶法により身体強化魔法の術式を構築させる。
「今更おせーよ!」
そう叫んだのはオリバーであった。
フヴィルがこのタイミングで身体強化魔法を使うのはオリバーにとって想定内。
というより自分から仕掛けているのだ。
そうなると踏むのが普通だろう。
「くっ......!」
フヴィルはオリバーの魔法発動の兆候が視界に映る。
オリバーより早く身体強化魔法を発動させなければ、負ける。
敗北が脳内に過ぎった瞬間、フヴィルは奥歯を噛み締めた。
(負けない......!負けたくない!)
しかし、オリバーの方が早く術式の構築を終えてしまう。
それもそうだろう。
フヴィルがヴェンタス・サジッタで攻撃した瞬間からオリバーは術式の構築を行っていただろう。
いくら記憶法の方が構築速度にアドバンテージがあっても遅れて行えば、そのアドバンテージはないに等しい。
「魔は火、術式は放出。敵を貫く一本の槍となれ!フランマ・ハスタ!」
オリバーの詠唱により魔力の粒子は炎の槍に形を変え、フヴィルに向かって射出される。
オリバーは勝ちを確信する。
フヴィルはやはり身体強化魔法の発動ができていない。
身体強化魔法なしに魔法を避けるのは至難の業である。
ノルドであっても、避けきれない。
フヴィルの負けかと誰しもが思っただろう。
直撃する瞬間であった。
フヴィルもまた人離れした動きを見せる。
直前で身体強化魔法を発動させ、横へ飛び、何とかフランマ・ハスタを避けたのである。
観客から歓声が飛び交う。
これまでの試合の中で一番白熱した試合だろう。
これでフヴィルとオリバーは同等。
とも言い切れなかった。
「っ......!」
確かにフヴィルは避けた。
だが、脇腹をフランマ・ハスタが掠めた為に軽い火傷を負ってしまう。
その証拠に制服の脇腹の部分が焼け焦げ、黒くなっている。
身体強化魔法がもう少し早く発動できていれば避けていたのだろうが、それでもあの発動自体が異様な速さである。
オリバーの作戦勝ちと言うべきだろう。
軽い火傷を負ったことにより、フヴィルは身体強化魔法をしていたとしても反応速度や回避自体も鈍くなる。
そして回避や移動で無理に動かせば、体力を余計に奪われる。
何より痛みは集中力を鈍らせ、魔法の発動も遅くなる。
「終わりだな」
オリバーにとって避けられることは計算外であったが、どちらにせよこれではフヴィルが勝つのは難しくなってくる。
オリバーは一歩、また一歩とフヴィルの元へ歩いていく。
「避けたことは褒めてやるが、まあ......その程度だったってことだ」
勝利宣言とも取れる発言を零すオリバー。
確かにこの状況では勝利を確信するだろう。
フヴィルはその発言に痛みに堪え、笑いながら答える。
「何勘違いしてんのよ......まだ私の攻撃は終了してないわよ」
「......っ!!!」
フヴィルの体から翠緑の粒子が漂い始める。
オリバーはそれが魔法だと瞬時に理解する。
唯一理解できない点。
それは術式構築の形跡も見られないのに風の属性魔法を使おうとしていることだ。
基本記憶法で使う魔法は身体強化などの無属性魔法。
間違っても風属性特有の翠緑の粒子は出てこない。
何故と疑問がオリバーの思考を埋め尽くす。
その疑問にはフヴィルの口から答えられた。
「放出系統魔法は詠唱法が適している。記憶法や刻印法では構築難易度や構築速度の点から効率が悪いとされるわ。でも発動できないだなんて誰も言ってないわよね?」
「まさか......!」
「さっきの言葉返すわ。遅いわよ」
驚愕に顔を歪めたオリバーにフヴィルは右手を翳す。
へーラルはまだフヴィルのしたことを理解できていないようでノルドに説明を求めた。
「どういうこと?ノルド君」
「いや、俺もまさかとは思っているんだが......フヴィルの奴、記憶法で放出系統魔法を構築しやがった」
ノルドですら、その光景が有り得ないと驚愕している。
「でも放出系統魔法って詠唱法じゃないと......」
「いや、できないわけじゃない。原理上、基礎三系統であれば記憶法での発動は可能だ」
へーラルの続く疑問に被せ気味にノルドは説明した。
「ただ記憶法だと術式を脳内で組み立てる以上、正確に細部まで術式を記憶していなければならない。だからこそ術式が複雑になる放出系統魔法は適さないだけで発動は可能なんだ」
ノルドは興奮していた。
そんな非効率で誰もがやらないような真似を学園に入ったばかりの一年生の少女が勝つための秘策として放出系統魔法を記憶法として発動させようとは思うまい。
逆にそこを狙った作戦でもある。
攻撃の魔法をするには詠唱法だという固定観念を覆す。
「あいつは天才なのかもしれないな......」
いつの時代もどこの世界も何か偉業を成す者とは誰もがしなかったことをする人物だけだと。
父親がそうであったようにノルドはフヴィルを重ねているのだ。
「決まりね。ヴェンタス・サジッタ!」
翳した右手に翠緑の粒子は収束し、一本の風の矢を形成すると同時に射出される。
記憶法と魔力を絞っている故に速度はそこまで出ていないものの当たればフヴィルの勝ちを決定させるには十分である。
ノルドもへーラルも、当事者のフヴィルも勝ちを確信した。
と同時にノルドはオリバーの顔が笑みに変わったことに気づく。
ノルドは失念していた。
この男が正攻法で戦ってくるわけがないと。
この男が入学試験でフヴィルにしたことを。
「全く面倒臭いエルフだ。まさかこれを使わせるとはな!」
オリバーはそう言い一枚の紙を出す。
遠目から何が書かれているのかはノルドにはわからない。
しかしこの戦況を覆せるものであると予想はできた。
現にその紙を見た瞬間、レーナの顔付きが変わったように見えた。
「そこまで!」
レーナの制止の声が響く。
つまりあの紙の魔法はこの試合のルールにおいて失格に値するレベルの威力を有しているということだろう。
しかしレーナの制止を無視し、オリバーは止まらない。
「残念。もう発動している」
「なっ......!?」
レーナですら驚愕に声を出している。
オリバーの持っている紙が赤に染め上げられ、朽ち果て灰になったかと思えば、両手をフヴィルへ向ける。
レーナが声を出していた時には発動させていたのだろう。
「我がレーヴェン家が編み出した固有魔法だ。篤と味わえ!」
オリバーはそう言うと向けていた両手に直径三メートルはあるであろう巨大な炎の玉を出現させる。
その熱気は観客の方まで伝わる程であり、直撃すれば重傷以上は確定だろう。
オリバーが取り出した紙は恐らく魔法紙で、刻印法に刻まれた放出系統魔法を発動させたのだ。
隠し玉としては上出来だが、このような演習ではオーバースペックも良いところ。
ノルドの視界にレーナが走り出すのが見える。
しかし、この距離をいくら身体強化魔法を施したレーナであってもフヴィルを助け出すのは難しい。
「形勢逆転だ......レーヴェンの魔炎砲!」
オリバーが言い放ち、フヴィルの方へ炎の玉を放つ。
フヴィルの撃ったヴェンタス・サジッタなど物ともせず、そのまま突き進む。
フヴィルはこの残った時間の中で防御の魔法を発動させようとする。
しかし先程受けた脇腹の火傷がじわじわと痛みを増し、術式の編纂、構築に集中ができない。
脇腹を押さえ、ただレーヴェンの魔炎砲が近づき、直撃するのを待つしかなかった。
徐々に熱気も増していき、直撃つまり死を知らせてくる。
(こんなところで死ぬわけにはいかない......あの人みたいに大賢者グランドセージになるんだから......)
瞳には闘志を宿すものの、現実とは残酷にも目と鼻の先に己を殺す炎の玉は存在している。
フヴィルは死を覚悟し、目を瞑る。
遠くからへーラルの声が聞こえるような気がする。
こんな時でもノルドは何も声を掛けないのかと殴りたくなると死に瀕しているというのにクスリと笑えてしまう。
その直後、校舎に響き渡る爆音と共に爆ぜたレーヴェンの魔炎砲の熱気が中庭を蹂躙するように広がる。
それと同時に爆発により土煙を巻き上げながら爆風と共に砂が周囲に拡散される。
それは直撃を意味し、フヴィルの死を意味するものであった。
へーラルは爆風に乗った砂に目を閉じたくなるのを必死に我慢しながら、その爆発があった方を見る。
人影すら見えぬその惨状に目頭が熱く、涙が込み上げてくる。
「フヴィルちゃぁぁぁぁあん!!!」
へーラルの悲痛な叫びは虚しくも響き消えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます