第2話 『弔い屋』


まばらながらも人がいたドラッグストアで騒いだせいで周りから白い目を向けられた境達は男が営むカフェに移動して話の続きをすることにした。



 「境ぃ〜」

 「境ぃ〜境ぃ〜」

 「なに? どうしたの? あなた達も入らないの? 」



 カフェの入口でお座りをしていっこうに中へ入ろうとしない送り犬達に境が首を傾げると男は「入らないんじゃなくて入れないんですよ」と彼女に言う。



 「どういうこと? 」

 「妖にはそれぞれ派閥と縄張りがあるんです。無闇に他所の縄張り入ると喧嘩になったりもするようで、争いごとを好まない妖は極力入らないようにしているんですよ」

 「へぇ。て、ことは貴方も妖なの? 」

 「さぁ。それはどうでしょう。しかしそのままでは話がしにくいですね」



 今は家主もいませんし入っても構いませんよ。飲み物はミルクでいいですか? 男は軽い口調で彼らを手招きし、おずおずと入ってきた二匹の前にミルクが入ったマグカップを出した。ついでカウンター席に腰を下ろした境の前に出されたのは彼女がいつも頼むアーモンドミルクを使ったキャラメルマキアート。彼女はそれを一口飲んで目線で早く話せと男に催促をする。



 「それでは自己紹介から致しましょうか。僕は手毬。趣味でカフェをやっています。本業は『弔い屋』です」

 「その『弔い屋』ってのはなんなの」

 「『弔い屋』とは自ら死を選んだ妖を弔うの者のことです」



 情報も思想も飽和した現代。妖も自ら死を選ぶ時代になった。しかし、そもそも妖には死という概念は無い。人間、犬、猫、その他もろもろ。同類である妖以外の全ての有象無象に忘れ去られた時、それを妖達は人間に倣い死と呼んだ。誰かが覚えていてはダメなのだ。特に妖に思い入れが強い人間はなかなか己を忘れてくれない。だから忘れてもらえなかった者は死ぬために弔い屋を訪れる。


 ──あの人間の記憶を消しておくれ。


 けれど、死というものはそう簡単なものでは無い。人間が死に関連する問題で揉めるように、時に妖達も揉め事を持ち込んでくるのだ。その揉め事を一人で解決するのはなかなか骨が折れる。



 「ですから境さんには『弔い屋』のお手伝いをして欲しいんです」

 「なんで私がそんなことしなきゃならないのよ」

 「貴方が特別な目を、妖が見える目を持っているからです」



 妖は人間の信仰や畏怖、想像から生まれ落ちた者。人間からの認知が弱まった現代では、妖によってはその姿を維持することすら難しいのだ。力の弱くなった彼らは人の目にも映らない。



 「雪女や九尾の狐、ぬらりひょんなんかの現代でもメジャーな妖は誰の目にも映るでしょうが、送り犬は・・・・・・まあまず見えないでしょうね」

 「ふーん」



 境は気のない返事をして先程から黙っている送り犬二匹に目を向ける。



「あなた達って現実に存在する者だったのね」

 「当たり前だろ! 」

 「境はオレたちのことなんだと思ってたの? 」

 「え? あー、イマジナリーフレンド的な、そういうモノみたいな? 仕事で疲れた時に見る幻覚かなって? 」

 「ひどいっ! 」

 「オレ達のこと幻覚だと思ってたのかよ!? 」



 怒る二匹の頭を撫でて「ごめん」と謝ると、二匹はもー!と唸って境の手にグリグリと頭を擦り付けた。その様子を手毬が微笑ましそうに見ている。



 「・・・・・・なによ」

 「いいえ。仲がいいなと思って見てただけですよ。彼らにとって貴女は大切な存在なんですね」

 「別にそんな大層なもんじゃないでしょ」

 「大層なものなんですよ。人間からの認知が薄くなった妖は姿を保つことが出来ません。彼らがこうして送り犬の姿をしていられるのは貴女が彼らを見て知っているからです」

 「知ってるってだけでそんなに変わるものなのね」



 境の生まれ故郷では〝妖が見えること〟が当たり前だった。それがこっちに来た途端みんな妖を目にもとめず過ごしているものだから、あれは田舎特有の閉鎖的な古臭い風習故の集団幻覚だと思っていた。まだ見えてしまうこの目はそこに生まれてしまったがゆえの先天性の疾患、もしくは後遺症なんだと自分に言い聞かせていたが、どうやらそういうものでもないらしい。



 「それで『弔い屋』の雇用形態についてですが」

 「いや、やらないわよ」



 そんな得体がしれない上に面倒くさそうなことしたくないとしかめっ面をする境に手毬はニッコリ微笑んで話を続ける。



 「でも境さん今無職なんですよね。これからマンションの家賃、生活費ちゃんと払えるんですか? 」

 「それは、そのうち次の仕事みつけるし」

 「無理でしょう」

 「は?」

 「だって貴女、人間性に難ありじゃないですか。今の職場で働けてたのはあそこの優しい老夫婦とスタッフのおかげでしょう? 新しい職場に行ったら絶対揉めますよ。絶対」

 「決めつけないでよ。 貴方、私の何を知ってるって言うの?」

 「全部は知りませんけど」



 そうですね、例えばそれ。と手毬は境に出したキャラメルマキアートに視線を落とす。



 「開店して何年か経ちますがメニューに無いミルクの変更をしつこく頼むのは貴女が初めてでした」

 「それ、は・・・・・・だって飲みたかったんだもん」

 「正直某チェーンカフェに行けって喉元まででかかりましたよ」

 「今言ってるわよ」

 「まあ、だからこそ貴女を選んだんですけどね」



 手毬は境の左手をすくい上げるように握る。彼の手の冷たさに指先が震えた。



 「『弔い屋』なんて名乗ってはいますが、やっていることは人間で言うところの自殺幇助のようなものです」

 「悪趣味ね」

 「そうですね。真面目で繊細な人間にはまず耐えられないでしょう」



 依頼者に寄り添い、気持ちを汲み同情でもしようものならその身がいくつあってもたりない。


 

 「でも貴女は違う。我儘で身勝手で性根が悪い境さんには『弔い屋』が天職です」


 

 手毬は境の薬指の腹に爪を立てた。果たして彼の爪はこんなに鋭い形をしていただろうか。先のとがった爪がギリギリと彼女の皮膚にくい込んでいく。その鋭い痛みに喉が閉まり短い悲鳴を上げて手を引っ込めようとするが、彼の手の力は強く振りほどくことも出来ない。数秒か数十秒かようやく手が離れたころには彼女の指の腹には切り傷ができており、そこから流れた血がテーブルの上にいつの間にか置かれていた紙の上にぽたりと落ちる。



 「何すんのよ! 」

 「誓約書に血判を押してもらおうとしただけですよ」

 「はぁ? 」

 「妖の世界での誓約書って印鑑とかサインじゃダメなんですよ。全部血判でやらなきゃいけなくて。面倒臭いですよね。痛いし。決めたヤツは頭がおかしいと思います」

 「おかしいのはいきなりうら若き乙女の手を取って傷をつけた貴方の方でしょ」

 「ああ、でも誓約書の上に血を落とすだけでもサインしたとみなしてくれますから、その点においてはわりとガバガバなんですけどね」

 「なんてことしてくれてんの? 」

 「何か問題がありましたか? 」

 「問題しかないわよ! 今、紙に血! 落ちたもの! ねぇ、つまり私は貴方と雇用関係を結ばれちゃったってことよね? 」

 「えぇ。これからよろしくお願いしますね」

 「ふざけないでこんなの無効よ! 」



 吠える境に手毬はそれは残念だと眉を下げた。そのわざとらしい芝居がかった仕草に境は彼の顔を睨むように見る。



 「僕としたことが境さんのような理想的なパートナーに出逢えたことが嬉しくて少々舞い上がってしまったようです。すみません」

 「そんな取ってつけたような謝罪はいらないから。そんなことより早くその誓約書を無効にしてくれる」

 「それは無理です」

 「はぁ?」

 「嫌だなぁ。そんなに睨まないでくださいよ」



 そういう決まりなんだから仕方ないじゃないですかと手毬は肩を竦めた。人間の想像によって生まれた妖達は契りを何より遵守する。なにしろ在自体があやふやな妖には人の法は通じない。はるか昔は妖の認知度も今とは桁違いに高かったためそれはもう無秩序で色々な問題が起こったらしい。だから当時、顔役だった妖が「一度取り決めた約束は必ず守る」という規則を作り自分や周りを縛ったのだ。



 「さすがに口約束ではそこまでの効力はありませんが、血判による約束は僕たちの中では最上級ですからね。破ったら・・・・・・」



 手毬は勢いよく両手を叩く。



 「パンッってなります」

 「どういうこと!?」

 「境・・・・・・・・・諦めよ。オレ、境がパンッってなるよヤダよ」

 「ヤダよ境ぃ」

 「いや、だからそのパンッってなに!? 」



 混乱する境の足に二匹の送り犬がしがみつく。彼らのつぶらな瞳が潤み始めたのを見て、ようやく境は手毬の言葉が冗談や脅しなどではないことを悟り頭を抱えた。

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