第3話 鏡の付喪神①


 あんなにお気に入りだったカフェへ向かう足取りが重い。客が少なくオルゴールの音だけが静かに流れてるあの場所は境の憩いの場だった。それが今は地獄の入口のように感じてしまう。



 「やっぱり帰ろうかな」

 「帰ったらパンッだぞ」

 「オレ境がパンッってなるの嫌だよ」



 だから早く入ってと心配で着いてきたらしい送り犬達に背中を押され境はしぶしぶ店内に入る。定位置のカウンター席に座るとバックヤードから手毬が出てきた。



 「おはようございます。境さん、顔色が悪いですけど大丈夫ですか? 」

 「誰のせいだと思ってんのよ」

 「僕ですかね」



 しれっと言う手毬を境は睨みつける。彼の考えていることは正直よくわからない。わかるのは、めんどくさいことに巻き込まれたということだけだ。



 「そんな怖い顔しないでください。眉間に皺がよってせっかくの美人が台無しですよ」

 「私だって好きで皺を寄せてるわけじゃないわ」

 「でしたら今のうちにその皺を伸ばしておいてください。もう既に依頼者が来ていますから」



 手毬が言い終わると同時にカランコロンとベルがなる。扉の向こうに立っていたのは境よりも少し年上の女性だった。彼女は小さく会釈して境と手毬に歩み寄る。緊張しているのかその表情は硬く強ばっていた。



 「こちらが『弔い屋』さんでしょうか」

 「はい。依頼者の方ですね。お名前を伺ってもよろしいですか?」

 「須藤絵里と申します」

 「須藤様ですね。僕は『弔い屋』の手毬です。こちらは僕の助手である境さん。さぁ、どうぞおかけください」



 手毬に促され、須藤は境の隣に腰を下ろす。一度目を閉じそしてゆっくりと瞼を開いた。



 「祖母が亡くなったんです」



 そう言って須藤は今までにあったことをぽつりぽつりと語りはじめた。



 「祖母は半月前肺炎で亡くなりました。私は母から連絡を受けて直ぐに実家に帰りました。それからお葬式も終わって、その時たまたま閑散期で長期休暇が取れたので、一人で遺品整理していた母を手伝っていた時ふと思い出したんです。祖母が大事に持っていた喋る鏡のことを」

 「喋る鏡? 」



 境は手毬と須藤へ交互に視線を送り問いかける。



 「祖母が嫁入り道具として家から持ってきた鏡台です。鏡を囲む銀の装飾が綺麗で祖母の家に行くたびに私はその鏡を覗いていました。その鏡は覗くと嬉しそうに声をかけてくれるんです」

 「付喪神ですね」



 手毬は目を細めて言う。

 付喪神とは長い年月を生きたものに取り付く幽霊のような者のことだ。しかし普通の幽霊とは異なり、物そのものが魂を得て動き出すことから妖の一種とも言われている。



 「鏡の声が聞こえるのは祖母と私だけでした。声が聞こえることを話すと祖母は嬉しそうに笑って私が大きくなったらその鏡をくれると約束してくれたんです。でも私はそんなことすっかり忘れて大人になって、遺品整理の時にやっとそれを思い出して母に祖母が大事にしていた鏡が欲しいとお願いしたんです」



 しかし母は鏡のことを知らないと言う。母だけでは無い。父も姉も。家族の誰もがそんなものあったかと首を傾げるのだ。慌てて鏡があった部屋に駆け込んだが、そこには小さな穴がふたつ開いた日焼けした白い布があるだけ。



 「布は祖母の鏡にかけてあったホコリ避けの布でした。昔その布を使ってお化けごっこをしたからよく覚えています」

 「鏡だけが忽然と姿を消してしまったと、そういう事ですね」

 「はい。でもおかしいじゃないですか。処分してしまったから無いならまだしもその存在が記憶ごと消えてしまうなんて」

 「それで『弔い屋』に来たんですね」

 「はい。ネットで調べている時にホームページを見つけて、喋る鏡が姿を消したことについて何かわかるんじゃないかと思ってこちらに」

 「ここ、ホームページなんてあるの? 」

 「現代社会にあった広報活動です。伝聞だとさすがに限界がありますから」

 「あ、えっと、これです」

 


 ほら、と須藤はスマホを境に見せる。確かにあった。『弔い屋』のホームページが。黒い背景に白い文字で妖の自死についてつらつらと書かれているそれはなんとも胡散臭い。よくもまあこれを読んでここに来れたものだ。だが須藤もきっと藁にすがる思いだったのだろう。顔が強ばっていたのもそのせいだ。今だって本当は半信半疑に違いない。ただ、それでも祖母との思い出があったのだと信じたいのかもしれない。



 「その、妖は人間に忘れられたら死んでしまうんですよね? 」

 「はい。妖を形作るのは人間の記憶や思想。そんな不確かなものです。その核が無くなれば妖達は姿を保てなくなり消える。それが妖の死です」

 「喋る鏡は死んでしまったのでしょうか」

 「妖が死ぬためにはこの世の全ての人間に忘れられなければいけません。ですから、貴女が喋る鏡のことを覚えているのならまだ生きてはいるでしょうね」

 「でしたら喋る鏡を見つけ出して貰えないでしょうか。祖母との大切な思い出なんです」



 お願いします。頭を下げる須藤を境はジッと見つめ、そして手毬へ目配せした。その視線を受け彼は「困りましたね」と芝居がかった口調で眉を下げる。


 

 「僕達は『弔い屋』、自ら死を選んだ妖が死ぬお手伝いをすることが仕事です。貴女の依頼は残念ですが僕達が受けられる内容ではない」

 「無理は承知です。でも貴方達にしか頼めないんです。もし喋る鏡が自死を望んでいるなら私の記憶は消してもらっても構いません。だからどうか、お願いします」



 再び頭を下げる須藤に手毬はそういうことでしたらと、須藤の出した条件をのみ依頼を受けることにした。手毬は小さなナイフと紙を彼女の前に差し出す。


 

 「それではこちらの契約書に血判を押してください。提示した条件が満たされた時、『弔い屋』が責任をもって鏡の記憶を人間から消し、無から生まれたものを無に還します」

 「・・・・・・わかりました」



 須藤はカタカタと震える手で左手の親指にナイフを刺し、指先から出た血で血判を押した。


 

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