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  • 第38話 蒼茫への応援コメント

    山本五十六と繋がりました!
    なるほど~!

    そして、服部半蔵にくのいち!

    作者からの返信

    「ごぜ」は長岡藩は幕府の家老職にあって諸国の情報収集は仮説ですね

    桑名藩が柏崎に領地があり、服部半蔵は代々襲名して桑名藩家老として戊辰戦争に反明治政府、奥羽越に加わって参戦していたことはあまり歴史教科書に書いていないようです。

  • 欧米の帝国主義を単に真似るのではなく、日本がアジアの国々が独立できる様に手助けをしていたら、世界史は変わっていたでしょうね。そのおかげで、欧米政府から叩かれていたでしょうが。

    作者からの返信

    ありがとうございます。インドネシア独立には海軍の前田精少将の支援がありましたが、スカルノ、ハッタの証言だとジャカルタ駐在陸軍武官は消極的だったとか。
    今村均将軍のように積極的な人もいましたが、内実は満州同様を構想していたかもしれません。
    有志によって、救われイスラム国家が成立したので、アラブ圏に日本の立場を支援してくれるのはインドネシアだそうです。
    日本はインドネシア独立がなければ石油も今の地位もないかもしれません。大事な国ですね

  • ロシア系ユダヤ人は、ナチスがドイツでユダヤ人虐殺を始める以前から、ロシア帝国での迫害(ポグロムとか言われていると思います)受けていて、19世紀末から20世紀初頭に多くが米国やパレスチナへ移住しています。私が中学生の頃に流行った映画、「屋根の上のバイオリン弾き」で、私はそれを知りました。この物語は、帝政ウクライナが舞台です。

    その前には、スペインで、15世紀末に、王朝がユダヤ人を全て追放してしまった為、慌ててヨーロッパに分散した時期もあり、ずっと迫害を受けて来ていたのでした。そう言う彼らには、少しの偏見があっても、憲法が国民を守る国である米国は、欧州各国よりも住みやすい国だったと思います。

    作者からの返信

    ありがとうございます。ロシア・ユダヤ人はアメリカに行ったのはまだマシでシベリア極東の自治州に押し込められましたようて。ピロヒジャンが新潟市の姉妹都市で存在を知りました

    編集済
  • 猪俣津南雄さんの解説、とても参考になりました!

    作者からの返信

    え!ありがとうございます。
    この後もっと詳しい話が語られるかもです

    ※卒業年次が誤りで訂正しました

    編集済
  • 第86話 DOG FIGHTへの応援コメント

    どうもです。

    最新話まで読ませていただきましたが、非常に興味深くよませていただきました。

    歴史を知る者が過去に飛ぶ、タイムスリップなお話。しかも、三発目の原発が落とされると言うパラレルワールド。

    なかなか凝った設定の数々と、生々しいほどの描写は非常に良かったです。

    今後の展開も気になりますので、また更新されましたら、お邪魔させていただきますね。

    作者からの返信

    ありがとうございます。だいたい1~3日に1回新話を追加しております。
    今はガダルカナルですが、ビルマ、インパールと数々の戦場の場面を書いて行きます

  • 第29話 逃避行への応援コメント

    危機一髪でしたね。

    捕まっていたら、厳しい拷問が待ってたのかな。

    作者からの返信

    当時の拷問は恐ろしかったそうですね。女こども関係ないとか

  • 第77話 収容所と南十字星への応援コメント

    (フィクションとはいえ) 当時の人々にとって、本当の意味での「終戦」の時期が様々だったという事実を改めて思い出させてくれます。

    作者からの返信

    田中菊松中将、前田精少将が復員したのは終戦2年後という記録なので、ストーリーは合わせています。
    私の祖父は上海に居て、岡村寧次司令官が降伏文書に調印したのは9月7日頃。復員は翌年春頃で、それでも早かったようです
    博多に到着して解散式をしたと話をしてました。家に着くまでが戦争だったようです

  • 第76話 降伏と蜂起への応援コメント

    次回が楽しみです。

    作者からの返信

    田中中将の回想になるのですが、
    重巡洋艦熊野の艦長時代、南太平洋海戦でガダルカナル島の戦い前後となります(予告)
    でも書いている私の方が緊張します・・・

  • 第75話 狙撃計画への応援コメント

    もしかして、9行目の 田中菊松大佐と宝剣乃亜、奥山少尉と本間花音・・・
    から数十行の部分がダブっているようですが・・違っていたらゴメンナサイ、です。

    作者からの返信

    ダブっているようでした。ありがとうございます。修正中です


  • 編集済

    第74話 索敵への応援コメント

    しゃつける この言葉、忘れてしまいそうでした。
    「悪いことすると、しゃつけるぞ」ガキ大将がよく言われてたようで。懐かしい。

    返信への返信です
    「くらつける」といって、ゲンコツされます(笑)
    これも佐渡弁なんですねぇ。しょぉしねぇ(恥ずかしい)っちゃ。
    言葉も忘れがちでダチカン(だめ)っちゃ。

    **確かに「しゃつける」は平手で「くらつける」はゲンコツですね。

    作者からの返信

    あと「しゃぐ」とか「くらすける」「くらしつける」とか言いますね(笑)
    しゃぐは平手、くらすけるはゲンコツのイメージですが、あってますでしょうか?

  • ネンボ
    ああ、確かに似ている。
    うちの主人が買って来たのが食卓に置いてある。
    ちょっともらおうかと思ったが、やめた。

    作者からの返信

    ちょっと「犬の〇〇〇」ににていますよね。
    でも犬のものは別の呼び方があるようです
    「デッキの棒」とかそんなような

    私は花林糖が大好き😆


  • 編集済

    尊敬する丸山眞男先生まで登場して痺れますね!

    (追記) 8/6の朝、宇品(広島市)で被爆して奇跡的に生き延びられたのだそうです。

    作者からの返信

    小野塚喜平次先生の孫弟子にあたりますね
    実際に懲罰召集されていて、海軍に採用で匿っていたようです
    (追記)船舶と聞いていたのですが、陸軍船舶隊で陸軍のようでした

    編集済
  • まあ無理だったのでしょうけど、日本が、欧米の真似して、アジア諸国を植民地化させずに、欧米から解放して独立を手助けしていく方針であったら、歴史はかなり変わっていたと思いますが。あの頃の日本には無理だったのでしょうね。

    革命の父、孫文には長崎出身の日本人のスポンサーがいた時期もあったとか。インドが戦後の日本に友好的だったのも、日本の英国植民地はの攻撃が英国からの独立に役立ったと見られているからとよく聞きますし。

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    実際にはモンゴル統一はその当時は双方の悲願だったのは事実のようです。
    日本が統一工作を行っていたのもたしかですが、理想はアホどもに潰されるのはいつものこと。
    満州国も余計なことをしなければ今は独立国家かもしれませんし

    編集済
  • 第70話 報復暗殺指令への応援コメント

    このようなDeepな作品を読んで見たかったのです。

    作者からの返信

    ありがとうございます。ご期待に添えられるよう、執筆したいと思います
    m(__)m

  • 第18話 歴史の歯車への応援コメント

    こんにちは。

    遂に海軍の大物と関わってしまいましたね!

    さて、どうなるか??

    作者からの返信

    大物だらけと関わって行きます?
    山本五十六が開戦反対を強く主張できたのは、旧制中学の先輩、日本石油社長の橋本圭三郎氏のバックがあったからという展開で……

  • お知り合いのかたのお父様がノモンハンで亡くなったと聞きました。それほど遠い昔の話ではない気がします。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    私の祖父は戦争に行った世代なので、父親がノモンハンで亡くなった人は存命だと思います。そんなに古い話ではないと思います

  • 銃の腕で、ノアに負けた花音の心境は、私のエッセイで、銃の腕比で、妻(母親)に負けてしまった幼い息子の心境と同じではなかったかと、苦笑してしまいました。

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    こどもは負けず嫌いってこともありますよね。
    職場に若い女性がアルバイトに来て、こどもが生まれて警察官を辞めたという人がいたのですが、私の取りえは銃の腕前。賞を取ったことがあると言って、みんなドン引きしていた覚えがあります。

    編集済
  • 第52話 財閥家の邸宅への応援コメント

    千谷沢村。フリガナで思いついたのですが、林家こん平師匠のチャーザー村はこちらなんですね。チャラーン、と思わず言いそうに。
    山口の旦那様ってすごいんですね。
    晁衡さんの作品から、新潟出身のすごい人をたくさん紹介していただいていますが、いるんですねえ新潟にこんな財を成した人が。

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    おっしゃる通り、千谷沢村は林家こん平師匠の「ちゃーざー村」です。
    第四銀行も北越銀行も山口の旦那様ですね。渋沢栄一とも親しく信越本線の建設とかいろいろあるようです

  • 第49話 長岡駅の団子売りへの応援コメント

    笹団子、おらも食いてえ。

    作者からの返信

    ヨモギの餅、団子とあんこの組み合わせは、和菓子として最高ですね。
    東京下町の伝統もヨモギのおだんごです。

    ヨモギが入ったお餅を善哉にするのがわが家の料理ですね

  • 第38話 蒼茫への応援コメント

    瞥女が諜報活動してたなんて知りませんでした。
    確かに方々を歩き色んな情報を得ることが出来ますね。

    花音さん達、バリバリの現代っ子だった二人が、有無を言わさず肥桶を担ぎ労働し、それもすっかり慣れっこになって板についてきたり、ちょっとした楽器が出来たお蔭で芸妓見習いなどもやったり、でとても愉快でしたが、これからは又とても大事な役目を担うようで目が離せません。
    どんな活躍ぶりになるのでしょう、楽しみです。

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    瞥女さんが諜報活動をしていたのは、あくまで創作の中での仮定の話ですが、長岡藩が江戸幕府の重臣だったことや、関東庄内まで広く活動して、頭領もいたので、そうではないか、という話に過ぎません。
    ただ、瞥女さんが回ってくると、みんなは諸国や遠くの街の話を楽しみに聞いたそうです。

  • 第30話 砂丘への応援コメント

    兄達が住んでいたのは五十嵐なので、住いの直ぐそばに海岸がありました。
    この辺を彼女たちは歩いているのかなぁ、と想像しました。
    間瀬とか関屋とか聞いた名前が沢山出てくるので何か嬉しいです。
    あと「だらどろでれ」の言葉も。笑っちゃいます☻楽しいです。

    作者からの返信

    まだ新潟大学が移転したばかりのころは、何もない砂山という話でその頃はなんとなく覚えています。
    角田浜のワイナリーに行くと、広大な砂山がまだ手つかずで残っていて、県外の人は驚きますね。市街地に近いのに砂漠みたいと。

    話し言葉は、瞽女さんは長岡弁で、新潟町の人は蒲原方言にしてますが、難しいですね。頸城方言もちょっと違いますし

  • 第29話 逃避行への応援コメント

    越後の言葉にも色々あるのですね。佐渡とは全然違いますが、兄夫婦が新潟に住んでいましたので懐かしい。

    昔、兄嫁の実家では(長岡)瞥女さん達がやって来ると、泊めてお世話をしていたとききました。
    越後瞥女というと斎藤真一の絵が思い浮かびます。
    深く雪の積もった道を列をなして歩く姿は、何ともいえない胸が熱くなる絵です。
    彼女たちがこの瞥女さん達に混じって逃げるのですね。どうなりますやら・・

    作者からの返信

    私の実家も昭和30年頃までは瞽女宿だったと聞いています。
    善根宿という形で、いろいろな人が泊まっていたと聞いています。
    お坊さんや、弥彦神社の人が回ってお札を配る人とか。
    交通の便が発達して、瞽女さんが社会福祉施設に入るようになって途絶えたそうです。

  • 第28話 例大祭への応援コメント

    おバカさんといわれる宝剣ノアちゃん。憲法のけん、をのりと読めるなんて、ちょっと見直しちゃうんじゃ?
    因みに夫の名前にも憲がつきますが、スンナリのりと読めない人も多々いますから、ノアちゃんをちょっと褒めてあげましょうか。

    作者からの返信

    意外と、木梨憲武さんを知っていたから、と思います……
    難しい読みだったかな?


  • 編集済

    第27話 武昌への応援コメント

    削除しました。

    作者からの返信

    ご指摘ありがとうございました。中々気がつかないこともありますので

    編集済
  • 第24話 大陸への応援コメント

    上海と言えば、昨日のニュースで、上海へ逃げて、ナチスからの虐殺を逃れたユダヤ人(2万人いたそうです)の事が話題になってました。日本の占領下にあったのではと思って調べて見ると、その通りでした。1943年にドイツから圧力が掛るまでは、日本軍は、割と自由な生活を許していた様でした。杉浦千畝の発行したビザで日本へ辿り着いたユダヤ人6000人についても、米国などへの渡航を許したのですから、日本人に取ってはユダヤ人もキリスト教徒の西洋人と変わらないと認識していたのだろうと思っています。後に、米国では、日本には、反ユダヤ人の習慣があるかどうかの論争があったと思いますが、ユダヤ人に関する事は、多くの日本人にとって、考慮するに当たらない問題だったのだろうと思っています。戦争が起こっている今でも、それは変わらないのだとも。

    作者からの返信

    亡くなった祖父が残した記録だと、昭和18年頃には南京市、終戦時には上海市にいたそうですが、日本占領下軍政下の都市は「まったく世界大戦はどこの話かと思えるほど平和」だっそうです。おそらくユダヤ系住人も反日行動をしなければ平穏に暮らしていたのかもしれません。
    南京市にいたときは、日本軍のトラックが中国市民の子供をひいて死なせてしまって補償で揉めているという記述もありました。
    1946年の上海の左側通行から右側通行の切り替えは、通達1本だったので、大混乱、事故だらけだったそうです。

    編集済
  • 第20話 瞽女への応援コメント

    「はなれ瞽女おりん」の話を思い出しました。
    同じようにひとりになったおりんは人の温もりを求めていました。

    作者からの返信

    そうですね。瞽女の禁を破って一人きりになってしまったのですね

  • 第4話 置屋への応援コメント

    思ってた以上に順応性が高いタフなJKたちw

    作者からの返信

    まあ、生きて行くには仕方ない、という所でw

  • 第3話 尋問への応援コメント

    なるほど。元の世界が僕らとは違う世界線だというわけですね。

    作者からの返信

    実は同じだったのが…最後で世界線が…

    ネタバレになるのでここまでです

  • 第2話 漁火への応援コメント

    もしや、なのですが、「紀元」ではなくて「皇紀」の方が伝わりやすいのでは。

    いや、余分のことです。

    作者からの返信

    ありがとうございます。私の祖父も「紀元」と言っており、暦の表記も紀元だったようです。
    ですので紀元を採用しています

    一般の会話には元号を使っていたようです。そのため漁師は言い直しをしている設定です

    編集済
  • 第14話 学生兵への応援コメント

    米国の大学のオフィスメイトが、韓国のソウル大学出身者でした。学部生の時、兵役に入ったそうですが、初期の訓練中には叩き上げの軍人から厳しくされたり、いじめられていたと言っていました。身分社会の韓国では、ソウル大学生はエリート中のエリートで、社会に出ると、大学に行っていない軍人など、とても届かないレベルの人間であったので、こういう機会は逃さず、いじめるのだとか。後に、スナイパーとしての才能を見せたら、比較的楽な経験で残りは終えられたと言っていました。物理を理解していれば、狙撃は簡単なことだと言ってました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    韓国軍は、ある意味、日本軍の悪い所を多く引き継いだ軍です。

    これからの話がネタバレになるので、ここあまり書かないのですが、「第3中隊」として記録をまとめた編集委員のひとりが、大野一等兵です。
    戦友会では中隊長の横にいつも中心に写真に映っていました。
    宴会では私の祖父の横にいる写真が多くありました。
    中隊の記録が詳細に残っているのも、そのおかげです

    待遇が良いのは、終戦間際に海軍兵学校の数学教官になったこともあるかもしれませんが

    編集済
  • 第7話 牡蠣への応援コメント

    ウー!スミマセン、牡蠣苦手で食べれないです。😟💦

    作者からの返信

    カキは美味しいですよ

  • 第5話 稽古への応援コメント

    佐渡だけでなく新潟も「だ」が「ら」になるんですか。
    「~なこってさ」って新潟ではよく聞きました。兄夫婦が県職員だったので、五十嵐に住んでいたもので。
    作中の会話の新潟弁が懐かしいです。

    作者からの返信

    新潟と長岡、高田はわかりませんが、「だ」が「ら」になるのは共通のようです

    「そうらろ?」(そうだろ?)というふうになりますよね

    濁らないだけ、言葉が柔らかく聞こえますね

  • 第4話 置屋への応援コメント

    小林百貨店、大和デパート、第四銀行 懐かしい名前が。でも両デパートはもうないんでしょう?
    「ざいご」とか「ぜえご」とか聞いた言葉ですが、「在郷」という字とは知りませんでした。夷や湊などの大いに田舎にすんでる住人が、それ以外の所を「ぜえご」なんて呼んだりする人もいたんですからお笑いです。
    汲み取りもねぇ、子供の頃は日常の風景でした。読みながら、ふふ、です。

    作者からの返信

    ありがとうございます。古町には二つのデパートはなくなって、今は再開発をしています。
    まだ私が来た20年前は大和の前で待ち合わせをしたものです。
    万代の方が賑わっていて、古町はなんとかならんのでしょうか。

    汲み取りは私も覚えていますが、APPAマンションの名前には知っていたので衝撃でした(笑)

    編集済
  • 第1話 出航への応援コメント

    故郷が舞台のお話に遭遇?するとは思いませんでしたので、とても嬉しく読ませて頂きました。
    両津港、湊、八幡若宮神社(お宮さんと呼んで遊び場でもありましたし、神主さんの息子さんが同じクラスでした)、北一輝氏の碑、加茂湖、カーフェリー・・懐かしい。
    宝剣は知りませんでしたが、本間や北姓の人はたくさんいました。

    語尾に「ちゃ」がつくのを母はよく旅んもん(旅の人・島外の人ですよね)に教えていました。「佐渡の茶は飲めんちゃ、だっちゃ」ってね。
    船上でカモメにおやつをやったり、海面を飛ぶトビウオを眺めたり・・
    そんなことをが思い出され、十数年ぶりに帰省したような気持ちになりました。

    でも、落ちちゃうんですよねえ、フェリーから。
    どんなお話になるんでしょう。舞台は佐渡からどこへ?楽しみです。

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    宝剣は糸魚川の名字です。

    湊と夷で両津というのは最近知りました……

  • エピローグ 並行世界への応援コメント

    物語の序盤、エピローグとしてはむちゃくちゃ好みの展開の流れですね!こういう流れは自分、むちゃくちゃ大好きですよ!物語は並行世界から始まる感じですかね?
    ちなみにマジンガーの中には並行世界が観測できる奴がいるんですよ!(むちゃくちゃ強すぎるのが難点ですが)
    何はともあれこれからこの物語を楽しみながら読ませていただきます!

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    タイムスリップモノとはちょっと変わった、思いがけない展開になっていく予定です