02 副司令官ボナパルト

 ナポレオン・ボナパルトは国内軍総司令官ポール・バラスの書簡を受けたその日の夜に、パリ・カルーゼル広場へと至った。

 カルーゼル広場とは、革命政府が置かれたテュイルリー宮殿の前の広場である。

 その広場にしつらえた、即席の司令官席にふんぞり返ったバラスは、開口一番、叫んだ。


「遅いぞ! ナブリオーネ・ディ・ブオナパルテ!」


 からこれか、とナポレオンは眉をひそめたが、怯みはしなかった。


「閣下、僕は名乗りを変えました。以後、ナポレオン・ボナパルトでお願いします」


「……ああ、そうだったな、ボナパルト」


 バラスは酷くつまらなそうな表情をしたが、それでもナポレオンの訂正に応じた。

 そしてひとくさり、革命政府の置かれたを説明した。


「われわれ、熱月テルミドールにロベスピエールを斃した『熱月テルミドール派』は、革命を推し進めてきたが、状況は芳しくなく……」


 要は熱月テルミドール派は権力の保持と濫用に腐心し、国民をかえりみなかった。

 結果、次の国民公会の選挙で、王党派に負けるのではないかとささやかれるようになり、焦った熱月テルミドール派は禁じ手に出た。


「……そう、すなわち『三分の二法』だ」


「…………」


 それはナポレオンも知っていた。

 国民公会の選挙において──その総議席数の七五〇のうち、三分の二の五〇〇席を、選ぶこと、と規定している法律である。

 これを先月にようやく成立させ、バラスたちはほっと胸を撫でおろした。

 ……しかし、次の選挙で政権奪取を狙っていた王党派からすると、怒り心頭だった。


「そして王党派奴らはデモ活動を始めおってな。それが最近では……」


「軍事蜂起を企図している、というわけか。さもありなん」


 ナポレオンはせせら笑った。

 バラスとしては業腹ごうはらだが、さすがに自ら招いたことであり、ナポレオンの皮肉な台詞を聞き流すしかない。何より――今、その軍事蜂起を鎮圧できそうな有能な軍人は、このコルシカ出身の小生意気な男をおいて、他にいないのだ。


「……首都パリは大砲の使用を許可していない。ゆえに、王党派がいかに集まろうと、には、至らないはずだ」


「それならいっそのこと、銃火器の使用も禁ずべきでしたな、閣下」


 ここに来て慇懃いんぎんに、そして無礼に応じるナポレオンに、バラスは苦虫を何匹も噛みつぶしたような表情を浮かべたが、そのうちに「それもそうか」とつぶやいた。


「……だがそのためには、まずは王党派奴らを鎮めることが肝心だ! ナブリオ! ではない、ナポレオン・ボナパルト! 勝算はあるんだろうな!」


 来て早々、勝算はあるのかと怒鳴ることもなかろうと、ナポレオンはふたたび眉をひそめた。 

 が、「あります」と答えた。


「あるのか!?」


 聞いたバラスが驚くぐらい、それはあっさりとした答えだった。


「……ただし、条件がふたつ」


「言ってみろ。善処する」


 こいつバラスは、この僕ナポレオンが、「革命政府の首班に入れろ」と言おうとしている……と思っている。

 たしかにナポレオンはそれも視野に入れているが、それはこれからの戦いに勝利すれば、すぐにとは言わないが、いずれ転がり込んでくるものだ。

 そのためにも、ナポレオンは次の二点を要求した。


「まず、このたび召集した将兵──国内軍(治安維持のための軍。各方面軍と同格の存在)の将兵はナポレオン・ボナパルトの指示に従うこと」


「……いいだろう」


 バラスの脳裏には、今、国内軍の指揮下にある、カルトー将軍の名が浮かんだ。

 カルトーは、かつてトゥーロンで、ナポレオンの進言を中途半端に聞いて、押さえるべき高所にな攻撃を加え、かえってその高所の重要性を敵に悟られ守りを固められるという憂き目に遭っている。

 同じ頃、トゥーロンにいたバラスもそれはよくわかる。だから「いいだろう」と応じた。

 ここで負けるのは、バラスとしてもであった。


「それは」


 ナポレオンは人差し指でバラスをした。

 妙に奴め、とバラスはあきれる。

 そして次なるナポレオンの発言に、目をいた。


「ポール・バラス、君だ」


「……は?」


「……だから、君もだ、バラス。君も僕の指揮に従ってもらう」


「は!?」


 バラスは目の前にいる、この傲岸不遜な男を殴りたくなった。

 しかしそれをすると、熱月テルミドール派は負ける。

 兵数としては王党派を上回るが、必ず負ける。

 熱月テルミドール派の中に身を置いているバラスだからわかる。

 政治ではない。

 軍事ではない。

 生き残れる才能を持つという奴は、熱月テルミドール派ではバラスと――あと、フーシェぐらいしかいない。

 だが目の前の男はちがう。

 トゥーロンでもそうだったが、生き残れるどころか、勝っておのが翼を広げる才がある。輝きがある。


「……よかろう」


 バラスは立ち上がった。

 指揮に従うと言った以上、相応の扱いをする必要がある。

 バラスは悪徳の士ではあるが、はわきまえていた。

 そして、相手が求めるものを差し出すことも。


「……それで、ふたつめの条件は何だ?」

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