03 ヴァンデミエール将軍ナポレオン

 ……その日、一七九五年十月五日。

 革命暦でいう、共和暦四年葡萄月ヴァンデミエール十三日。

 王党派はサントノレ通り、ヴァンドーム広場、サン・ロック教会、パレ・ロワイヤル広場を占領しており、ついに革命政府を打倒するべく、政府の置かれたテュイルリー宮殿へと行進を始めた。

 首都パリでは大砲を禁じられている。

 それゆえに、大砲を持たぬ王党派としてはデモ行進だと言い張り、そのままテュイルリー宮殿へ乱入を企てていた。


「宮殿内に入ってしまえば、何、手に持つ銃なり剣なりで、奴ら熱月テルミドール派を駆逐してくれよう」


 ついに王党派はテュイルリー宮殿前の広場、カルーゼル広場へと至り、じわりじわりと宮殿の包囲を始めた。


「追い払え!」


 国内軍(治安維持のための軍)の総司令官、ポール・バラスは攻撃を命じ、一時は撃退したが、王党派はその数、およそ七千人。


「武装せよ!」


 王党派の七千人が手に手に銃や剣を持ち、テュイルリー宮殿へと向かう。

 このまま、国内軍には、すべがないかと思われた。

 実際この時、バラスが――総司令官のバラスまでが、王党派の数人に襲われ、うのていで後方へと下がったという。

 そして下がった先で。


「ほ……本当にやるのか?」


「そうだ」


 副司令官であるナブリオーネ・ディ・ブオナパルテ、今ではナポレオン・ボナパルトは不敵にうなずいた。

 バラスにはその不敵さが傲岸さに見え、思わず怒鳴りつけた。


「だが、首都だぞ? そのような暴挙など、許されると思うか? やはりここは騎兵の突撃で……」


「ポール・バラス」


 ナポレオンはつかつかとバラスに歩み寄り、その襟をつかんで。


「黙っていろ」


 じ上げた。


「……ぐっ、苦しい! 苦しいぞナブリオ!」


「ナポレオンだ、間違えるな、ポール・バラス!」


 捩じ上げたバラスを近寄せ、ナポレオンは目をいてささやく。


「いいか、ポール・バラス。あんたは熱月テルミドール派の有力者だ、権力もある。金銭かねもある。僕もそれは認める。僕は、あんたに従わざるを得ない……だがな」


 ナポレオンの目が王党派の叛乱軍に向く。


「だがな、今、この戦争で、この場で王党派あいつらに勝てるのは僕だ。僕だけだ。だから今はこの僕に従ってもらう。あんたを勝たせてやる。勝たせてやるために必要なことだ。言ったはずだ、条件がふたつあると。そのうちのひとつ! 僕に従うこと!」


「………」


 バラスはうなれた。

 常におごり高ぶり、悪徳の士と言われても望むところだとうそぶくような自信家が、うな垂れた。

 こいつは猛禽もうきんだ。

 予備役にとどめておくべきだった。


「さあ! 今、目の前に広がる、くだらないことのすべて、これを一秒後に、胸を揺らすことのすべてと変えて御覧に入れよう! さあ! を果たせ! さあ!」


 何たる大言壮語。

 そうして従うことの、何と甘美たる誘惑。

 まるで……何か、最高位の者の発する、天命のような響きがある。


「……許可する」


「聴こえないな、もう一度」


「許可する!」


 まるでベッドの上で求められているような、そんなナポレオンのに、バラスは屈した。屈してしまった。


「……よかろう、バラス。これで君は勝利を手に入れた。大砲を出せ!」


 ごろごろと転がされてきた大砲に、バラスは目をそらす。

 首都パリでは大砲の使用は禁止されている。

 そのはずなのに。

 この男は。


「まさか、大砲?」


「そこまでやるか」


「バラス! 悪法三分の二法を作った次は、法を破るか!」


 王党派のが聞こえる。

 だが、バラスにとっては、そんなものは、もはやどうでも良かった。

 今は、目の前のコルシカ訛りのフランス語をしゃべる男の方が、よほど、気になる。

 そしてその男は、とんでもないことを口にした。


用意!」


「ぶどう弾だと!?」


 バラスは思わずおもてを上げて、ナポレオンをにらんだ。

 しかしナポレオンはどこ吹く風だ。

 砲兵士官出身らしく、俯角仰角の指示を矢継ぎ早に出す。


 ぶどう弾。

 いわゆる散弾である。

 発射されると、弾が四方八方に飛び散り、点ではなく面で敵を制圧する砲弾である。

 その込められたいくつもの散弾が、さながらぶどうのように見えるため、ぶどう弾と呼ばれる。


「おいナポレオン! いくら大砲の使用を許可したからと言って……」


 もはやナポレオンはバラスの言うことに聞く耳を持たない。

 それどころか、ぶどう弾こそ、葡萄月ヴァンデミエールにふさわしいとうそぶいた。


ッ」


 ナポレオンの号令一下、大砲からぶどう弾が発射された。

 逃げる王党派。

 王党派は点による攻撃を予期していたが、面の砲撃を予想しておらず、ぶどう弾をに食らい、文字どおり、散っていった。



 その後。

 王党派は退いたものの、中にはバリケードを作って抵抗の意志を示す者がいた。

 特に、サントノレ通りのサン・ロック教会に籠もる者は手強く、国内軍の砲手を狙撃までして来た。


「撃て」


 ナポレオンが馬上、ぶどう弾による砲撃を指示すると、一秒後にはサン・ロック教会のバリケードは崩壊していた。


「ふん、くだらんな」


 ここまで来れば、あとは掃討戦だ。

 片づけのようなものだ。

 ナポレオンは――くだらないと言いつつも、自らの胸を揺することのすべてを手に入れたことを実感した。

 バラスはもう、戦場には立たぬ。

 このナポレオンに軍事のことは任せるであろう。


「軍事のことは……だが、それだけでいられると思うな」


 トゥーロンの勝利のあと、予備役に追いやられる憂き目に遭ったが、今度はそうはいかぬ。

 このナポレオンが、軍事だけでなく、権力も手に入れてやる。

 そう……すべてを。

 不敵な表情を浮かべ、次なる敵を求めて戦場を、首都を駆るナポレオンの背に、声があがった。


「ヴァンデミエール将軍!」


 と。

 葡萄の月ヴァンデミエールに勝利を得た男。

 革命の混迷の中、くだらないことのすべてを、一秒後には胸を揺することのすべてに変えた男。

 その男、ナポレオン・ボナパルトは、この異名を手に入れ、ひた走る――皇帝ランペルールの座へ向かって。


【了】

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くだらないことのすべて、一秒後に胸を揺らすことのすべて 四谷軒 @gyro

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