第6話 鏡の付喪神④
十数分車を走らせ山に着いた途端、境は車を降りてその中にずんずん入っていく。
「おい! 境が行っちゃったぞ! 」
「はやく追いかけて! 」
「はいはい。分かりましたよ」
山は妖の縄張りになっていることが多いので送り犬達は残念ながらここでお留守番だ。境のことをちゃんと守れよ!とシートの上でジャンプする二匹を背に手毬は彼女の後を追いかけた。
「それで、どうしてここに喋る鏡があるとわかったんですか? 」
「喋る鏡が須藤さんの家族にとって見つかってはいけないものだからよ。須藤さんの家族は喋る鏡を忘れたわけじゃなかった。触れて欲しくなかったから知らないフリをしたの」
触れてほしくない? どういうことですか。と手毬が問いかけると境は足を止める。彼女の目線の先には割れた鏡台があった。雨や泥、草木ですっかり汚れてしまっているが銀の装飾は健在で山の中でも一際存在感をはなっている。境は鏡に近づくとつま先でそれをコツンと蹴った。
「あなたが喋る鏡ね。ねぇ、まだ生きてる? 」
「失礼な子だねぇ。いきなり蹴るやつがあるか」
鏡は古風な口調で女性のような声色で話した。それから手毬を認識して柳の男の次は牡丹灯籠かい。嫌だ嫌だとげんなりした声で言う。
「僕達は『弔い屋』です。須藤絵里さんのご依頼であなたを探しに来ました」
「なんだい今度こそアタシに関する記憶を消してくれるのかい」
「消して欲しいなら消してあげるわよ。でもその前に出すものがあるんじゃない」
「さて、なんのことやら分からんね」
「引き出しの鍵、開けてくれる? 」
強い口調で言われ、鏡は初め無言の抵抗を試みたが折れる様子のない境に降参だと言わんばかりに引き出しの鍵を開けた。それに境が確認しろと顎をしゃくるのではいはいと手毬が中を見てみると、そこには細長い封筒が裏返しになって入っていた。表に返してみると達筆な字で遺言書と書かれている。
「それは須藤さんの祖母の遺言書ね。日付は認知症になる前のもの。文面はそうね、須藤絵里さんに全財産を渡す。とでも書いてあるんじゃないかしら」
「ああ、そうさ。千代は絵里を一等可愛がっていたからね」
鏡の声が聞こえるなんて頭がおかしいと思われても仕方がない。須藤の祖母は鏡に度々そう零していたそうだ。境の生まれ故郷が特殊だっただけで、妖の声が聞こえる人間も妖が見える人間も、人口の全体の数%にしか満たない。大多数の人間は聞こえないし、見えない。聞こえ見える者がどれだけ訴えかけようと頭の病気だと笑われるのが関の山だ。そんな中で同じく鏡の声が聞こえる人間にどれだけ救われたことだろう。
「けどがめつい千代の娘はそれを許さなかった。千代が遺言書を書いていることを知ると家中をひっくり返して探した」
「その時にあなたは千代さんの娘さんに割られてしまったのね」
家の中を探し、最後に残ったのが忌々しい鏡台。鏡台には一つ鍵のかかる引き出しがあり、ここに遺言書があるんだろうと思った。何とか開けようと四苦八苦しているうちに鏡を割ってしまったのは運が悪かったのだろう。
「あの子は血相を変えて何とかしようとしていたよ。千代が出かけている時に勝手に入ってきてたから千代が戻ってくるまでに何とかしようとしてたんだろう。そんな時あいつが来たのさ」
チャイムを鳴らし玄関から入ってきたのは潮濱だった。庭には彼がいつも引いている手押し車が停められている。それを見て彼女は思いついた。遺言書をとれないなら鏡ごと捨ててしまえばいいと。
「潮濱は廃品回収をすると近所を周って有料で家具や電化製品を回収しては山に不法投棄をするような人間だったからね、二つ返事でアタシの事を山に捨てたのさ」
「デイサービスの職員は潮濱から須藤さんの祖母が鏡を割った事を聞いたって言ってたわ。やっぱりグルだったのね」
「汚いヤツらだよ」
「ふむ。・・・・・・あのぉーえっと、つまりどういうことです? 潮濱さんと須藤さんの母親がグルという事はわかりましたが、潮濱さんはなんで須藤さんの祖母が鏡を割ったと、そんな嘘をついたんでしょうか? 」
説明を求めますと挙手をする手毬に境はそれはそれは大きなため息をついた。
「さっきここに来る前、私がデイサービスの職員に聞いた事覚えてる?」
「えっと、須藤さんの祖母が鏡が割った話を聞いたのは誰か」
「もう一つは?」
「鏡を最後に見たのはいつか、ですよね」
「そう。彼女達は須藤さんの祖母の鏡を見た事がないと言った。当たり前よね。デイサービスに通うようになる前に鏡は割られてたんだから」
「つまりどういうことです? 」
「須藤さんの祖母が認知症になったのはつい最近だって言ったでしょ。でもそれじゃダメだったの。遺言状を無効にするためには遺言書を書いた時点で認知症じゃなきゃいけなかった。だから認知症の須藤さんの祖母が鏡を割ったんだと嘘をついてデイサービスの人達に証人になってもらおうと思ったんでしょう」
民法九六三条では遺言者は、遺言をする時においてその能力を有しなければならないと定められている。遺言者が認知症の場合遺言書を書けないと言うわけではないが、遺言書の内容に納得できず裁判にでもなった場合突っ込まれるポイントにはなる。
「万が一、喋る鏡から遺言書が見つかった時を考えてのことでしょうね。潮濱には遺産を分けてやるから協力しろとでも言ったんでしょう。だから彼は須藤に嫁に行った娘は最近来ていないって、私たちに強調したのよ。でもそのアリバイ作りも意味ないわ。医者の診断書もないんじゃ認知症を証明することは難しい。遺産は遺言書どおりに須藤絵里さんに渡されるでしょうね」
詰めが甘いのよと境が鼻で笑うと鏡は「そうかい」と呟くような小さな声で言った。
「・・・・・・本当にあの娘は千代の金にしか興味がなかったんだね。千代は・・・・・・あの子は、どんな気持ちで・・・・・・・・・」
大切にしていた鏡失って気落ちしてしまったのもあり、それから程なくして須藤の祖母は亡くなった。山に捨てられた鏡に彼女の現状は分かるはずもないのだが、何となく気づいているのだろう。鏡は「千代は死んだんだろう」と無機質な声で言う。
「もうアタシにこの世に留まる理由は無い。その遺言書も持ってってさっさと絵里の記憶も消しちまっておくれよ」
境と手毬は来た道を戻り車に乗り込む。行先は須藤絵里の家だ。早く事の経緯を説明して鏡の望むとおりに記憶を消してやらないといけない。さて、その前に。手毬はバックミラーで後部座席を確認し「境さん」と努めて明るい声で呼びかけた。
「今日はお疲れ様でした。境さんのおかげで喋る鏡を見つけるだけではなく、遺言書まで見つけることが出来ました」
境からの返答は無い。彼女は無言で眠っている送り犬達を撫でていた。それでも構わず手毬は話し続ける。
「須藤さんもびっくりするでしょうね。鏡を見つけて欲しいと頼んだら遺言書が出てくるなんて。棚からぼたもちならぬ、鏡台から遺言書なんてね」
「なんにも上手くないわよ。それに須藤さんは遺言書の事を知っていたのかもしれないわ」
緊張した面持ちだがあの時の彼女は明らかに焦っていた。それは大事にしていた鏡が無くなったせいかと思っていたが、財産分与をされ有耶無耶にされてしまう前に祖母の遺言書を見つけたかったんじゃないだろうか。それに鏡が消えた理由がわかったら鏡に関する記憶は消していいなんて、まるで鏡を見つける以外に何か目的があるみたいじゃないか。
なんて全部憶測に過ぎないが。
「それより一つ分からないことがあるの。ずっと考えてるんだけど答えが出なくって、すごいイライラする」
「もしかして僕の問いかけを無視してたのはそのせいですか? 僕はてっきり感傷に浸ってるいるのかとばかり」
「なんでそんなものに私が浸らなきゃいけないのよ」
「そうですよね。さすがは僕の境さんです」
「なにそれ。私は私のものなんたけど 」
「失礼しました。それで何が分からないんです?」
「スリッパを使った三人よ」
「ああ、言ってましたねそんなこと」
スリッパを使った三人の内二人は須藤の母親と潮濱だろう。割れた鏡を持ち出す際破片を踏んで怪我をしないように履いたのだ。そこまでは分かる。だかあと一人がどうにも思いつかない。
「・・・・・・まあ、もうどうでもいいわね。終わったことだし」
「おや、諦めてしまうんですか」
「だって喋る鏡とは何の関係ないでしょう。それに私は探偵じゃないもの。そこまで探る必要は無いわ」
「そうですか。でも僕は知ってますよ」
は? 何言ってんだこいつと睨みつける境をバックミラー越しに見て手毬は言う。
「柳の男ですよ」
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