第10話 慈烏山の化け物④
男が境を下ろしたのは化け物から少し離れた太い幹の木の上だった。あまりの高さに口角が片側だけ不自然に上がる。境は自分の隣に腰掛けて化け物の様子を伺う男の服の裾を力一杯握る。
「おい、しがみつくな。服にシワが寄る」
「仕方ないでしょ。私だって好きでやってるわけじゃない。でもこんな高いところに命綱もなしに座らされたんじゃ誰だってこうなるわよ」
「そんなに高いか? 」
「妖には分からないかもしれないけど、人間はこの高さから落ちたら怪我をするの。それどころか打ちどころが悪かった場合は死んじゃうのよ。怖いと思って当然でしょ」
「そういうものなのか」
そういうものよ。と境は深く息を吐き出した。男は境の話に頷きつつも「人間とは不便なものだな」とつぶやく。どうにも浮世離れしているというかなんと言うか、この妖はいったいどんな環境で生きてきたのだろう。境が呆れ半分にそんなことを考えていると、そういえばまだ名乗っていなかったなと男は境の方に向き直る。
「俺は烏天狗の菖真だ」
「『弔い屋』の波留 境よ」
「境はあの化け物をどう思う」
「どうって・・・・・・」
境は化け物に目を向ける。化け物はまだ諦めたわけではないらしく、ギイギイ鳴きながら木の周りをうろうろしていた。
「俺はあれは土蜘蛛という妖だと思ってる」
「土蜘蛛?」
土蜘蛛とはかの平家物語にも登場する妖だ。鬼のような恐ろしい顔に八本の長い足、虎のような胴体を持ったそれは、物語の中では相手の身体に異常をきたす能力を持つと言われている。
「平家物語に出てくる源頼光も土蜘蛛を斬った事で病が治ったとされている。もし、ここに忍び込んだ人間の熱がただの風邪じゃないなら、あの蜘蛛を斬らないかぎり治らないだろう」
それだけではない。このままあの化け物を放置しておけば被害はどんどん広がっていくだろう。
「けど確か土蜘蛛は西の妖でしょう? それがなんで東にある慈鳥山にいるの? 妖は無闇矢鱈に他の妖の縄張りにははいらないんでしょう? 」
「さぁな。そんなの俺が知るわけないだろう」
とにかくあの化け物が土蜘蛛だと仮定して、この状況を好転させるために境達にできることは二つ。一つは土蜘蛛を説得し『弔い屋』として自死させること、もう一つは逸話に倣って土蜘蛛を斬って退治すること。さぁ、どうする? と菖真が首を傾げる。
「は? どうするってなに? 私がやるの?」
「当然だろう。本来なら俺が『弔い屋』と話すことだって父上はいい顔をしないんだ。それなのに協力なんて出来るわけが無い」
出来ないものは出来ないんだ。菖真がポツリと零した言葉に境は眉をひそめる。菖真の父親が何故そんなにも『弔い屋』を嫌っているのかは知らないし、正直興味もない。今はそんなことどうでもいいのだ。今考えることは土蜘蛛をどう対処するかだけ。なら、
「分かったわ。あの土蜘蛛は手毬に斬らせる」
「何を言ってるんだお前」
「お前が斬るんじゃないのか」
「ええ、だって私か弱いもの」
貴方が引き剥がしたくなるくらいにはね。境が嫌味たっぷりに微笑むと菖真ははぁ・・・・・・とため息をついた。
「手毬という男はもう既に山を降りているかもしれないぞ」
「私がここにいるのよ。それは無いわ」
「随分奴を信じているんだな」
「当たり前でしょう」
そうじゃなきゃなんのための雇用契約か。労基に訴えられるほどの時間働いているのだから安全面くらい保証してもらわないと困る。
「おーい、境さーん! ご無事ですかー! 」
「手毬? 」
下から聞こえてきた声に境はそっと視線を落とす。そこには「境さーん」と大きく手を振る手毬の姿があった。その後ろにはどこか疲れ果てたような顔をした初老の男が立っている。どうやら土蜘蛛はどこかに行ってしまったようだ。境は菖真に抱き抱えてもらい木から降りる。
「おや、菖真さんと一緒でしたか。これは都合がいい。良すぎるくらいですね」
「貴方、菖真と知り合いなの? 」
「菖真さんはあちらにいる慈烏山の主、烏天狗様のご子息です」
「あれがそうなの」
深く刻まれた眉間のシワ、への字に曲がった口、後ろに撫でつけられた灰色の髪、なるほどいかにも頑固で融通の効かなそうな父親だ。菖真は「父上」と消え入りそうな声で彼の傍による。烏天狗はそれを一瞥し手毬に要望は叶えたぞと鋭い視線を寄越した。
「連れとは合わせた。さっさと帰ってくれ」
「いやだなぁ、そんな邪険にしないでくださいよ」
「お前と話すのは疲れるんだ。もう顔も見たくない帰れ」
「でもまだ仕事もしてないですし」
「しなくていい帰れ」
「そんなぁ。それじゃあ依頼料が貰えないじゃないですか。ねぇ、境さんどうしましょうか」
「私にふらないでよ」
境は確証は無いけどと念を押して化け物、土蜘蛛のことを手毬に話した。
「なるほど。土蜘蛛を斬って退治する、ですか。それなら僕より適任がいますよ」
「適任?」
「菖真さんです。残念ながら僕はカップとソーサーより重いものは持てませんので、ここは強くたくましく若々しい彼におまかせしましょう」
「だそうだけど貴方はどうするの? 」
「俺は・・・・・・」
菖真が答えるよりも先に烏天狗は「ならん」とそれを否定した。菖真はその声に縮こまって一歩後ろに下がる。どうやら父親の前ではまともに話もできやしないらしい。不愉快だ。境は大股で菖真に近づき彼の手を引いて引っ張り出す。
「おい、小娘。菖真に何をする」
「まあまあまあ、落ち着いてください烏天狗様。興奮すると老体に触りますよ」
「なっ!」
手毬はにこやかな顔で境と烏天狗の間に仲裁に入る、ていで火に油を注いだ。境はそれに目もくれず菖真を睨みつける。この男はどうにも境をイラつかせるのだ。
「境・・・・・・俺はやっぱり」
「貴方がどんなに従順であろうと、貴方の人生の責任は誰もとってくれないのよ。貴方がこのまま、世間知らずのまま親の操り人形になって、一人で生きて行けなくなったとしてもそれは貴方のせいだって周りは突き放すわ。世の中ってそんなものなのよ。可哀想ね、よしよしなんてしてくれないの。優しいのはみんな口だけ」
「あの、境さんもっと相手の気持ちを考えて、オブラートにつつみましょう、ね? 」
「私間違ったこと言ってないわよ」
「そういう事じゃなくてですね。人にも妖にも感情というものがあるんですよ。道徳の授業で習いませんでしたか? 」
「私の時間割に道徳の授業はなかったわ」
「どんな学校に通ってたんですか」
「ともかく、やるのやらないの? どっちなの? 」
「そんなこと俺が」
「ねぇ、貴方は本当はどうしたいの 」
境にじっと見つめられ菖真はおずおずと口を開いた。
「俺は・・・・・・・・・・・・」
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