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2024年1月27日 21:45
上海と言えば、昨日のニュースで、上海へ逃げて、ナチスからの虐殺を逃れたユダヤ人(2万人いたそうです)の事が話題になってました。日本の占領下にあったのではと思って調べて見ると、その通りでした。1943年にドイツから圧力が掛るまでは、日本軍は、割と自由な生活を許していた様でした。杉浦千畝の発行したビザで日本へ辿り着いたユダヤ人6000人についても、米国などへの渡航を許したのですから、日本人に取ってはユダヤ人もキリスト教徒の西洋人と変わらないと認識していたのだろうと思っています。後に、米国では、日本には、反ユダヤ人の習慣があるかどうかの論争があったと思いますが、ユダヤ人に関する事は、多くの日本人にとって、考慮するに当たらない問題だったのだろうと思っています。戦争が起こっている今でも、それは変わらないのだとも。
作者からの返信
亡くなった祖父が残した記録だと、昭和18年頃には南京市、終戦時には上海市にいたそうですが、日本占領下軍政下の都市は「まったく世界大戦はどこの話かと思えるほど平和」だっそうです。おそらくユダヤ系住人も反日行動をしなければ平穏に暮らしていたのかもしれません。南京市にいたときは、日本軍のトラックが中国市民の子供をひいて死なせてしまって補償で揉めているという記述もありました。1946年の上海の左側通行から右側通行の切り替えは、通達1本だったので、大混乱、事故だらけだったそうです。
上海と言えば、昨日のニュースで、上海へ逃げて、ナチスからの虐殺を逃れたユダヤ人(2万人いたそうです)の事が話題になってました。日本の占領下にあったのではと思って調べて見ると、その通りでした。1943年にドイツから圧力が掛るまでは、日本軍は、割と自由な生活を許していた様でした。杉浦千畝の発行したビザで日本へ辿り着いたユダヤ人6000人についても、米国などへの渡航を許したのですから、日本人に取ってはユダヤ人もキリスト教徒の西洋人と変わらないと認識していたのだろうと思っています。後に、米国では、日本には、反ユダヤ人の習慣があるかどうかの論争があったと思いますが、ユダヤ人に関する事は、多くの日本人にとって、考慮するに当たらない問題だったのだろうと思っています。戦争が起こっている今でも、それは変わらないのだとも。
作者からの返信
亡くなった祖父が残した記録だと、昭和18年頃には南京市、終戦時には上海市にいたそうですが、日本占領下軍政下の都市は「まったく世界大戦はどこの話かと思えるほど平和」だっそうです。おそらくユダヤ系住人も反日行動をしなければ平穏に暮らしていたのかもしれません。
南京市にいたときは、日本軍のトラックが中国市民の子供をひいて死なせてしまって補償で揉めているという記述もありました。
1946年の上海の左側通行から右側通行の切り替えは、通達1本だったので、大混乱、事故だらけだったそうです。