第7話 慈烏山の化け物①
境が『弔い屋』になってから季節が一つ過ぎた。お気に入りのキャラメルマキアートもアイスの方が美味しくなってきた今日この頃、
「境さん、そろそろ仕事を覚えてみませんか? 」
と手毬が境の前に空のグラスを置く。定位置のカウンター席で二週間ほど前に起きた今話題の電車内での無差別殺傷事件のニュースをスマホで眺めていた彼女は視線だけを動かして手毬を見る。
「『弔い屋』の仕事ならやってるでしょ」
「ええ、もちろん。大変お世話になっておりますとも。しかし、僕が言っているのはカフェでのお仕事のことです」
「それはイヤ」
絶対イヤ。境は眉間に皺を寄せて手毬を睨みつける。『弔い屋』の仕事でさえこの胡散臭い男の手足になるようで嫌なのに、さらに契約外のカフェでの労働をこの男の下でやるなんて考えただけでゾッとする。
「でも境さんもうすぐ失業手当が切れますよね? 働かないと一文無しの無職ですよ」
「『弔い屋』の仕事をやっているでしょう。無職じゃないわ」
「残念ながら『弔い屋』は人間の世界では仕事としてみなされません。貴女は無職です。そもそもそうじゃないと失業手当も貰えていないでしょう」
「は? じゃあ今までのお給料はなんだったの? 」
「人間の世界では妖の決まりは通用しませんから、無職の境さんが貰っているお金はいわゆる贈与ですね」
「ぞう、よ」
「はい。つまり境さんは巷で話題の頂き女子みたいなものです」
「それは違うででしょ。違うわよ、絶対違う」
とにかくイヤなものはイヤなの。境は手毬に空のグラスをぐいっと押し返す。しまったな。こうなってしまった境はテコでも動かない。短い付き合いながら彼女の我儘な性格を誰よりも分かっている手毬はこれ以上言っても無駄だと悟り、分かりました。と言ってそのグラスを下げた。
ですがその代わり、と前置きをして続ける。
「明日は山に登ってもらいます」
「・・・・・・山? 」
「ええ、山です。ハイキングをします 」
「なんで? 」
「『弔い屋』のお仕事の依頼があったからです」
『弔い屋』の仕事なら何であろうとちゃんとやってくれるんですよね。そうニッコリ微笑む手毬に境は苦虫を嚙み潰したような顔で頷くのだった。
**********
「慈烏山? 」
電車を三回ほど乗り換え、そこからバスと歩きで二時間ほどかけて目的地の山に到着した。手毬のあとに続き舗装されていない道を歩く。そこで初めて聞く山の名に境が首を傾げながら聞き返すと手毬はええ、そうです。と頷いた。
「ご存知ないですか? 結構有名な山だと思うのですが」
「私が山歩きに興味があるように見える? 」
「見えませんね。ですが有名なのはこの山の逸話の方ですから。境さんのような方でも知っていておかしくないと思いますよ」
今から百年ほど前、ここ慈烏山では異様な殺人事件が相次いでいた。腹に穴をあけられたり、首の骨を折られたり、脚をもがれていたり、遺体の状態は様々だったが、事件には三つ共通していることがあった。一つは被害者の全員が罪を犯した悪人だということ、もう一つは遺体は一様に見るも無残な状態にもかかわらず、発見時には皆まだ生きていたこと。そして恐怖に歪んだ顔で「この山に入ってはいけない」と皆口々に言い息絶えたこと。それらのことから慈烏山には人間を喰らうバケモノが棲んでいるという噂が広がった。もちろんそれはただの噂話に過ぎない。
「もともとこの山にそんな妖はいなかったんです。罪人が死んだのは復讐、事故、通り魔、理由は様々でしたがたまたま時期が重なった。共通点が多かった。そんなただの偶然です。ですが妖は人間の想像で作られる」
人間のあらぬ噂から本物の化け物が生まれてしまったのだ。その妖は人間を襲い喰らう。慈烏山の麓に住む人間達は妖を恐れ、山の主に生贄を差し出しその化け物を退治してくれと頼んだ。
「慈烏山はもともと烏天狗の納める神聖な地として名が付けられた山。山の主である烏天狗は人間に友好的であり、生贄を対価に人間の願いを叶えてくれるものと言われていました。ですが化け物の力はあまりに強く烏天狗達の手には負えません。ですから彼らは泣く泣くある者を頼ったのです」
手毬は自分の胸に手を当てる。
「それが僕達『弔い屋』です」
「百年前の話よね? 貴方やっぱり人間じゃないの? 」
「僕が依頼を受けたわけじゃありませんよ。『弔い屋』というものはずっと昔からあるんです。妖が死を望んだその時からずっとね」
妖全盛期から数は減ったと言っても何百何万といる妖の自死の手助けをするのはさすがに手毬だけでは手が回らない。始まりこそたった一人だった『弔い屋』も現代では妖の中で経済化され、大元を締める『弔い屋』のトップがおり、そのトップに認められた数少ない者が日本各地に散らばり『弔い屋』として日々活躍している。
「ですから僕は雇われ店長みたいなものなんです。と、先日もお話しましたよね」
「そうね。そうだったわね」
つい先日、依頼があれば朝だろうと夜だろうと呼び出される労働環境にいい加減嫌気が差した境は「もう辞める」と手毬に辞表を出した。手毬はそれに残念ですがと首を振り、辞めるためには誓約書を作った本人、『弔い屋』のトップに直談判しなければならず、そのトップに会うためには『弔い屋』として仕事をこなしトップに認められないといけないと言うのだ。
「トップに認められるように今日もお仕事頑張りましょうね」
「・・・・・・・・・・・・」
「おや? 境さん、お返事が出来ないのは社会人として如何なものかと思いますよ」
「・・・・・・ちっ」
「舌打ちで返事をするのはやめましょうね」
「あ、あの・・・・・・お取り込み中すみません」
足元から聞こえたか細い声に境と手毬は声の主を探す。キョロキョロと辺りを見渡し、すぐ近くにあった熊出没注意の看板の下に小さな獣のような何ががいるのを見つけた。
「これはこれは、山彦さんお待たせしてしまってすみません」
「いえ、わたしの方こそ分かりにくいところに居てすみません・・・・・・」
「これが今回の依頼者? 」
「はい。この山の山彦さんです」
山彦とは山で大きな声を出すと同じ言葉を真似して返すと言われていた妖。しかしそれは昔のことで、声が返ってくるのは音が山や谷にぶつかって跳ね返って来ているだけだということが科学的にわかった今では人間がその現象を妖だと認識することも減ってしまった。
「わたしも例に漏れず妖としての力はとうに失い、身体もこんなに小さくなってしまいました」
「それで自死を選ぼうと思ったわけ? 」
「いえいえ、わたしは何もせずともいずれ消える身。わたしのことで『弔い屋』様のお手を煩わせるつもりはありません」
「ではどうしてうちに依頼をなさったんです? 」
「それは、ですね・・・・・・えっと、その、大変言い難いのですが・・・・・・」
山彦は言いにくそうに口をもごもごさせる。その煮え切らない態度に苛立った境が「はっきりしないわね。だからなんなの? なんのために呼んだわけ? 十秒以内に答えなさい」と詰め寄ると山彦はひぃぃと悲鳴をあげて叫ぶ。
「この山に化け物がでたのです! 百年前に烏天狗様と弔い屋様が退治して下さったあの化け物が復活してしまったのです!」
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