第9話 慈烏山の化け物③

 「境さん? 」


 

 手毬は一向に跡を追って来ない境を不審に思い声をかけた。しかし彼女からの返事はない。それどころか先程まで手毬の横にいたはずの山彦も忽然と姿を消していた。嫌な胸騒ぎがして来た道を戻り、二人の名前を呼んでも返事は返ってこない。それどころか生き物の気配そのものが消えたようだった。おかしい。いやに静かで異様な光景に冷や汗がつたう。



 「これは、見事にしてやられましたね」


 


 **********


 

 「お・・・ろ・・・・・・にん・・・ん」


 

 徐々に覚醒していく意識の中、微かに声が聞こえて境は目をさました。重たい瞼を持ち上げればまず目に入ってきたのは木々の隙間から射し込む日差し。・・・私、どうしたんだっけ。何がどうなったのか。ぼんやりとした頭で身を起こすとバキボキと掌で地面に落ちた枝が折れる。どうやら地面にそのまま寝かされていたらしい。最悪だ。服も髪も泥や草木だらけじゃないか。今すぐ帰ってシャワーを浴びたい。などと考えていると頭上から「人間」と声をかけられる。



 「目が覚めたのならさっさと山から降りろ。もうすぐ日が落ちる」



 顔を上げた先にいたのは青空をそのまま写し出したような瞳を持つ男。境はその瞳に一瞬身震いしたが、言われた言葉の意味を遅れて理解し、勝気な性格ゆえに反射的に相手を睨みつけた。



 「貴方、さっきの・・・・・・。勝手に拉致しておいて山を降りろなんてどう言うつもりよ」

 「拉致したわけではない。狡猾な『弔い屋』からお前を引き離してやったんだ」



 だから睨まれる筋合いはない。むしろ感謝されるべきだとさも当然というような顔で言う男に境は意味がわからないと顔を顰める。



 「何を言っているのかよく分からないけど、私も『弔い屋』よ」

 「お前はあの男に弱みかなにかを握られて契約上『弔い屋』をやっているだけだろう。人間の『弔い屋』はだいたいそうだ。だが人間以外の『弔い屋』は違う」

 「・・・・・・どういう事?」

 「あれは何者にもなれないヤツがやるものだ。あんな気味の悪いもの他にはいない。あんな奴らが妖の死に関与するなどありえない。神にでもなったつもりなのか」

 「でも貴方達もその『弔い屋』に助けられた過去があるじゃない。百年前烏天狗は『弔い屋』に協力してもらって化け物を倒したんでしょう」

 「なんだ。お前俺が烏天狗だって分かってその態度なのか」



 それはまあ、それだけ尊大な態度をしていればイヤでもこの山の主だと分かる。それに濡羽色の髪に整った顔立ちをした男なんていかにも現代の烏天狗らしい。こういう顔を漫画やゲームで何度も見た。



 「とにかく『弔い屋』は慈烏山には入れられない。父上の代からそう決められているんだ。さっさと帰ってくれ」

 「だからなんで・・・・・・って、ん? 父上? ちょっと待って貴方親がいるの? というか妖って繁殖するの? 」

 「何を当たり前のことを。俺達はお前達の想像でできてるんだ。お前達が繁殖すると思えば繁殖するし、繁殖しないと思えば繁殖しない。妖はそういう生き物だ」

 「なるほど」



 境が妖って随分自由度が高いんだなと頷いていると男は「もう一度言うが」と彼女に詰寄る。



 「父上の言うことは絶対だ。『弔い屋』は帰れ」

 「帰れって言われても・・・・・・。このまま化け物を野放しにしてていいの? 貴方達じゃ手に負えないから『弔い屋』が呼ばれたんでしょう? 」

 「あれは山彦の独断だ。父上が決めた事じゃない」

 「じゃあ倒せるの、化け物」

 「父上は倒せると言っている」



 だから帰れ。の一点張りに境はいい加減苛立ってきてギリッと奥歯を噛み締める。こっちだって帰れるものなら帰りたいに決まってる。でも仕事だから仕方なく来てやってるのだ。なのにこの扱いはなんだ。それに男の言い分はどうにも境の神経を逆撫でる。



 「貴方ねぇ、さっきから父上、父上って貴方の意思はないわけ? 」

 「俺の意思は関係ない。この山では父上が正しいんだ」

 「絶対に正しい人間なんていないわよ。どんな人間だっていつか何かを間違える。この私でさえ。なのに私達から生まれた貴方達が間違えないわけないじゃない。貴方の言う父上が間違えることだってあるのよ」

 「そんなこと」

 「ないって言い切れる? 本当に自分達だけで化け物を倒せると思ってる? 」

 「黙れ人間その口を閉じろ」

 「本当は『弔い屋』が何とかしてくれるって思ってるんじゃないの? だから私とあいつを分断したんでしょ。たとえ『弔い屋』と言えど、非力な人間がいたら足でまといになるだろうって」



 男は驚いたように目を見開いて境を見る。半分本気半分そうだったらいいなという願望だったが、どうやらあっていたらしい。境はふんっと鼻を鳴らす。



 「でも残念ね。あいつはそんな有能な男じゃないわ。胡散臭くて口が上手くて人当たりがいい。ただそれだけの男よ」

 「お前が威張って言うことじゃないだろ」

 「あれはね、私がいなきゃ鏡の場所一つ分からない男なの。一人で化け物退治なんてできるわけが無い」



 だからさっさと手毬がいるところに案内しろと境が顎をしゃくった次の瞬間、木々が揺れた。風で揺れたわけではない。意思を持った何かが木々を揺らしているのだ。男は境を引き寄せ何かから守るように自分の背中に彼女を隠す。その間にも次々と木々は揺れ、枝が折れる音や木の折れるバキバキという音が聞こえてくる。



 「お仲間、ってわけじゃなさそうね」

 「こっちに来るのは想定外だ」



 木々を薙ぎ倒し姿を現したのは、絵に描いたように獰猛な化け物だった。額から伸びた二本の角、猛獣のような鋭い牙と爪、虎模様の胴体、八本ある足は強靭でまるまると太くたった一本でも人間なんて簡単に殺せてしまいそうだ。化け物はこちらを認識するとギラリと目を光らせその巨体に似つかない速さで境に襲いかかる。


 

 「──っ! 」

 「おい! ぼさっとするな! 」



 化け物の攻撃を男は足で受け止め、そのまま化け物の腹に蹴りを入れた。化け物はそれでも尚諦めずに飛びかかる。男は境を守りながら戦うのは分が悪いと考え、


 

 「逃げるぞ」

 「え? ちょ、ちょっ待って、なにして」

 「暴れるな。こっちの方がはやい」



 境の腰を引き寄せ横抱きにし、服で隠すように閉じていた黒い羽を広げて空へと逃げ出した。

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