第12話 慈烏山の化け物⑥

 すっかり日も暮れた頃。慈烏山から車で一時間ほど移動したところにある総合病院の前で境は手毬の陰に隠れくぅと欠伸を噛み殺した。彼女が手に持つスマホ画面にはとあるネット記事が載っている。

 


 “○月○日○時

 足を引きずりながら歩いている十代の女性を近所の住人が発見した。少女は左足を大きく損傷しており、彼女の歩いてきた道筋を示すように舗装された道には血が転々と落ちていたという。怪我の状況から近くの慈烏山に出る熊の仕業と思われているが、詳しい事情などは現在調査中である。”




 日付にして二週間ほど前のネット記事だ。この事件に被るように電車内での無差別殺人事件が起こり、メディアに大きく取り上げられることはなかったが冥土名三毛のファンが化け物に襲われるより前に事件は起きていたのだ。事件が起きたのがホラーゲーム界隈では話題の慈烏山だったということもあり、某SNSではこの話題で持ち切りだった。熊に襲われたというのは嘘で慈烏山には本当にゲームの化け物がいるんじゃないかと言い出す者も出てきてそれに本気か冗談か賛同する声も上がったらしい。



 「SNSによって生まれたのがあの化け物だと、そういう事ですか? 」

 「ええ」



 あのホラーゲームは化け物から逃げ回る王道系ホラーゲームだったが、ゲームのおまけとして収録されているストーリーモードでは化け物視点で動くことができた。ストーリーモードには、化け物はもともと人を害することも出来ない弱い妖虫だったが、大切な人間を傷つつけられ、その悲しみから暴れ回っていたというなんともやるせない裏話が収録されていた。このおまけが人気の火付けとなり、ゲーム実況者の間でも定番のゲームの一つとなっていた。



 「事件があってこのホラーゲームはSNSのトレンドにのるほど話題になったようですが、もともと人気も知名度もあったようですね」

 「どう? これだけ知名度があれば妖に属性が付属されるんじゃない」

 「そうかもしれませんね」



 もしも、たまたまゲームと同じように慈烏山にいる妖虫が大切な人間を傷つけられたとしたら、嘆き悲しんでいたとしたら、ホラーゲームの化け物の条件を満たし、その妖虫が化け物に突然変異してしまう可能性は十分にある。妖とはそれほど人間の想像頼りで存在の不安定な生き物なのだ。



 「それで化け物はゲームの中でどうなるんです? 」

 「最後は、」

 「おい! 準備できたぞ」



 境が結末を口にしようとした時、タイミングよく菖真が羽を広げて上から降りてくる。



 「人払いお疲れ様です」

 「本当に化け物はここに来るんだろうな」

 「多分ね」

 「多分って、」



 境のひょうひょうとした態度に菖真が苦言を呈そうとすると、唐突に木々が揺れた。暗闇の奥からゆっくり姿を現した件の化け物に境達は一斉に視線を向ける。化け物は八本の脚を動かして境達の方に歩み寄り、一メートルほど前でとまると威嚇をするように第一脚を持ち上げた。



 「遅かったわね」

 「おい! 不用意に近づくな相手は化け物だぞ! 」


 

 化け物を煽るように笑う境を止めようと菖真は彼女に手を伸ばすが、その手は手毬に払われる。カラーグラスの奥にある彼の目は彼女の邪魔をすることは許さないとばかりに菖真を射抜いていた。菖真はゴクッと生唾を飲み込み手を下ろす。

 


 「こんばんは化け物さん。お探しの少女はここにいないわよ」


 

 一歩、また一歩と境は化け物に歩み寄っていく。威嚇を続ける化け物の前に彼女がスマホの画面をかざすと、その動きはピタリと止まった。



 「流石は慈烏山の妖。スマホの見方はわかるのね。文字も読めるんでしょう。なら理解出来るはずだわ。あなたの大切な人間がもう既に死んでるってことが」



 あのホラーゲームの化け物は、最後に正気を取り戻し傷ついてしまった大切な人間のもとへ行くが人間は既に死んでおりキュウキュウと嘆き悲しむ化け物を映しエンドロールが流れる仕様になっていた。製作者の趣味の悪さが伺える結末だ。しかし、こういうものは受ける層には爆発的に受ける。そうして娯楽として多くの人間に受け入れられたがゆえに、こんな悲劇が生まれるなんてそれこそ誰も想像出来ない。これは人間の想像を遥かに超える出来事だった。化け物はくたりと第一脚を地面に垂らした。その両目からは涙が零れ落ちる。



 「涙まで流すなんて随分とこの人間に執着していたのね」



 まるで慰めるかのように化け物の頬を撫で境は呟いた。触れられることを嫌がる様子もなくされるがままの化け物に彼女はふぅと息をつくと「どうする」と尋ねる。



 「私達は『弔い屋』もしあなたが自死を望むならそこにいる胡散臭い男があなたの記憶を人間から消してくれるわ」

 「境さん、胡散臭いは余計じゃないですか? 」

 「事実でしょ」



 化け物は覚悟を決めたようにゆっくりと目を瞑る。


 

「いいのね」

 


 境は化け物の方を向いたまま手毬を呼んだ。彼は「了解致しました」と返事をして一枚の紙を取り出す。



 「こちらは自死の契約書です。こちらにあなたの血をつけてくだい」


 

 化け物は自分の脚の先を食いちぎり手毬の持つ契約書に血をつける。手毬は血判のついた契約書を見て小さく息を吐き出した。



 「それでは無から生まれた妖を無へと還しましょう」


 

 瞬間。ほんの瞬きの間に化け物はこの世から姿を消えた。まるで元から存在なぞしていなかったかのように、そこには痕跡一つ残っていなかった。呆気なく消えた化け物に菖真は言葉を失う。



 「もっと幻想的に死ぬと思っていましたか? 」



 化け物がいた場所を呆然と見る菖真に手毬は困ってないくせに困った顔をして尋ねた。



 「無から生まれた妖は自死を選べば無に還る。人間のように死後に骨なり墓なり何かが残るということはありません。それが嫌だと思うのならば、選んで欲しくない相手がいるのなら、まずは自分が変わるしかない」

 「・・・・・・俺が? 」

 「はい。他人を変えることはとても難しいことです。しかし、自分を変えることは他人を変えることに比べれば遥かに簡単でしょう」



 そうだろうか。眉間に皺を寄せ顔を顰める菖真にそんな難しく考えなくてもいいんですよと手毬は苦笑する。



 「貴方のその真面目で繊細で相手の気持ちを組もうとする優しさは美徳ですが、世の中は少しぐらい身勝手にいっそ性悪な方が生きやすいなんてこともあるんですよ」



 例えばあの人みたいに。手毬の視線を追って菖真は背を向ける人間の女を見る。化け物がいた場所をじっと見つめるあの人間は妖の自死をどう思っているのだろうか。彼女も『弔い屋』なら今まで何度も妖の自死を見てきたはずだ。殊勝な性格には見えなかったが、案外慈しんでいるのかもしれない。慰めた方がいいだろうか。迷った末に菖真が声をかけようとするとその視線に気づいたのか境が振り返り菖真と手毬の方に早足で歩いてくる。外套に照らされる紫色の瞳には濡れた様子もない。勘ぐって損した。どうやら彼女は見た目通りの性格らしい。


 

 「寒い。疲れた。お腹すいた。レタス入りのたまごサンド、ホットのアーモンドミルクのキャラメルマキアートホイップクリームとキャラメルソース、チョコチップ追加。帰ったら速攻作って」

 「今からですか? 太りますよ? 」

 「山登りでカロリー消費したから太らないわよ」



 なるほど確かにこれは身勝手で我儘で我が強い。正直羨ましいくらいに。彼女のように思ったことを口に出来れば、我儘を言えれば、父との関係も母との関係も今とは変わっていたかもしれない。いや、今からでも遅くないだろうか。だったらそう、彼女のようになりたい。



 「おい、境」

 「? なによ」

 「お前の一番近くに居たい。俺をお前の傍に置いてくれ」

 「・・・・・・は? 」

 「これはこれは、熱烈な告白ですね? 」

 「お前の事をもっとよく知りたいんだ。教えてくれ」

 「なに? なに、なに、なに? いきなり怖いんだけど! 」

 「なんで逃げるんだ。待ってくれ」

 「イヤよ! 来ないで!」



 圧に押し負け逃げ出した境を菖真が追いかける。何となく菖真の言葉の意味を理解した手毬は「転ばないでくださいよ」と声をかけて二人を見守った。「助けなさいよ」とか何とか境が叫んでいるのが聞こえるが危害は加えられないし正直見ていて面白いし助けに入る必要も無いだろう。それよりも気になるのは今回の化け物事件。偶然と言うにはあまりにも出来すぎていた。



 「・・・・・・まるで誰かが意図的に起こしたみたいですね」



 なんて。頭に過ぎった誰かを払い除け手毬は菖真に捕まり「手毬! 」と怒気の籠った声で叫ぶ境に「はいはい」と返事をしてゆっくり歩み寄った。

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弔い屋の性悪推理 美羅子 @mirabokirakira

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