第5話 鏡の付喪神③
田舎というものは良くも悪くも閉鎖的な場所だ。どこ何処の娘がやれ結婚した、子供を産んだ、離婚して子供を連れて戻ってきた、どこ何処の息子が医大に行った、行ったがいいが単位が取れず進級できなかった、どこ何処の旦那は妻に逃げられた、子供にも会ってもらえず天涯孤独だ、などなどそんな噂話、特に不幸な話はすぐに広まる。人の不幸は蜜の味というのはあながち間違っていないのだ。
「人の死なんて噂話のいい餌よ。その辺の人を捕まえて話を聞けば須藤さんの祖母の家に出入りしていた人の手がかりくらいは掴めると思うわ」
ただそれには一つ問題があった。田舎というものは内々での仲間意識が強い故によそ者に対する警戒心が高い。初対面でいきなり須藤の祖母の話を聞いても教えてくれる人間は少ないだろう。
「だから私達が須藤さんの祖母と知り合いだったっていう理由がなにか欲しいの。貴方、今朝家の鍵を預かりに須藤さんのマンションに行った時、胡散臭い笑顔で彼女と話してたでしょう。その時何か言ってなかったの? 」
「胡散臭いって、境さんが不機嫌な態度を取るから僕が誤魔化してあげんじゃないですか」
「しょうがないじゃない。私、朝弱いの。低血圧だから」
そんなことより何かないの。境に詰め寄られ手毬はしばらく唸り声を上げながら考え、それから、あ! と声を上げた。
「玄関に入れてもらった時、下駄箱の上に額縁に入った達筆な毛筆の字が飾ってあったじゃないですか。それが気になって須藤さんに聞いたんですが、その作品は須藤さんが書いたもので、彼女は習字教室をやっていた祖母に書道を教えてもらっていたそうです」
「習字教室? 」
「はい。小学生の子供を集めて教えていたようです」
「習字教室か、それは使えるわね」
須藤と同年代の見た目をしている境達なら「恩師に会いに来た」と言えば話を聞いてもらえるだろう。くわえて十代から二十代は顔が変わりやすい年頃ゆえに深く探られなければ素性を誤魔化すこともできる。それなりの話術は必要になるだろうが、いける。そう思って手毬に提案すると彼は境ににっこり微笑み、
「分かりました。では僕が話を聞きますので境さんは僕の横でじっとしててください」
「は?」
「相手と一言も喋らず、目も合わせず、じっとしててください。対人技能皆無なんですから貴女」
「なっ! 」
手毬の言葉に反論しようとした境だったが、言葉が出ず押し黙る。彼女の対人技能が壊滅的なのは紛れもない事実だった。ただそれでも納得できないものはあってワナワナと身体を震わせる彼女を慰めるように送り犬達が足下に寄り添う。
何とか落ち着いた境をつれて二人と二匹は聞き込みに外に出た。早速見つけた第一村人は六十代くらいの男性だった。手には家具や家電が乗った手押し車を引いている。
「すみません、少しお時間よろしいですか? 」
「ん? なんだい」
手毬は人好きする笑顔で男性に話しかける。男性は声をかけられ一瞬警戒の色を強めたが手毬の友好的な笑顔と柔らかなその口調につられるように語気が和らぐ。
「この辺りに習字教室があったと思うのですが、存じないでしょうか? 昔お世話になったのでご挨拶をと思っていたのですが、見当たらなくって」
「習字教室? ああ、千代さんのとこかい。あんたあそこの生徒さんだったんか。だけんど教室やってたのはもう十年も前のことだ。教室の看板も出してないから分からないのは無理もないさ」
「辞めてしまったんですか? 」
「やる気はあったらしいがどうにも身体が持たずそのうえ認知症にもなっちまったみたいでな。須藤に嫁に行った娘さんがよく様子を見に来たよ」
「お一人でですか? それは大変ですね」
「ああ、いや、初めの頃はな。それも途中で来るのが難しくなったのか、デイサービスを頼んでたみたいだよ。晩年は入院しちまったから来なくなったが、たしか二ヶ月前までは職員が三人迎えに来てたはずだ」
「晩年・・・・・・先生は亡くなってしまったんですね」
手毬は一瞬暗い顔をしたがすぐに笑顔を男性に向ける。その痛々しく健気な仕草にすっかり警戒心をなくした男性は雇われていたデイサービスの職員と会えるように取り合おうかと提案した。どうやら彼はその三人と知り合いらしく連絡を取れはすぐに会えるだろうという。これは運がいい。境達は有難くその申し出を受け須藤さんの祖母の家に戻り職員の三人が来るのを待つことにした。
「貴方達が潮濱さんが言ってた千代さんの教え子さんですね」
「千代さんの事について聞きたいと言うことですが一体どのようなことを? 」
やってきたのは五十代くらいの風格のある女性と二十代くらいの小柄な女性、それから四十代くらいのガタイのいい無口な男性だった。先程手毬が声をかけた男は潮濱と言うらしい。彼はこの辺では有名な顔役のようで三人は彼からの紹介なら何を話してもいいと言う。
「先生は亡くなったと聞きました。認知症を患ったとはお孫さんから聞いていましたがそんなに体調が悪かったのでしょうか? 」
「ああ、絵里ちゃんともお知り合いなんですね。それなら聞いていたと思いますが、千代さんは認知症の症状が重く、まるで人が変わったみたいだとよく言われていました」
「近所では優しいお婆さんと言われていたようですが、認知症で人が変わるのはよくあることです。ですが、あれには驚きましたね」
「あれ、とは何ですか? 」
「千代さんにはとても大事にしてた鏡があったそうです。彼女はそれを毎日磨いて綺麗にしていました。でもある時、」
「千代さんは鏡を割ってしまったんです。こんなものあってはいけないと怒鳴って」
三人の話を聞いて境と手毬は目を合わせる。須藤の祖母が喋る鏡を割った。それをこの三人が〝覚えている〟。おかしな話だ。須藤の家族は誰も鏡のことを覚えていなかったというのに。それを鏡になんの思入れもないデイサービスの職員が覚えているなんてそんなこと有り得るのだろうか。いや、もしかしたらその大前提が間違っているのかもしれない。境は隣に立つ手毬の袖を引きデイサービスの職員に問いかける。
「二つ聞きたいことがあるわ」
一つは須藤の祖母の鏡を見たのはいつかということ、もう一つはその鏡が割れたという話は誰から聞いたのかということ。その二つを聞いた境は手毬の袖を引っ張り近くに停めてあった車に彼を押し込んだ。その後ろから慌てて送り犬達が飛び乗ってくる。
「境、いきなりどうした? 」
「境ぃ?」
「そうですよ突然なんです? まだあの三人にお礼も言ってないのに」
「喋る鏡の居場所がわかったわ」
「え? 」
「マジか」
「ほんとぉ?」
一体どこに? と目を瞬かせる手毬と送り犬達に境は車窓の外を指さす。
「あの山よ」
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