解説(言い訳) ⑧ あるいは後書き
本編完結後の言い訳回って、お間抜けな気がいたします。だからといって終話の前に挟むのも違う気がして、後書き状態になりました。
レツゴー。
* * *
閑話にて、非情にも立ち退きをせまられた水神くん。祠があったのは現在の開港広場や開港資料館付近です。資料館の中には玉楠の木も健在です。しっかりした株立ちの姿から、ひこばえが育ったのだとわかりますよ。
後の本編で書いた通り、この一帯は大火事で焼けています。それは知っていたのですが書き進めてから、祠って火事でどうなったの? と青くなりました。私も勉強しながら自転車操業で書いておりましたのでね……。
調べ直したら前の年に弁天社内に移転していたとありまして一安心でした。水神くんは焼けずに済んでた! あまりにホッとして浮かれて宇賀くんをからかって遊んでしまいました。
あいすくりん屋のリズレーは、貸し馬を売り払ったお金で牛を輸入し牛乳屋にジョブチェンジ。本当に落ち着かない人です。
同じく落ち着かない栄作は、また職を転々としたあげく自前の店を元町に開いています。バイタリティ……!
栄作のモデルは飯島栄助といいます。ギヤマン徳利はヒット商品だったようで、その後の元町には西洋物産店が十軒以上できました。
栄作さん、何故名前を変えて登場させたかというと、架空の人物キセと夫婦になってしまったからです。やっとキセを幸せにでき、弁天に謝らせることもできてホッとしました。
そして慶応の大火、通称豚屋火事。日本人町にあった豚肉料理店から出火したと言われており、こんな呼び名です。
日本家屋は火に弱いですから、都市部の火災は大問題ですね。秋葉さまのお札がどの程度効くものかはわかりません。
水神の祠は実際は海の神でしたが、元の位置にあったとしても大波で火を消せるかというと……高潮被害の方もひどくてどうしようもなさそうです。
外国人たちは最初居留地を狙った放火事件かと疑ったようです。でも日本人町の被害甚大なのを知り偶発的な火災だと納得したとか。時代の空気が伝わります。
この火災後に、完全西洋風建築ですとか日本の土蔵技術を取り入れた建物が増えます。明治初期の写真では〈なまこ壁〉が目立って面白いです。蔵の町のよう。
燃え盛る炎の中、外国人が遊廓の堀に小舟を出して遊女の救出を試みたりもしました。そのように一般居留民も頑張ったのですが、火災対応のメインは駐屯軍。しかし水が少ない場所柄、消火は難航します。この経験が、後に居留地消防隊が組織されポンプ車を共同購入したりといった活動につながっていきます。
が。この大火の中でやらかしてくれたのがイギリス第9連隊でした。荷物の運び出しをやるうちに酒を見つけて飲み始めちゃったそうです。火事場宴会!?
第9連隊の通称は「Holy Boys」。その由来は連隊結成時に全員に支給される聖書を町で売り払い酒代にしたという逸話によるものだとか。元々酒飲みだらけだったってことですね。
谷戸橋の向こうに住んでいるヘボンさんというのは、ヘボン式ローマ字のヘボンです。火災の避難民たちをヘボン塾のみなさんが訪問治療してくれたかどうかはわかりませんが、やっていたかもなというお話しを載せました。
目薬の精錡水はこの年発売したばかりで、明治時代のヒット医薬品。販売者の岸田吟香もヘボンと一緒に上海に出張中でしたが、残った人々が頑張ったのではないかと想像しました。
日本の家屋はかまどの煙が屋内に充満しやすく眼病が多かったのです。それに大変よく効く目薬だったそう。火事の煙にやられた人々の助けにもなったのではないでしょうか。
平助と話したことがある同い年のヘボン塾生とは高橋是清。後の総理大臣です。日本人町に住んでいて、火事の中を布団と本を背負って逃げたとか。この翌年アメリカ留学に旅立っています。そこで仲介者のヴァン・リードに騙されて渡航費を着服され、ホストファミリーのリード両親に年季奉公に売られ、と波乱万丈あったそう……何それ怖い。
でもこのヴァン・リード、ヘボンの助手の岸田吟香が新聞『もしほ草』を発行する手助けもしています。どういう人なんだろう。
火事の後、居留地の在り方を根本から考え直し改訂版覚書が交わされました。その主な点が、外国人墓地の拡充・根岸競馬場の設置・山手の居留地編入です。
増徳院に訪ねてきたのはジョン・ジョシュア・ジャーメイン。イギリス第20連隊員として来日し、現地除隊した人です。
連隊が香港への移動を命じられた時、嫌がって除隊する人が多かったそうで……横浜に来る前の香港では大量の病人が発生しましたので、彼らにとっては悪夢の土地だったんですね。
ジャーメインは除隊後に農場の社員となり、その後横浜ユナイテッド・クラブに勤めます。つまり居留民の互助会兼交友会のようなものです。
明治には居留民が墓地を直接管理するようになるのですが、その管理人に就任しています。日本人女性と結婚し、花の農園を営んだとか。
ジャーメインとは農場関係で知り合ったのでしょうか、弥助が通訳を務めて奮闘しています。
日本人商人が何かと騙されたりボラレたりは、実はしょっちゅうでした。それを防ぎたいという大志を抱いた弥助にとうとう正体を明かした弁天ちゃん。村の子が立派に育って私も感無量です。
弁天ちゃんが笑い転げた常設競馬場、現在では根岸森林公園になっています。園内には「馬の博物館」というのがあって、日本の競馬の歴史や馬の文化に関して展示されています(現在休館中)。また「一等馬見所」という観戦スタンド跡が残っていますが、これは関東大震災後、昭和四年に再建されたものだそうです。
ここで行われた競馬会には明治天皇も十数回も来臨しました。各国大使と交流する場だったようですね。
幕府崩壊の過程はざっくりとしか触れませんでした。この作品はあくまで横浜目線なので。端折りすぎだろというご意見は拝聴します(直すとは言えない)。
そして明治元年、薬師堂の御縁日が始まります。いちばん盛んだったのは明治三十年代。場所柄もありますが、外国人の船乗りも集まる人気の催しだったそうです。まあつまり、日本娘との出会いの場としてなのですが。そんなわけで〈元町色薬師〉なんて言われてしまいますが、盛況でした。
料理家・平野レミ氏の祖父母(ヘンリー・パイク・ブイと平野駒)はこの夕薬師の日に増徳院境内で出会ったのだそうですよ。マジか。
和洋の文化が出会う、カンテラの灯りに暮れなずむ町。そんな風景で物語を〆させていただきました。
* * *
横浜関内地区と元町をおもな舞台とした歴史ファンタジー。
調べるほどに、興味深い逸話・人物に出会えました。勉強は大変でしたが、書いていてとても楽しかったのも事実です。
横浜においでの際は、弁天ちゃんと宇賀くんが歩いた町並みや昔の浜辺をちょっとだけ思い出してみて下さいませ。
お読みいただき、ありがとうございました。
山田あとり 拝
開国横浜・弁天堂奇譚 山田あとり @yamadatori
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