言葉を埋める穴を掘る

市枝蒔次

第1話 天井①

 小説を書いている中で、天井にぶつかることがある。それはいくつかの種類があって、毎回毎回、天井にぶつかっては苦しむのだ。 


 私の前に現れる天井は、2つある。


 1つ目は、思うような小説が書けない時に現れる天井だ。

 世の中には、いろいろな文章を書く人がいる。それぞれに個性がある。「私もこの人みたいな文を書きたい」と思う。試す。うまくいかずに落ち込む。それは、単なる「うまく模倣ができなかった」という落胆だけではなく、「自分にはこんな文章が書けない」という落胆も含まれていると思う。


 他人が書いたどの文章も美しく、新鮮で、自分には到底たどり着くことのできない境地に見える。それが、小説、詩など、文字だけのものに限られていれば精神的に楽ではあるけれど、他の媒体でも似た事態に陥るから厄介だ。


 例えば、映画を観る。漫画を読む。MVを見る。

 そして、「こんなのどうやって思いつくんだろう? 」「もしこれを文章だけで表現するとしたら? 」と考える。考えて、「自分には到底無理だ」と落ち込む。

 

 そういう時に、自分の頭上に、すーっと天井が現れる。私はその天井を突き破りたいと思っているけれど、なかなかうまくいかないから、体がぎしぎしと音を立て、「わーっ」と叫びだしたいほどのもどかしさに襲われる。


 しかし、長年それを繰り返してきて、思う。

 少しは自分の小説の個性や価値に、自信を持ってもいいのではないか、と。

  

 長年、私の小説は凡庸だと思っていたけれど、それを「美しい」と言ってくれる人や、私が書いた作品を肯定的に捉えてくれる人がいた。

 そのたびに、「他人から見れば、私の小説も、少しはいいものなのかもしれない」と思える。


 たとえ、私の小説が相手に強烈な羨望を生むものではなくても、少しだけでも心の残るものでありさえすれば、その小説を書いた意味はある。

 そしてそこに、「自分の小説の個性や価値」というものは生まれる。


 個性とは、必ずしも尖っている必要はない。小説を書く中で、何となくしっくりくるものがあれば、それはもう個性だ。

 個性や価値を確立するのは、その後でいい。価値を見出すことこそが肝要で、小説を書き続けていく上での第一歩なのだから。


 正直に言えば、未だ私は「私の小説には個性がある」と自信を持って言うことはできないと思う。ただ、それができるようになれば、たとえ他の作品を見ても、落ち込むことはなく、「素敵だな」と思えるようになるのだろう。

 だからいつも、自戒を込めて思う。


 自分の作品にも、誰かの作品にも、誠実でありたい。

 自分の個性にも、相手の個性にも、肯定的でいたい。

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