小説の映像化が愛読者の私にもたらした副作用 (あの痛ましい出来事に関する記事ではありません)
【記事の前に】
つい先日、とても痛ましい出来事がありました。この小文は全く無関係に投稿を予定していた記事で、むしろ視点も逆ですが、問題が重なりました。この際お蔵入りさせようと考えましたが、方向違いでも多少の意味があるのではと思い直し、投稿することにいたしました。
* * *
【記事 ここから】
よく文学作品・小説が映像化されます。
そんなときに、読者の立場から少々ありがたくない効果があるというお話をします。
ちなみに、本稿は2023年夏頃にNOVEL DAYSで公開していた拙文を全面改稿したものです。
映像化(実写版)は視覚に訴え、迫力もあって楽しいです。しかし私はいささか困っています。具体的には、ある影響を受けてそこから脱却できないのです。
――それは、映像を見た後で作品を読んだ場合、あるいは読み直した場合に、登場人物が俳優さんのイメージにぴたりと重なってしまうことです。一度そうなってしまうと、どうにもそれ以外のイメージが持てなくなる作品があるのです。
つまり映像が作品観に非常に強い影響を与えてしまう――視覚・映像記憶が思念を支配する、ある意味ちょっと怖い現象だと思います。
個人的に一番強い影響を受けた例を挙げます。
――だいぶ古いですが、五味川純平さんの『戦争と人間』。
この作品は、イデオロギー色は別として、私にとってバイブル的存在の大切な作品です。また、作品で満洲を扱う方にはおすすめです。
(初めて読まれる方は、注釈部分を飛ばすと楽に読めるかもしれません)
WIKIで確認すると、1970年~73年に三部作で映画化されたとのこと。
どれを劇場で見たかは覚えていませんが、TVでも少なくとも二回は見たと思います(最近は再放送しませんけれど)。
主要キャスト(敬称略。みなさん“昭和のスター”です)。
由紀子(主人公の姉):浅岡ルリ子
順子(妹) :吉永小百合
英介(兄) :高橋悦史
柘植(陸軍将校) :高橋英樹
喬介(叔父) :芦田伸介
(主人公の俊介は北大路欣也)
以来、小説を読むとき、もうだめです。
上に挙げた俳優さんは鉄板で、文章を読むたびに出てきます。逆にそれ以外の人物像・イメージがさっぱり浮かびません。
(アバウトですがイメージの強い順に並んでいます)
一方で、俳優さんと重ならない登場人物もいます。幸いに、読むときに私固有の人物イメージを思い浮かべられます。
実は今回、拙作(他サイト)で満洲を扱うため、何年ぶりかで『戦争と人間』を読み直したのです。映像イメージはもう消えているかと期待しましたが、ダメでした。
なお、幸いなことに人物像以外はあまり影響を受けていません。それほど強く印象に残っていないか、あるいは他の戦争映画のシーンと混同してしまったようです。
※欣也さんについては、別のTVドラマを見ることで欣也さんのイメージ自体が変化しており、次に読むときは重ならないかもしれません。分かりませんが‥‥‥
* * *
上の様な影響を受けている作品は外にもいくつかあります(例:『亡国のイージス』『坂の上の雲』)。
確かに小説の舞台や世界が、映像化によってよりリアルになることは間違いないと思います。しかし、登場人物のイメージ・人物像も、ある種のリアリティをもって固定化される恐れがあり、それは作品の解釈を損ねないのでしょうか?
そのあたり個人的には非常に気になります。
(イラストで攻めるラノベなどの戦略とは正反対の議論ですが)
多分ですが、原作の人物像とよく合う映像ほど、(あるいはそれとは関係なく)印象的・個性的な役作りになっているほど、あとで読むときの固定観念を与えてしまうのだと思います。
(もちろん、原作とかけ離れた人物像が固定化されてしまったら大問題ですよね、原作者としては‥‥‥)
ということで、読者の側から物申す映像化の好ましからざる効果。
同じような経験を持つ方はおられませんか?
―了―
* * *
♦みなさまにご愛顧いただいた『ちょっと一服創作論』は、これにてクローズします。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
ちょっと一服創作論・完結 文鳥亮 @AyatorKK
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