六、吉田融

六、吉田融よしだとおる


 この話が来たとき俺はピンと来た。池井いけいが自慢していた奴だ。池井は人魚を買ったと言っていた。これからの富豪のステータスは間違いなく妖怪の飼育になるだろうと。付け加えたのが、お互いに飼育中でなければ見せ合うことも出来ない。とても残念だ。その声には優越の響きがわんわん鳴っていた。

 妖怪を作っていると言う施設のエージェントから来た連絡を秘書から聞いたとき、俺は飛び付きそうになった。だが、足元を見られる訳にはいかない。それに、秘書を通すべき案件ではない。会社ではなく自分で飼うのだから。連絡先を秘書から貰い、自分でエージェントに電話をかけた。

「吉田です。連絡を頂いた件で電話しました」

「初めまして、施設のエージェントの福永ふくながと申します」

 張りのあるいい声の男性だ。仕事が出来そうだ。

「施設ってのは正式名称ではないですよね? 正式には何て言うんですか?」

「施設です。それ以上の名前はありません。……早速ですが、人魚のご購入を希望されますか?」

「まだ検討中です」

「もしよろしければ伺ってご説明をさせて頂きたいのですが、ご都合のよろしい日はありますか?」

「明日の昼に、自宅でどうでしょう?」

「畏まりました。サンプルはご覧になりますか?」

「……それって、死体ですか?」

「いえ。生きている個体です」

 俺の胸の半分が動揺して、もう半分が跳躍した。

「是非」

「ご参考までに、人魚をお渡しする場合にお支払い頂く金額をお伝えします。五百億円になります」

「それは、なかなかですね」

 総資産からすれば問題なく払える額だが、生き物一匹にその額か。

「それに加えて人魚の棲家を作って頂かなくてはなりません。これに関しては当施設のスタッフが指導をさせて頂きます。これの実費がおよそ三百万円程度かかるのが普通です」

「棲家の方は分かるとして、人魚一匹に五百億円は高くないですか?」

「では、この話はなかったと言うことでよろしいですか?」

 福永の声は淡々としながらも張りと伸びがあって、絶対に譲らないと言う力を感じる。

「待って下さい。実際に人魚を見てから決めるなら、俺としても文句はありません」

「では、また明日、よろしくお願いします」

 なるほど、ステータスだ。俺よりも施設の若造の方が立場が上だ。だが、池井に優位に立たれたままじゃ嫌だし、もっと根本的なところで興味が湧いている。いい加減な生き物を連れてくるのなら、詐欺のようなものと思って追い返せばいい。そこら辺の見極めをする目には自信がある。


 次の日、昼ぴったりにチャイムが鳴った。一人暮らしだから、人払いをする必要はなかった。

「どうぞ」

 スラっとしたスーツ姿の男性が入って来た。髪の先からつま先まで気が通っている。

「こんにちは、福永です」

「人魚はどうしたんです?」

「お話をさせて頂いてからです。もし買わない場合でも秘密を守って頂く義務が発生するので、それを先にご説明させて頂きます」

「そうか。じゃあ、玄関でと言うもの何だから、こっちへどうぞ」

 応接室に通し、向かい合って座る。

「まず最初に、施設のことを口外しないで頂くことが、法的な拘束力を持つことをご理解頂きたいです。一般的な守秘義務よりも重い、最大で懲役三年が課せられます」

「そんな法律はない筈だ」

「ご明察。ありません。ですが、そうなるんです。もちろん、人魚を購入頂いた場合は、人魚を飼っていることを他の誰かに話すことは構いません。ただし、その場合も施設のことは口外なさらぬように。こちらからアプローチをしていて申し訳ないのですが、もう吉田様はそのルールに巻き込まれた状態になっています。ご理解とご協力をお願いします」

「シンプルに言うと秘密を守るための脅迫ってことですね。でも、いいです。守ります」

「ありがとうございます。これでやっと商談の土俵に乗りました。さて、何よりまず人魚を見て頂くのがよいかと思います。玄関まで運んでもよろしいですか?」

「お願いします」

 福永は携帯で指示を出し、俺と二人で玄関で待った。

 大きな箱に布が被せてあるものが運び込まれた。布は厚手なのだろう、中は見えない。見えないその中に人魚がいるのだ。鼓動が跳ねる。自然と胸に手を当てていた。

 福永が、布を取って、と指示を出す。後ろに引っ張られて外れた布の下からは、檻が出て来た。太い頑丈な檻だ。その中に、Tシャツ姿の女性が座っている。十五歳くらいだろうか。黒髪が背中の辺りまであって、結えておらず、芯のある艶やかさを携えている。顔は輝くように美しく、それは造形もだが若さによっているもののようだ。視線を下げて行くと、シャツの下が、尾ビレになっている。太く黒く滑っている。その先端には足ビレが二つついている。

 俺は全体像を見て、人魚だ、と声を漏らした。すると、人魚が喋った。

なぎさだよ。人魚かも知れないけど、名前があるよ」

 その声は甘く深く、俺の胸に刺さり込んだ。

「渚、……ちゃん。いい声だね」

「呼び捨てでいいよ。あなたは誰?」

「俺は、吉田融。君と一緒に生活をするかも知れない」

「生活? 私はみんなのいるところに戻るよ」

「そうかそうか、戻るんだね。ところで、渚は歩けるの?」

「足がないから無理」

「泳げるの?」

「そりゃね」

「歌える?」

「歌は大好きだよ。でも初対面の人の前じゃ歌えないよ」

「そうだよね。照れちゃうよね。……渚は何歳?」

「五歳だけど、人間換算だと十五歳だよ」

 次の言葉を言おうとしたところで福永が割って入る。

「いかがでしょうか?」

「もう少し話したいです」

「これ以上は情が移ってしまいます。冷静にご判断を頂かなくてはならないので、この辺にさせて頂きます」

「じゃあ、挨拶だけ」

 福永が脇に避ける。

「さようなら。渚。また会いたいと思っているよ」

「そう。さようなら」

 福永のスタッフによって布が掛けられる。俺は大事な者と引き裂かれたような気持ちになった。そんなはずはないのに。

「吉田様、いかがされますか?」

「買った場合、渚がうちに来るんですか?」

「今日ご決断頂いたら確約します。明日以降は早い者勝ちになります。他のところに渚が行った場合は、また顔合わせを他の人魚として頂くことになります」

 安い買い物ではない。だが、だからこそ直観を大事にしたい。俺は渚がいい。他の人魚を手に入れても意味がない。

「他の細かいところとかを詰めてから、帰って貰う前に結論を出します。応接室へどうぞ」

 金の振り込み先や、人魚の棲家に必要な構造、人魚を外に出してはいけないこと、人魚が死亡した場合は施設が引き取る、などの説明を受けて、ご質問は、と福永に問われた。

「他の、人魚を飼っている人になら、見せても構わないですか?」

「構いません。と言うより、施設のことを口外しないのであれば、誰に見せてもいいですよ」

「そうなんですか?」

 池井はダメっぽいことを言っていたが。

「はい。自慢したいじゃないですか」

「施設以外に妖怪を作っているところが他にあるんですか?」

「知る限りは、ありません」

「つまり、自慢をする権利を込みで五百億と言うことですね」

「その通りです。もちろんマスコミとかには流さないで下さい。ネットにアップするのもダメです。直接見せることだけにして下さい」

 つまり、池井が言っていたのはフカシだったと言うことだ。もしくは買ってないか。是非、池井を呼ぼう。他にも呼んで、パーティーはしないで、どっちかと言うと秘密結社みたいな雰囲気で……

「吉田様、それで、どうされますか?」

 促されて、俺は息をふんと吹く。高いが、妥当だ。

「俺は渚が欲しい。五百億円、用意します」

「畏まりました」

「今日、置いて行ってくれるのですか?」

「いえ。棲家の準備が整ってからです。それで、オプションが一つありまして、保証を付けられます。三年保証で二百五十億円になります」

「それはいらない。保証されても同じ渚が来る訳じゃないんだろう?」

「はい。別の個体になります」

「うん。いらない」

「では商談成立と言うことで、ご入金が確認され次第、渚の棲家を作る工事に入ります。三日間程度を予定しています」

 渚を乗せた檻の箱と共に福永は帰って行った。来週中には人魚のいる生活が始まる。早く慣れてくれるといい。歌は俺も好きだから、一緒に歌うかな。食べ物は人間と同じだってことだから、奮発しよう。たくさん、可愛がろう。

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