弔い屋の性悪推理
美羅子
第1話 波留 境
「それってクビってことですか? 」
奥歯をぐっとかみ締め見上げる
境の勤め先は近所でも評判のいい開業医の皮膚科。彼女はそこで医療事務をしていた。高い評判と住宅地が近くにある立地から患者の集まりもよく、一般皮膚科はもちろんレーザー脱毛などの美容皮膚科もやっているため給料は一人暮らしをするには充分なくらい貰えていたし、なにより医院長と看護師長、この老夫婦の人柄を彼女はよく気に入っていた。彼女が働く上で給料の次に重要視している条件は人間関係である。
「波留さんには申し訳ないけど、僕ももう歳でね。週に五日、朝の九時から夜の六時までの診療にはとてもじゃないが体力が持たない。だからこれからは診療日を週二日に減らそうと思ってるんだ」
「その状況で常勤の境ちゃんを雇い続けるのは正直難しいの。他の常勤の子にも話したけど、こちらの会社都合の退職っていうことで失業保険も早く貰えるようにするし、次の転職先がまた同じ医療事務でいいなら医院長の知り合いの開業医を紹介することも出来るわ」
どうかしら? と看護師長の温かく皮の薄くなった手のひらで両手を包まれた境は喉元まででかかった言葉を何とか飲み込み、小さく頷いた。
「わかり、ました。最後に残った有給消化させてください」
波留境、職業無職の誕生の瞬間である。
それから何とかその日の仕事を終えた境は行きつけの店を早足で通り過ぎ真っ直ぐマンションの部屋へと帰った。パンプスを玄関で脱ぎ捨てそのまま電気もつけず寝室のベッドに倒れ込む。誰もいない静かな空間でボーッと横になった。そうしているうちに今朝あったことが走馬灯のように流れ出し、抑えていた気持ちがパンっと破裂する。
「いや、やっぱりありえなく無い? 」
シーツに爪を立てて境はベッドから身体を起こす。あの老夫婦の人柄でついうっかり押し切られてしまったが突然の解雇はやはり酷すぎる。そもそも診療日を減らすなんて大事なことはもっと早くから教えてくれても良かっただろうに、そんな素振りをあの老夫婦は見せもしなかった。それどころか同じく皮膚科医になった息子が病院を継いでくれるかもしれないと嬉しそうに話をしていたのだ。現在は大学病院勤めで週に一回バイトとして病院に手伝いにきていた息子先生も感じのいい人で最近は彼女とも仲が良好らしく近いうちにいい報告が出来るかもしれないと顔を破顔させていた。そんな幸せムードいっぱいの彼らが自分をこんなどん底に陥れるなんて思うわけが無い。
「・・・・・・やめよ。考えても虚しいだけだわ」
いくら評判がいい病院だと言っても一度離れた患者を呼び戻すのは骨が折れるだろうから息子先生が継ぐまでは診療日を減らさない方がいいんじゃないかとか。体力的に難しいなら息子先生と二人体制でやればいいんじゃないかとか。そんなことをただの一従業員が考えたところで変わらないのだから仕方ない。時間の無駄だ。メイクを落としてお風呂を沸かして入ってさっさと寝てしまおう。ベッドからはいてで洗面台に向かった境はお気に入りのメイク落としのポンプをノールックで何度か押し、顔をしかめる。ポンプの先からはカスカスの空気が混じった音と一回分にもならない少量の液が出るだけだった。どうやら今日はとことんついていないらしい。境は「あー! もー!」と嘆いて濡れた手をサッと洗い財布とスマホ、防寒具を持って部屋を出た。
さて、マンションから近いのはコンビニだが、たしかあそこには好みのメイク落としが売っていなかったはずだ。彼女は移動距離と自分の肌の治安を天秤にかけ、泣く泣く少し遠いドラッグストアを目指すことにした。心もとない街頭と自動販売機の光の中を一人歩く彼女は自衛のためにスマホを耳に当て電話をしているフリをする。
「・・・・・・あー、えっと元気? 久しぶりね。・・・・・・・・・・・・しょうがないでしょ。最近忙しかったんだから。そもそも私とあなた達じゃ生活リズムもなにもかもが違うし。そんなに言うならあなた達から私に会いに来なさいよ。は? これない? ・・・・・・あー、そういうもんなの? よく知らないけど」
境は何度か適当に相槌をうつ。
「じゃあこれからは会いに来てあげるわよ。ちょうど暇になったから。ああ、うん。そうそう。夜になったらまた来るわ。・・・・・・・・・・・・え? なに? 足音?」
立ち止まり耳元からスマホを外してじっと周囲の音を聞く。周りが住宅街のその道は夜遅い時間ということもあってしんっと静まり返っていた。そっと何歩か足を踏み出す。それを追いかけるように砂利をふむ音が一つ、二つ。瞬間、彼女はダッシュでその場を離れた。闇雲に走ってなんとか目的地のドラッグストアにつけたのは偶然かはたまた身体が行き方を覚えていたのか。明るい店内に入った彼女はメイク落としが置いてあるコーナーまで早足で歩きその棚の前でしゃがみ込んだ。
「帰り・・・・・・どうしよう」
「────」
「────」
「あなた達に頼ってどうするのよ。あなた達、今はもう話す以外に特に能力が無いんでしょう。だったら私の方が強いわ」
「でしたら僕が家まで送りましょうか」
後ろから聞こえてきた第三者の声に境は肩を揺らして振り返る。そこに立っていたのは柔和な笑顔をぺたりと顔に張りつけた胡散臭いを絵に描いたような男。丸いカラーグラスの奥の目がじっと境を見下ろす。
「えっと、店主さん? どうしてここに? 」
相手が私服姿だったため一瞬戸惑ったが、境は男と面識があった。彼は彼女が足繁く通っているカフェの店長で、店に行った時に世間話をするような間柄だった。
「境さんの姿が見えたので跡を追って。途中で走り出すからビックリしちゃいましたよ」
「あの足音は貴方だったの・・・・・・。いや、普通に声かけてよ紛らわしい」
「すみません。何やら楽しそうに話をしてる様子だったので」
ところで、と彼は境の左右に視線を移す。
「そちらの方達を紹介していただいてもよろしいですか? 」
「紹介って誰を? 」
「先程貴女が話していたお相手ですよ」
「私は電話してたのよ。この場に相手なんているわけないじゃない」
「電話ですか」
「ええ。そうよ」
「ここに入ってからもずっと電話を? 」
「だからそうだって言ってるじゃない」
「手にスマホも持ってないのに? 」
「・・・・・・Bluetoothに繋げてるから」
「イヤホンしてないじゃないですか」
そもそも貴女スマホ落としてるでしょう。やれやれと言うような顔をして彼がコートのポケットから取り出したのは紫味を帯びた濃い青色のカバーに入ったスマホ。それは間違えなく境のものだった。どうやら走って逃げた時に落としてしまったらしい。不服そうな顔で彼女が奪い取ろうと手を伸ばすと彼はそれを取られないように上へとあげる。
「ちょっと! 」
「境さんは〝見える側〟の人間だったんですね。そちらの送り犬達は貴女のお友達ですか? 山の中ではなくこんな住宅街にいるなんて珍しい」
「── そんなのオレ達の勝手だろ! 」
「── そーだ! そーだ! 」
「・・・・・・・・・・・・」
「それも随分小柄ですね。犬年齢で言うと生後半年と言った所でしょうか」
「失礼だな! オレ達はもうとっくに成人は過ぎてるぞ!」
「そーだ! そーだ!」
「あなた達はなんでそう、簡単に乗せられて突っかかっていくのよ」
信じられない。クラクラと目眩を覚え額に手の甲をあてる境を心配して送り犬達がアワアワとその周りをまわる。
「ごめんね境。オレ達ついカッとなっちゃって」
「ごめんね境」
「ああ、うん。そうよね。あなた達ってもとからそうだものね」
「そうなんだ。でも可愛いから許してくれるよね」
「許して境」
「残念ね。世の中そんなに甘くないのよ 」
このおバカさん。送り犬のほっぺたをビヨンビヨン伸ばして怒る境を横目に男は少し考える素振りを見せ、それから「境さん」とそれはそれは胡散臭い笑顔を貼り付けて言った。
「一緒に『弔い屋』をやりましょう! 」
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