可愛いリリが手袋をしてこない理由

南村知深

 

 今朝は一段と冷える。

 空を仰げばちらほらと雲はあるが、おおむねよく晴れて冬の弱々しい陽光が降り注いでいる。昨日まで吹き荒れていた木枯らしも今はピタリとやんでいて、ただ道路に散らばる枯れ葉にその名残なごりがあるだけだ。

 あと数時間もすればこの寒さも幾分いくぶんかマシになるのだろうが……あいにく、私が通っている私立中学校の始業時間はそれを待ってはくれない。身を切るような寒さの中を学校に向かって歩いていくしかないのだ。


「……寒い……」


 学校の最寄り駅の改札を出て数分。電車内が暖かかっただけに、余計にこの冷え込みが身に染みる。

 やはり七十デニールのストッキングでは防御力が足りなかったか。もうちょっと厚手にすればよかった。それか、学校指定のコートが膝上丈じゃなくて足首まであったらよかったのに。

 そんなことを思いつつ、今さら言ってもしかたないと諦めのため息を漏らす。頬を半ばまで覆うように巻いたマフラーの中から白い吐息が立ちのぼり、一瞬視界をふさいだ。メガネをかけていたら確実にくもっていただろうと思う濃度の白で、どれだけ寒いかが一目でよくわかる。

 それにしても寒い。今期一番の冷え込みだとテレビの天気予報で言っていたが、その通りだった。

 細かい作業なんて絶対にできないような防寒極振きょくふりな分厚い手袋をしているのに、指先がどんどん冷えていく。我慢できなくなってコートのポケットに手袋ごと両手を突っ込むと、少しマシになった。行儀が悪いとかそんなことを気にしていられない。

 本当にもう……早く学校に着かないかな。

 そんなことを鬱々うつうつと考えながら足を進めていると。


「おはよう、ミコ。今日は一段と寒いね」


 その声を聞くだけで体感温度が三度ほど上がる気がした。

 後ろからかけられた声に立ち止まり、振り返る。


「おはよう、リリ」


 聞き間違えることも見間違えることもない、私の大切な彼女カノジョ――神前かんざき璃々那りりなにあいさつを返し、追いついてくるのを待つ。小柄なリリはトコトコと早足で私の隣に並ぶと、嬉しそうに微笑んだ。

 コートのサイズが少し大きくて膝下丈になっているところも、ミルク色のマフラーに顔の下半分が隠れてしまっているのも、お気に入りらしいねずみ色のロシア帽ウシャンカも、すべてがリリの可愛さを引き立たせている。リリが隣にいるだけで寒さも忘れて幸せな気持ちになれるから不思議なものだ。


「ミコ、二限の英語の宿題はやった?」

「もちろん、バッチリ。……まあ、カバンに入れ忘れて家の机に置きっぱなしだったことをたった今思い出したけどね」

「それは……うん、残念だったね」

「ぅう……」


 宿題を提出できずに英語教師から嫌味をネチネチ言われる未来が容易に想像できてしまい、せっかくのシアワセな朝が台無しになってしまった。気分とともに頭も肩も落ち込む。

 そんな私を励ますように、リリは少し背伸びをしながら私の頭を撫でてくれた。


「大丈夫だよ、ミコ。職員室に寄って宿題のプリントを新しくもらって、それを解いて提出すればいい。一度は完成させて解答がわかっているなら、やり直しなんて簡単だろう」

「そうだね。ありがと、リリ」


 言って、的確なアドバイスをくれたリリに笑顔を向ける。

 ……と、頭に触れる小さな手がいつも以上にひんやりとしていることに気がついた。


「リリ、今日くらいは手袋してこないとダメでしょ」

「ん? ああ、うっかりしていた」


 すっとぼけたように答えたリリの手を私の両手(手袋装着)で包む。可愛らしい白い手の指先が真っ赤になっていて、手袋越しでも冷え切っているのがわかった。このままではしもやけ不可避だ。


「ほら、リリ」

「ん」


 右手の手袋を外して差し出すと、リリはそれをつけて握ったり開いたりを二、三度してみせた。サイズ感が料理のときに使うミトンのようだったが、それはそれで似合っていて可愛い。

 そうして、一対いっついの手袋はそれぞれ私の左手とリリの右手に納まった。

 だが、それによって私の右手とリリの左手はかんさらされてしまうことになる。もちろん、そのままでは冷える一方だ。

 そうなることがわかっていながら、私がリリに片方の手袋を渡した理由は一つ。

 手をつなぐためだ。

 リリと手袋を半分こして、空いた手をつなげば、それだけで寒さも気にならなくなるという理屈である。

 それがやりたくて、リリはわざと手袋をつけないで登校してくるのだ。

 そんな甘えん坊なところが可愛すぎて、今すぐぎゅっと抱き締めてキスしたくなる。しないけど。というか人目がありすぎてできないけど。

 そのくらいの分別ふんべつは私にもある。……あるんです!


「…………」


 と、手をつないだはいいものの、いかんせん今日はこの冬一番に冷え込んだ朝。さすがに素手では寒さが染みる。つないだリリの小さな手もますます冷たくなっているようだ。

 んー……どうしたものか。

 リリに手袋を両方渡し、自分は我慢するか。

 いや、リリがそれを受け入れるはずがない。いつだってリリは私のことを想っていてくれる。私の手が凍えるのを黙って見ているようなことはしない。

 同様に、リリに我慢させるようなことを私がしないと、リリも理解している。

 ならば、二人が納得する解決策を見つける必要があるわけだが……。


「ミコ、これを」


 何かいいアイデアはないものかと思案していると、リリが手袋を外して差し出してきた。

 まさか。私がリリに我慢をいることを受け入れると思ったのだろうか。


「ちょっと、リリ……」

「ああ、勘違いしないで。代わりに左手の手袋を貸して欲しいんだ」

「……?」


 どういうことだ?

 リリは右手の手袋を返し、左手の手袋をつけると言っている。

 つまり、

 何か意味があるのか……?


「僕が左手に、ミコが右手に手袋をする」

「うん」


 言われるままに左右を入れ替える。


「空いた手は、いつもみたいにつなぐんだ」

「うん」


 歩きながら立ち位置を変え、リリの右手と私の左手を恋人つなぎにする。普段ならこれで十分温かくなるけれど、今日はそうは行かない。


「リリ、これじゃさっきと変わらないよ?」

「もちろんこれだけじゃない。……こうするんだよ」


 言って、リリはつないだままの手を

 なるほど。こうすれば冷たい空気に手をさらさなくて済むわけか。

 ついでにいつもよりリリと密着できてお得ッ!

 さすがです、リリ様。

 でも――


「いいアイデアだと思うけど、左右を入れ替えた意味ってあったの?」


 それが疑問だった。

 リリは少しだけ口の端を吊り上げて、「当ててみてよ」といたずらっぽく笑った。

 うぅむ……?


「なんとなく?」

「違うね」

「ちゃんと意味があるんだよね?」

「もちろん」

「んー……」


 リリがつなぐ手を左から右に変えた理由。

 それは私の左手とつながなきゃならなかった理由であり。

 さらに、つないだ手をコートの左ポケットに入れる理由でもある。

 何だろう……?


「…………」


 リリが私の顔を上目遣いで見上げて「わかるかな?」と言いたげに微笑んでいる。

 可愛い。大好きすぎて春が来ちゃう。

 それをじっと見つめていると、つないだ手がポケットの中でぽかぽかと温かくなって、寒さを忘れるくらいに……って、ああ、そういうことか!


「私のコートの左ポケットに使?」

「正解。さすがだね、ミコ」


 うなずいて、リリは私にもたれかかるように体を寄せてきた。

 そうだった。今日は特に寒いからと、家を出る直前にお母さんが持たせてくれたものだ。

 ポケットの中で手を動かし、リリと私の手のひらの間にカイロをはさみこむ。じわりじわりとカイロの熱が手に伝わって、冷えた指先が少しぴりぴりした。

 これならリリのちっちゃな冷え切った手も十分温かくなるだろう。納得のファインプレーだ。


「でも、どうして私がカイロを持ってるってわかったの?」


 一つ謎が解けると、次の疑問が押し寄せてきた。

 私自身すら持たされたことを忘れていたのに、リリはどうしてそれに気がついたのか。

 私の問いかけに、今度は問い返しもせずリリは事もなげに答えた。


「さっきミコが僕の手を両の手袋で包んでくれただろう。そのとき、左手の手袋が右よりも熱を持っていた。その直前までミコは両手をコートのポケットに入れていたし、それで左手だけ温かいということは、左のポケットに熱を発するもの――多分カイロのようなものを入れているんだろうとわかったんだ。だからつないだ手を左ポケットに入れられるように左右を入れ替えた」

「なるほどねぇ……」


 わかりやすい説明で自然とうなずいてしまう。

 この結果に至るプロセスを聞いてしまうと「なーんだ」で済んでしまうことだが、その道順を的確にたどることの難しさは自分でやってみるとよくわかる。少なくとも私はリリのようにはできない。

 さすが、学年トップクラスの成績を誇るリリの頭脳は伊達ダテじゃない。

 ……まあ、いつも眠そうにしていて、実際眠っていることが多いから、とても成績上位者には見えないんだけども。

 そうじゃないんだ。


 とても頭がよくて、運動神経も抜群によくて。ちっちゃくて、ショートボブの黒髪がぽわぽわしていて、嬉しそうな笑顔を見れば幸せな気分になる。

 面倒くさがりなのに、私のためにすごく頑張ってくれることもあって。


 私にとってリリは、誰が何と言おうと世界で一番可愛い女の子だ。

 そして、私はそんなリリが誰よりも大好きだ。




「ミコ、少し急いだほうがいいかもね」

「どうして?」

「英語の宿題、しないといけないんだよ」

「そうだった……」


 リリとの幸せな登校時間に水を差す、憎き英語の宿題おじゃまむし(いや、忘れた私が悪いのは重々承知しているのです)を討伐すやっつけるため、私は少しだけ歩みを速めたのだった。




       終

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