八、神屋創太(前)

八、神屋創太そうた


 確かに実験はしていなかった。人魚と人間が子を成せるとはゲノムのいじった量からして不可能だと考えていた。同じことから、もし子が生まれたとしても、不稔だろう。ロバとウマの合いの子ラバが常に不稔であるのは、それくらいの遺伝的距離がロバとウマにあるからだ。人魚と人間にもそれくらいの距離はあるだろう。生殖可能と言うことが誤算になるくらいだから。

 実験をしたことにでっち上げた。人工授精で人魚と人間の交配をした、と。澪は「死ぬまで観察」する対象なので、この件があったからと言って殺処分にはならないだろうが、妊娠に理由を付けなくてはならない。今後の検査や出産のこともあるし、もちろんデータを取れるに越したことはないし、僕の立場を守る必要もある。

「神屋さん、すごいです」

 荒井が鼻息混じりに迫って来た。僕は、褒められているのに、後ろめたさの方が勝って、言葉を返せない。

「人魚と人間の交配可能性についてはまだ誰もやっていないことです。秘密裏にしていたってことでしたけど、パイロットスタディだったんでしょう?」

「そうだ。結果次第で本格的な実験をするかを決めようと考えていた」

「それが妊娠した。ゲノムをいじったのに、妊娠した。これは妖怪を作成する以上に生命の秘密に迫る結果だと思います。合いの子がどんな形質を持って生まれて来るのか分かりませんが、ゲノムを採取することは当然として、解析のためにチームを発足させてもいいくらいです」

「やってみるか?」

「僕、ですか? 大抜擢じゃないですか」

「絶対に児を殺さないようにすること。『死ぬまで観察』の対象に含まれるんだからな。途中で殺して解剖するとかは絶対にしてはいけない」

「分かりました。主にゲノムからのアプローチですね。チームに入れたい人が何人かいるので、声をかけてもいいですか?」

「問題ない。むしろこっちから頼む。僕にはそれをする余裕がない」

「任せて下さい。生命の秘密の一つを解き明かして来ます」

 他の職員の反応も似たり寄ったりで、誰も僕が父親だとか、セックスをしたとかを考えてはいなそうだった。実は交配可能性についてのパイロットスタディをしていたと言う話題も週の単位でふやけて消えて、関心のある人が注目するのは澪の妊娠の経過と児の状態だけになっていった。僕は次第に安心して、まるで何も起きていないかのような気持ちになることがあった。だが、毎夜、澪のところに行くと、現実に引き戻される。

「調子はどうだい?」

 澪はムッとした顔をする。

「それじゃ、昼間の神屋だよ。夜なら、最初に、いつもの、でしょ?」

 僕は苦笑いをして、キスをする。そんなキスなのに、澪は嬉しそうだ。

「それで、調子はどう?」

「なんか、食欲があまりないんだ。でも、肉ならいくらでも食べられる感じ」

「肉って、あまり好きじゃなかったよね?」

「うん。でも急に」

「つわりだね」

「そうだよね。本によるともっと吐きまくったりするイメージだったけど、こんな感じなんだね。これは軽くて良かったって考えていいんだよね?」

「そうだね。明日から肉主体のごはんに変えよう。体力を付けないといけない」

「肉はね、牛がいい」

 僕は吹き出しそうになるのを堪え切れなかった。

「牛を食べる人魚って、すごいイメージだね」

「今までだって、牛も豚も食べているよ」

「でも、今の澪の要求の感じは、丸ごと一頭食べそうな勢いだったから」

「あーでも、食べちゃえそう」

 言いながら澪はまだ平らなお腹を撫でて、幸せそうな笑みを浮かべる。

 人魚には骨盤がない。腰から下の骨格と皮膚はアシカの構造と遺伝子を使っている。だから、子宮の位置は人間よりも尾側にある。今後、その位置で胎児が成長していって、問題が発生しないのかは全く不明だ。場合によっては安静を指示する必要があるかも知れないし、出産時に産道から産むことが可能かどうかも分からない。人魚と言う生物がこの世界に生き残れるかどうかはまだ試されていない。いや、オスを作っていない以上は、人工的な発生以外に新たな個体が生まれないように僕達は仕組んでいる。人間と交配が可能だったとしても、出産するためには帝王切開以外、不可能である可能性は高い。つまり、売った先で買い主が人魚と交わったとしたら、人魚も児も死ぬという結果になることが予測される。

 いずれにせよ、産婦人科の検診を澪には受けさせなくてはならない。澪を失う訳にはいかない。

 僕は病院に赴き、最高機密を約束してくれる婦人科医の秋田と会った。個室で向き合う。

「初めまして、第二ラボの神屋と言います」

「婦人科医の秋田です」

「最初にお伺いしたいのは、産科のことも、依頼してもいいのでしょうか」

「問題ないですよ。ここでもやっていますし。僕が自分のことを婦人科医と名乗るのは、それが僕の中心だと言う矜持からで、産科を下に見ているとか出来ないとかではないです」

「分かりました。……とある妊婦の検診と出産、場合によっては帝王切開をお願いしたく、今日は伺いました」

 秋田は驚かない。

「それは、普通に病院にかかれないんですか?」

「はい。……第二ラボでは人間をベースにアシカの遺伝子を組み込んで、人魚を作っています」

 秋田の表情が固まる。

「人魚」

「その人魚が人間と交配して、妊娠しました。人魚のことを外に出すことは出来ません。全て秘密裏に行わなくてはいけない。そう言う依頼です。必要な機器は全て揃えます」

 秋田からじとっとした汗が出始めた。

「人魚の妊娠って、前例はあるんですか?」

「ありません。世界初です」

「解剖図はありますか」

「あります。必要ならば、死体を用意しますがどうでしょう」

「解剖図を見て、人間にどれだけ近いかが分かって、なお必要だったら死体をお願いします」

「了解しました」

「殺すつもりはないですが、失敗したときの責任はどうなりますか?」

「僕が取ります。それで先生が責められることはありません」

「人魚は協力的ですか? 人間並の知能がありますか?」

「はい。IQ130程度あります。温厚です」

「……後は診てみないとなんとも言えません。引き受けたら途中で辞めることは?」

「出来ません」

「施設らしいですね」

「そうですね」

 秋田は薄く笑う。目は真剣なままだった。

「分かりました。引き受けます。必要な機器についてリストアップしますが、メールじゃまずいですよね」

「電話で呼び出して頂ければ、ラボの荒井と言う者が取りに伺います。解剖図はラボで見て頂くのでよろしいですか?」

「僕もその方がいいと思います」

 指示された通りに機器を揃えた。手術室も用意した。死体は必要ないとのことだった。


 秋田の診察に僕は立会う。エコーを腹に当てている。

「澪さん、これが赤ちゃんです」

「本当に、いるんだ」

「心臓も動いていますよ。分かりますか? この辺です」

「分かります」

 澪はポーッとした顔をして、白黒の画面を見ている。僕から見ても心拍の動きは見えた。

「今のところ順調です」

「よかった」

 澪が下がってから、秋田から詳しく話を聞く。

「どうですか?」

「今のところ人間の発生と同じです。ですが、少し成長が早いように思います」

「それはもしかしたら、澪を作ったときに成長促進技術を用いたので、その影響かも知れません。実際に澪は概ね人間の三倍の速度で成長しています」

「それが胎児に影響する可能性って、どれくらいなんですか?」

「全く未知数です。作った人魚が子を成すことを想定していなかったので、実験もしていませんでした」

「じゃあ、これもまた、世界初ですか」

「そうですね。発表出来ませんが」

「今後、どれくらい週数と実測値がズレるかは逐一報告します。出産予定日が大きくズレる可能性が高いですので」

「胎児の形はどうですか? 人間でしょうか、人魚でしょうか。それとも別の何か」

「今のところは分かりません」

 週に一回の診察は同時にデータ取りでもある。胎児は秋田の予測した通りどんどん成長が早くなり、およそ三倍速、つまり澪達人魚と同じ速度で成長するようになった。


 澪は妊娠十週には下腹部から尾ビレにかけてに確かな膨らみを認めるようになった。人間換算では三十週程度だろう。

「澪、元気かい?」

「うん。ね、いつもの」

 キスにあった魔法はいつの間にかなくなっている。僕の唇は挨拶の道具になった。

「赤ちゃんも元気?」

「元気、元気。お腹を蹴るよ」

 澪はお腹の下の方を抱えるように撫でる。秋田の指示で腹巻きを巻いている。

 僕はその腹に違和感を感じる。澪の美しいシルエットが壊されて、よからぬものが寄生しているように見える。だがそんなことは言えない。

「僕も赤ちゃんの動きを感じられるかな?」

「ほっぺたを当ててみてよ」

 澪の腹に頬を寄せる。

「何も感じないよ」

「寝ているのかもね」

 だが、澪の体温を感じた。僕にとってはそれで十分な気がした。澪にとってはもうそうではない。キスを求めても、関心の中心は子供に向いている――

 ゴッ。

 頬に弱い鈍い、だが逞しい、打撃。

「澪、ほっぺた蹴られた」

「初めての挨拶だね」

 澪は僕の頭を撫でる。見上げると朗らかに笑っていた。僕は父親なのかも知れない。遺伝的な意味ではなく、澪が母親になることに伴う、父親だ。だが公的には違う。澪も秘密を漏らしたりはしていない。澪の妊娠は実験だ。だが僕達の営みにはそれ以上のものがあった。僕は澪に毎日会うし、澪も心の中では子供が僕との間のものだと確信している。それをずっと隠したまま、出産が近付いて来ている。日一日、三倍速で。僕は父親なのかも知れない。だが、第二ラボの職員だ。澪をデザインし、人工子宮で発生させ、育てているのは僕達だ。僕の中心はラボにある。

 澪が僕の頭をぐしゃぐしゃとする。

「名前を決めないと」

「澪は候補はあるの?」

「『うみ』、って言うのが一つと、神屋の下の名前から取って、『そう』ってのもいいかなって思う」

「創」はやめさせなくてはならない。そんなところから秘密がこぼれるのは避けなくてはならない。それに、人魚らしくない。

「それだったら、『海』の方がいいな」

「本当に? 私もそう思ってた」

「でもまだ時間もあるし、じっくり決めて行こうよ」

「そうかなぁ。もうそう呼んでもいいんじゃないかな。ねぇ、海ちゃん、ナイスキックだったね」

 言いながらお腹をさする。振動が伝わって来る。

「ほら、蹴り返した。海ちゃんも『海』がいいんだよ」

 僕は澪の腹から離れて、ベッドに座る。

「じゃあ、『海』で決まりだね」

 澪は頷く。

「名前が生まれた日って、もう一つの誕生日だと思うんだ。大事な今日を私は忘れない」

 発生させた人魚達に名前を付けた日のことは全然覚えていない。適当に付けた訳ではないが、澪のように想いを込めている訳でもない。

 僕は澪の腹に手を添える。

「海、よろしく」

 海は今度は蹴らなかった。

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