出会いは、偶然のような必然。そこから導き出される結果は、運命。

一期一会だとか、人との出会いは大切にしなさいだとか。そんなありきたりな言葉は、当たり前な言葉はとりあえず、一旦脇によけまして。自由な校風が売りです! なんて、まぁ当然のように若者は青春を謳歌するわけですが、単位という絶対的な存在を前にしては、「自」や「由」の字の中の格子に囚われてしまうわけです。……人を囲う「囚」という字……まさに囚われの身、ですね。
きっかけなんて、些細なもので。自分が何に興味を持つかなんて、下手すると自分自身でも気づいていなかったりすることも珍しくないです。言わば、ジョハリの窓 でしょうか。学生らしい自由奔放さはやがて、自由の中の格子から解き放たれ、大きく翼を広げて外の世界へ。当たり前ですが、行動を起こさないことには結果が返ってこないわけで。一番最初の手紙の返事がどれだけ感動的だったのかは、当事者ではない私には分かりかねますが、きっと言葉に言い表せないほどだったのだとお察しします。
O先生を呼ぶ。つまり、手紙の主が……。遠くに居ながら気兼ねなく何でも話せる(書ける)方が来られるなんて、こんなにうれしいことはないですよね。
少し脱線しますが、私も中学生の頃、とあるホールで一人で発表をすることがあったのですが、その緊張感たるや……それでも最後まで読み終えられたのは、スポットライトのおかげで客席に座っているお客さんの顔がほとんど見えなかったのは非常にありがたかったです。
話を戻しまして。
いくつものやり取りを、手紙を「交」換し、O先生の元へと「流」し、O先生から返事が「流」れてくる。そんな素敵な「交流」……憧れます。
血のつながりはなくとも、「人」としてお互いを尊重し、お互いの「為」に時に助け合う「偽(ニセ)祖父」と「偽(ニセ)孫」。そんな素敵な関係性が、どんどんと築かれていく様子をとても感慨深く読ませていただきました。
のちに重大な事実が発覚する分厚い封筒。
ページを開けば、終わりに向かって進んでいく。それは、人生そのもので。
生まれた瞬間から、誰しもが死に向かって歩いていく。その中で、誰と出会い、誰と過ごして何を残すのか。
その小説の最後のページを閉じるとき。新たな旅路ののファンファーレが鳴り響きますように。

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