彼女の依頼は、彼女を『完成』させることだった。
- ★★★ Excellent!!!
実に実用的、と一言で片づけてしまえばそれまでだけれど、効率や性能ばかりを求めすぎると、それはそれでよろしくない。何にでも「遊び」は必要だ。ファッションに気を遣うように、船外活動用宇宙服だってデザイン性高いものが欲しい。だって、宇宙「服」なのだから。
その中でもことヘルメットに関してはその好みが如実に表れるといっても過言ではないだろう。顔をすっぽりと覆うヘルメット。そりゃそうだ。ヘルメット=顔とするならば、これ以上ないくらいに個人を識別しやすいものはない。
そんな僕が手掛ける仕事はまさに天職ともいえよう。いや、宙職とでも言うべきか。AIだロボットだと、どんどんと高性能化・高効率化を目指して進化せども、人の手の繊細さには、未だ届かない。その機械的な手では、かゆい所に手が届かない。
反面、それだけ繊細な作業が要求される仕事でもある。塗り直しがきかない一発勝負。勝負は時の運ともいうけれど、いやいや……それ以上に、話しかけてくれるなよ、と悪態をつきたくなる。もし、これが格闘技なら、判定決着になった時、僕に有利になるように、あるいは相手にイエローカードを提示するくらいに厳しい審査を要求するところだ。……なんてことを考えていたら、第1ラウンドが終了してしまった。(正確に言えば、僕の集中力が途切れてしまったともいえるが、勿論これも審査には影響がないようにしてほしい。)
彼女の依頼。デザインの依頼ではなく塗る色の依頼……? 僕が調合した瑪瑙色に興味津々のようだけれど……。そんなに近づかれると、その……目のやり場に困るな……色仕掛けとは卑怯だぞ。色だけに。
おしゃべりをしたい? ますます混迷を極めてきたぞ。複雑に色が混ざり合うように、混沌としてきて、その渦に今にも巻き込まれそうだけれどもその渦中にあるこの場所は僕の仕事場だ。その事実だけが僕を平静でいさせてくれているのかもしれない。渦の中に片足を突っ込みそうになりながらも、片手間で彼女の話を聞く。何、目の前の仕事に集中していれば大丈夫。
風をイメージした紋様。人は見えないものを見たいと思うし、行けないと思った場所に行きたいと思うし、手の届かないものに、手を伸ばしたくなる。希求的な欲求に駆られるのはこれまでの、そしてこれから先の進化にとってとても大事なプロセスといえよう。ヘルメットで視界を遮られようとも、それでもそこにある「何か」を見たいと思う人々の思いを風に乗せる。
先ほどの首元のタトゥーも気になったが、その腕のタトゥーもとても気になる。デザインとしてみれば、さらに惹かれるものを感じずにはいられない。触れてはいけない、と。直感で分かる。ひとたび触れてしまえば、その渦の中に捉われてしまう。あぁ、それも悪くないのかもしれないと、一瞬でも思う自分を必死に理性で押さえつけていなければ、正気を保っていられないほどに。
結果。僕はその渦に巻き込まれた。引きずりこまれた。……身を任せたといった方がしっくりくるだろうか。さんざん否定するようなことを言っておいて、急に肯定的な書き方にしたのには、彼女の有無を言わせぬ魅力がそうさせるからだ。あぁ、だめだ。こう書いたところで、どこか言い訳がましく感じてしまう。おそらく、俯瞰的に見れば、あっという間に渦に飲み込まれたように見えるんだろうな。葛藤しているようには、微塵も感じられなかったのだろうな。
本音と建前が乖離する。口から否定の言葉を吐き続けても、彼女の懇願が、肯定がそれを遥かに上回る。煽情的な行動がそうさせるのではない。
もしかすると、彼女に声をかけられたときから、僕は彼女の渦の中にいたのかもしれない。いや、彼女の瞳の中で泳ぎ続けていたのかもしれない。
瞳の中は凪いでいる。誰にも汚されていない、まっ青な海の中。その瞳の中で、その瞳の真ん中に。僕は今、その奥深くまで潜ろうというのに。不思議と不安はなかった。
四八時間の情報収集の上、指定された場所に向かう。彼女はあられもない姿で僕を迎え入れた。その妖艶な容姿はもとより、全身を巡るタトゥーに目を奪われて仕方がない。今から、彼女の目にタトゥーを入れようというのに、目を奪われてしまっては本末転倒だ。仕事になんてなりはしない。
身体で宇宙を表現するという彼女の言にはただただ驚くばかりだけれど、見れば見るほど合点がいく。その小さな体躯に、未だ人類未踏破ともいえる宇宙そのものを内包するというその規模感もさることながら、彼女の肌の白さとタトゥーの色とのコントラストが素晴らしい。
彼女が用意した色はかつての地球色。今となっては見る影もない、あの美しい頃の地球の色。宇宙を内包する彼女にとって、目に地球を入れるというのはどこか儀式的というか、様式美というか。とにかく、彼女にとって深い意味があるように感じられる。様式「美」といえば、「美」だけ器用に切り取ってみたけれど、相変わらず彼女の妖艶さはどうやってもぬぐえない。仕事に支障が出るほどにぬぐえない。僕は彼女にタオルを投げたけれど、それはまるで僕が彼女に対して「降参」という意思表示をしたようにも思われるんじゃないか、なんてことを想像したと言ったら、彼女はさらに笑うのだろうか、なんてことを考えながらの施術開始。
麻酔が効き、彼女の目が僕をまっすぐに見つめてくる。彼女の一言は、文字通り僕を釘付けにした。言い方を変えれば、僕も彼女に麻酔をかけられたようなものなのかもしれない。四八時間、知識を入れたとは言え、たかだか四八時間。専門外だし、未知の領域だし、ヘルメットに施すのとはわけが違う。ただ一つ言えるのは、常に危険と隣合わせであるということ。
深淵を覗くものは、深淵から覗かれているとは言うけれど、彼女の瞳を見ているとそんな錯覚に陥りそうだ。彼女が仕事を依頼してきた時は、凪いでいた海も今は白波が立ち始めている。繊細に繊細な作業の積み重ねが僕に重くのしかかる。
苦労の末、最初の段階は何とか通過した。白く透き通った彼女の白目が、僕が注入したインクによって染まっていく。足跡を残していく。一つ、また一つと。
彼女が宇宙になる日は、また一歩、また一歩と。着実に近づいていく。そして、それは同時に。僕が宇宙から引き上げる日であることも分かっていた。
ほどなくして、施術は終わった。
はは、参ったな。彼女に地球のタトゥーを入れ終わったら、僕は宇宙から(彼女の元から)引き上げるつもりだったのに。地球を目に宿した宇宙から、一生をかけても消費しきれない、てんこ盛りの報酬をもらってしまった。