第7話 描写

 描写を書くのが好きだ。

 書きすぎて、読み手からドン引かれたこともあるくらい、描写を書くのが好きだ。

 

 いつ、どこで、誰が、何をしているのか。ストーリーに乗せる情報は、描写が与えてくれる。それが細かければ細かいほど、より具体的なイメージを与えることができる。世界観が実体を持って読者の前に現れる。


 しかし、小説を書く上で難しいのは、それが多すぎると冗長になってしまうということだ。


 小説の醍醐味であり大変のところは、「文字でしか表現できない」ということだと思う。

 映像や漫画に比べ、圧倒的に伝えられる情報量が少ないことだ。その中でやりくりするしかない。小説という媒体には、制約が多いのである。

 

 私は主に、映像的なイメージを元に小説を書くことが多い。だから、執筆の際には、「映像から文章への翻訳」が必要となる。その作業は、正直とても楽しい。

「この映像はどんな描写で置き換えられるかな」と想像するのは、思いつかない時にはしんどいが、降りてきた時には歓喜の大合唱である。私の中にいるコーラス隊が、一斉に第九を歌い始める。小説中毒の話にもつながるが、この一瞬の快楽が、私を小説創作につなぎとめる一要因でもあるように思う。

 特に、それによって生まれた描写が満足のいく出来栄えであれば、なおのこと嬉しい。描写を書く際には、そういう場面が多いように思える。うまくいくことが多いから、描写を書くのが好きなのだろうと思う。


 しかし、情報量が多い媒体から少ない媒体に変換しようとすると、どうしても「あれもこれも」と欲張ってしまう。だから、過剰に思われるのだろう。


 過剰な描写は、私は楽しいが、読者は楽しくない。

 そう思うと、「仕方ない……」と愚痴りながら描写を減らす。もしかしたら、私には小説以外の方が楽しめるのかもしれない、とも思う。小説以上の情報量を入れ込めるメディアの方が、より描写を楽しめたのかもしれないと。小説以外のメディアに触れる機会が少なかった、または触れてこなかったせいで、「自分には小説しかない」と思い込んでいるだけなのではないか、と。


 それでも、結局のところ、私は小説一本で生きてきてしまった。

 

 小説以外の道も、模索している。小説を書くことに限界を感じた時、私が終わってしまわないように。

 まだその先はわからない。しかしいずれにせよ、「描写を楽しめる媒体」という条件からは逃れることはできなさそうだ。

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