第9話 テーマ

 私はずっと、「淋しさ」を描きたいと思っている。


 誰もいない風景の中にある淋しさ、何気ない表情の中に見える淋しさ。誰もが、淋しさを抱えながら生きている。


 人は孤独だ。

 完全な意味で、人と人は分かり合うことなどできない。心の内は自分だけのものだからだ。それは良いことではあるけれど、その事実は、物理的に、精神的に人との距離を生み出す。その距離が心地よいこともあれば、淋しいと思うこともある。人は時に淋しさを愛し、淋しさに惑う。その両方の側面を描きたい。


 基本的に、「淋しさ」は引き算で成立すると思う。

 何かが欠けているから淋しい。足りないから淋しい。いなくなってしまったから淋しい。根本的に、淋しさは何かの引き算の元に成立する。

 そしてそれは、情報量が少ない小説において、描きやすいテーマであると思う。情報量が少ないということは、必然的に余白が多いということだ。その余白で、淋しさを表現することができる。読者に、淋しさを想像させるのである。淋しさというのは普遍的な感情だから、余白があればあるほど、読者は淋しさをかき立てられるはずだ。


 ……そんな理論は、後付けでしかない。

 結局のところ、私は淋しいのだろう。だから、小説を書く。イマジナリーフレンドを、意識的に、自力で作り上げているのだ。その世界の中で、生きている。それは時に幸せで、時に苦しく、一貫してどこか淋しい。


 小説というものは、現実世界と地続きだ。

 現実世界を生きる私が書いているのだから。しかし同時に、創作の世界だからこそ、現実と切り離された部分も存在する。それは現実逃避というニュアンスを持つが、この言葉が両義的な言葉を持つ。

 辛い現実から逃げることを、小説は時に肯定するけれど、人間は夢の中で生き続けることなどできない。人が地面から離れて生きざるを得ない天空の城・ラピュタが滅んでいったように、人は現実に地に足をつけていないと、やがて朽ちてしまう。


 夢の中では生き続けられないという淋しさ、現実世界への恋しさという淋しさ、そういうものを、私は感じ続けてきたのかもしれない。 


 淋しい。けれど生きていかねばならないから、淋しさを小説にして、昇華する。

 昇華という言葉が好きだ。字面だけかもしれないが、繊細で大きな花が、ランタン飛ばしのように、ゆっくりと空と昇っていくイメージが浮かぶ。私の淋しさを昇華した作品は、そのイメージのような作品になれているといいな、と思う。

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言葉を埋める穴を掘る 市枝蒔次 @ich-ed_1156

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