越後の言葉にも色々あるのですね。佐渡とは全然違いますが、兄夫婦が新潟に住んでいましたので懐かしい。
昔、兄嫁の実家では(長岡)瞥女さん達がやって来ると、泊めてお世話をしていたとききました。
越後瞥女というと斎藤真一の絵が思い浮かびます。
深く雪の積もった道を列をなして歩く姿は、何ともいえない胸が熱くなる絵です。
彼女たちがこの瞥女さん達に混じって逃げるのですね。どうなりますやら・・
作者からの返信
私の実家も昭和30年頃までは瞽女宿だったと聞いています。
善根宿という形で、いろいろな人が泊まっていたと聞いています。
お坊さんや、弥彦神社の人が回ってお札を配る人とか。
交通の便が発達して、瞽女さんが社会福祉施設に入るようになって途絶えたそうです。
危機一髪でしたね。
捕まっていたら、厳しい拷問が待ってたのかな。
作者からの返信
当時の拷問は恐ろしかったそうですね。女こども関係ないとか