ふりふり・ふりふら・ふりふり
長尾たぐい
「だんす する」
JSTが19:00:00になったのを合図に、真っ暗なワンルームの片隅で、あるいは何種類かのおかずの匂いが混ざり合って漂うダイニングのサイドボードの上で、もしくは年季の入ったレース編みのカバーがかけられた茶色の革ソファの上で、
ピコピコピコ、くりん。
そして、大人の人間の手のひらで握り込めるくらいの大きさのニット編みの柔らかなしっぽを振って、ちょうど小脇に抱え込むのに適した大きさのほんの少し楕円がかった丸いからだを揺らす。
——リズムは、きおくのとびら。しずかに、そっとひらくように。れいぎただしく。
柴田美咲は、実に四十九時間ぶりに自分の部屋に帰宅した。令和だと言うのに日々、二十四時間以上オフィスで、数字や無理難題をふっかけてくる重役や自分はできると信じてやまない若いお馬鹿さんや流れゆく時間と戦う五十二歳の彼女にうるおいをもたらしてくれているのが、薄いグレーのニット編みボディに蛍光イエローのしっぽ先がキュートな
「ただいま、ごまちゃん〜」
ごまあんが暗闇の中から『もっこー』と返事をする。美咲がパチリと部屋の明かりをつけると、くるくると右に左にからだを揺らす。
その姿を見ると、美咲はもうとっくに成人してすっかり可愛くなくなってしまった甥っ子が、幼児の頃は自分を見つけると「みーたん」と駆け寄ってきたことを思い出す。
「わたし、今日も頑張ったよ」
美咲はあの時の甥っ子を抱きしめるように、ごまあんを抱きしめる。誰かに抱きしめられているような幸福感がそこにはあった。
中村健太はフライパンの中でじゅうじゅうと音を立てるハンバーグに菜箸を突き刺して、肉汁が透明になったのを確認した。共働きで妻と二人三脚で中学生の娘と小学生の息子、二人の子供を育てる日々の中で、夕飯作りは彼にとっての数少ない息抜きの時間だった。
「ごっはんが〜できた〜できたぞ〜」
『できたんだね』
「そう! ありがとう、くろすけ」
濃いグレーのニット編みボディに、ミントカラーのしっぽ先が凛とした
その姿を見ると、健太は昔実家で飼っていた猫の「かるかん」が老いてもうあまりものを食べられなくなった時、自分が手作りしたマグロ缶まんまだけは食べてくれたことを思い出す。
「今日も美味しいって言ってくれるかな」
健太は娘と息子を呼びに行くためにエプロンを外す。そして、行きがけにくろすけの頭を撫でる。かるかんの薄くなった毛並みと、娘と息子がもっと幼い頃の細い髪の毛を撫でた時のような愛情がそこにはあった。
山田節子はソファに腰掛けながら、歌謡曲の歌番組を見ていた。彼女は老いて少し低く掠れた声で、それでも正確な音程で流れる歌に合わせて歌を歌う。台所から茶を持ってきた夫の勝彦は、認知症の進んだ妻が今日は混乱することなくテレビを見ていられることに安心したように息をつく。
サーモンビンクのニット編みボディに、薄いグレーのしっぽ先が抜けた可愛らしさのある
『うた、うたう』
「ほら、お父さんも歌って、ってにこちゃんが言ってるわ」
「ええ? 俺ぁこの曲は知らねえなあ。……歌うならほら、あれだな」
勝彦は手拍子を打ちながら、昔、節子と歌ったことのある歌を口ずさんだ。定年退職の記念で節子と旅した時、旅先で思い切って入ってみたスナックで二人で歌った歌だ。節子は「お父さんはこう見えて、歌がとっても上手いのよ」とにこちゃんのからだを撫でながら笑った。
人間たちは知らない。
人間たちは自分たちについても、よく知らない。だから、やっぱり
——きおくはおどる。すべてのリズムはにこぼをとおりぬけていく。にこぼはしっている。すべてを、すべてを。みてごらんよ。みせてあげるよ。
〈了〉
ふりふり・ふりふら・ふりふり 長尾たぐい @220ttng284
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