03 ヴァンデミエール将軍ナポレオン
……その日、一七九五年十月五日。
革命暦でいう、共和暦四年
王党派はサントノレ通り、ヴァンドーム広場、サン・ロック教会、パレ・ロワイヤル広場を占領しており、ついに革命政府を打倒するべく、政府の置かれたテュイルリー宮殿へと行進を始めた。
それゆえに、大砲を持たぬ王党派としてはデモ行進だと言い張り、そのままテュイルリー宮殿へ乱入を企てていた。
「宮殿内に入ってしまえば、何、手に持つ銃なり剣なりで、奴ら
ついに王党派はテュイルリー宮殿前の広場、カルーゼル広場へと至り、じわりじわりと宮殿の包囲を始めた。
「追い払え!」
国内軍(治安維持のための軍)の総司令官、ポール・バラスは攻撃を命じ、一時は撃退したが、王党派はその数、およそ七千人。
「武装せよ!」
王党派の七千人が手に手に銃や剣を持ち、テュイルリー宮殿へと向かう。
このまま、国内軍には、
実際この時、バラスが――総司令官のバラスまでが、王党派の数人に襲われ、
そして下がった先で。
「ほ……本当にやるのか?」
「そうだ」
副司令官であるナブリオーネ・ディ・ブオナパルテ、今ではナポレオン・ボナパルトは不敵にうなずいた。
バラスにはその不敵さが傲岸さに見え、思わず怒鳴りつけた。
「だが、首都だぞ? そのような暴挙など、許されると思うか? やはりここは騎兵の突撃で……」
「ポール・バラス」
ナポレオンはつかつかとバラスに歩み寄り、その襟をつかんで。
「黙っていろ」
「……ぐっ、苦しい! 苦しいぞナブリオ!」
「ナポレオンだ、間違えるな、ポール・バラス!」
捩じ上げたバラスを近寄せ、ナポレオンは目を
「いいか、ポール・バラス。あんたは
ナポレオンの目が王党派の叛乱軍に向く。
「だがな、今、この戦争で、この場で
「………」
バラスはうな
常に
こいつは
予備役にとどめておくべきだった。
「さあ! 今、目の前に広がる、くだらないことのすべて、これを一秒後に、胸を揺らすことのすべてと変えて御覧に入れよう! さあ! ふたつめの条件を果たせ! さあ!」
何たる大言壮語。
そうして従うことの、何と甘美たる誘惑。
まるで……何か、最高位の者の発する、天命のような響きがある。
「……許可する」
「聴こえないな、もう一度」
「許可する!」
まるでベッドの上で求められているような、そんなナポレオンのもう一度に、バラスは屈した。屈してしまった。
「……よかろう、バラス。これで君は勝利を手に入れた。大砲を出せ!」
ごろごろと転がされてきた大砲に、バラスは目をそらす。
そのはずなのに。
この男は。
「まさか、大砲?」
「そこまでやるか」
「バラス!
王党派のさえずりが聞こえる。
だが、バラスにとっては、そんなものは、もはやどうでも良かった。
今は、目の前のコルシカ訛りのフランス語をしゃべる男の方が、よほど、気になる。
そしてその男は、とんでもないことを口にした。
「ぶどう弾用意!」
「ぶどう弾だと!?」
バラスは思わず
しかしナポレオンはどこ吹く風だ。
砲兵士官出身らしく、俯角仰角の指示を矢継ぎ早に出す。
ぶどう弾。
いわゆる散弾である。
発射されると、弾が四方八方に飛び散り、点ではなく面で敵を制圧する砲弾である。
その込められたいくつもの散弾が、さながらぶどうのように見えるため、ぶどう弾と呼ばれる。
「おいナポレオン! いくら大砲の使用を許可したからと言って……」
もはやナポレオンはバラスの言うことに聞く耳を持たない。
それどころか、ぶどう弾こそ、
「
ナポレオンの号令一下、大砲からぶどう弾が発射された。
逃げる王党派。
王党派は点による攻撃を予期していたが、面の砲撃を予想しておらず、ぶどう弾をしたたかに食らい、文字どおり、散っていった。
*
その後。
王党派は退いたものの、中にはバリケードを作って抵抗の意志を示す者がいた。
特に、サントノレ通りのサン・ロック教会に籠もる者は手強く、国内軍の砲手を狙撃までして来た。
「撃て」
ナポレオンが馬上、ぶどう弾による砲撃を指示すると、一秒後にはサン・ロック教会のバリケードは崩壊していた。
「ふん、くだらんな」
ここまで来れば、あとは掃討戦だ。
片づけのようなものだ。
ナポレオンは――くだらないと言いつつも、自らの胸を揺することのすべてを手に入れたことを実感した。
バラスはもう、戦場には立たぬ。
このナポレオンに軍事のことは任せるであろう。
「軍事のことは……だが、それだけでいられると思うな」
トゥーロンの勝利のあと、予備役に追いやられる憂き目に遭ったが、今度はそうはいかぬ。
このナポレオンが、軍事だけでなく、権力も手に入れてやる。
そう……すべてを。
不敵な表情を浮かべ、次なる敵を求めて戦場を、首都を駆るナポレオンの背に、声があがった。
「ヴァンデミエール将軍!」
と。
革命の混迷の中、くだらないことのすべてを、一秒後には胸を揺することのすべてに変えた男。
その男、ナポレオン・ボナパルトは、この異名を手に入れ、ひた走る――
【了】
くだらないことのすべて、一秒後に胸を揺らすことのすべて 四谷軒 @gyro
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