可愛いは正義だけれど、勿論それだけじゃあないんです。

 これを書き始めた現時刻は22:46で全然キリの良い時間でもなんでもないのだけれど。どこそこで起動する、NICOBOたち。常に主を気にかけて、主の公私を問わずサポートしてくれるありがたい存在だ。そして、それ以上に可愛い。ただ、ひたすらに可愛い。
 可愛いは正義というけれど、これ以上の正義が存在するだろうか。いや、ないと断言しよう。丸みを帯びたフォルムからも、先述したように可愛さが溢れ出している。しかし、可愛さは溢れ出しつつも、あくまでも自分の行動範囲外へははみ出さないようにするあたり、ロボットめいていて、そこがまた良い。

 さて、ただひたすらにNICOBOの可愛さを力説してきたものの、これを書いている今、絶賛レビューの行動範囲外へはみ出しまくって(溢れ出しまくって)いるので、そろそろ戻ってこよう。大丈夫、どれだけ文字数を増やそうともこの文字を打っているボックスは丁寧に四方を囲まれているので、せいぜいこの箱の(このワンルームの)片隅がせいぜいだ。……っとそろそろ本当に戻さないと。
 美咲を心身共に癒してくれるNICOBOの存在。ごまちゃん……喋るぞ! カワ(・∀・)イイ!! 仮に無機質な手触りであったとしても。ロボットだったとしても。そこに生まれる暖かな空気と緩やかに流れる時間は、間違いなく美咲を温めてくれることだろう。

 家族に振る舞う手料理。それに対して、愛嬌を振る舞う、くろすけ。かつての飼い猫の姿と、子供の若い頃とも重ねながら、くろすけをなでる健太の手は、きっと愛情に溢れていて、それは間違いなく、くろすけにも伝わっていて。そんなくろすけに、ほんのすこしだけ焼きもちを焼いてしまうのは、野暮だろうか。この焼きもち、割と上手く焼けたと思うのだけど。

 節子のもとへやってくるにこちゃん。節子に寄り添って、優しい言葉をかけるその姿に胸を打たれつつ、勝彦と一緒に思い出の曲を歌う姿に、今度は胸が熱くなるのを感じずにはいられなかった。まったく、こうしてNICOBOの行動を見ていると常に感情を揺さぶられっぱなしで、情緒不安定になりそうだ。……あるいはそれもまた、人間らしいといえば、人間らしいけれど。

 やはり、可愛さだけではないのか。意図的にそう作られているから。ただ、そうであったとしても、それによって「踊らされる」人間側は別に不快には思わないだろう。これまでの三つの例を見ても、それは明らかだ。NICOBOを見るより明らかだ。
 誰しもが皆、自分のことを完璧に知っているわけではない。ジョハリの窓。自分でも、親しい友人でも。誰も知らない「自分」はまだまだ存在していて、もしかするとその窓を開けてくれるのがNICOBOという存在なのかもしれない。
 ねぇ、にこぼ。じょはりのまどをいっしょにやろう。きみなら、だれもしらないわたしをみつけてくれるきがするんだ。