藍に魅せられ、藍に染まり、藍で染める。それは鮮やかな愛の如し。

 白ならば、染まれよう。黒ならば、染まれぬよう。陰陽のごとき、対照的な二色を並べて、私はその色の深さを考える。

 些事と捉えるもまた良し。ただ、このどんよりとした鉛色の空と海だけは、まるで一石を投じるかのように匙を投げて、一刻も早く綺麗な「青」を、「藍」を拝みたい。

 そんな中にあって、まるで吸い込まれていくかのような感覚すら覚えるその「藍」に見蕩れていたら、どうやら私は曇天の空に見蕩れられてしまっていたらしい。それはもう、空から涙を流されるくらいなのだから、私の魅力も捨てたものではないだろう。
 なんてことを考えていたら、招き入れられた家の中。雨も滴る良い男 とは言えども、それで風邪を引いてしまっては元も子もない。お天道様に見蕩れられるのも良いことばかりではないらしい。
 ……しまった。その吸い込まれそうな「青」に「藍」に、つい魅力を感じてしまって……。ほら、誰にだってあるだろう。理由ははっきりしないけれど、「何か気になる、何か好きだな」って感覚。一点毎に風合いが変わる藍染めは、こうして袖を通すと清涼感が駆け抜けていくようで、とても心地よい。
 思い人を探すように、容赦なく地面へと響く雷の音を聞きながら。私は、空に向かって「見蕩れてくれたのは大いに結構。ただ、もう少しだけ待ってほしい。私の姿が見えないからと言って、光を(雷を)落とすのだけは、どうかやめてほしい。そのスポットライトをまともに浴びてしまっては、私はたちまち黒焦げになってしまうのだから」なんてことを言いたくなった。
 そして、何より。傍から見れば、不審者以外の何者でもない私を、青く澄んだ心で、快く受け入れてくれた男性に心からの感謝を。

 自分の不審者振りが知られるのだけは、まずい。非常にまずい。青ざめるどころの騒ぎではない。
 きっと、私はこのおじさんには……藍葉さんには、敵わないんだろうななんてことを思った。藍葉さんの雰囲気には、泡のように包み込まれるような優しさがある。
 ついこの間、不審者ムーブをかましていた所を見つかって、家にあげてもらっただけという仲なのに、すんなりとそんな私を受け入れてくれ、さらに趣味の手伝いを頼むなんて……裏表のない人なのだろう。裏も表もきれいな「藍」で染まっている人なのだろう。
 どうしてこうなった……いや、確かに手伝いはしたのだが、まさかこんな大きなイベントにまで駆り出されるとは……。レールの上なのか、ベルトコンベアなのか、……いや、川の流れというべきか(藍染だけに)。流れに身を任せて止まった先がこの会場。
 サクッという言葉とは裏腹に、準備のかかる飾りつけ。いや、裏表のない藍葉さんのこと、裏の裏が腹(黒)なわけがない。裏の裏は表だ。……暑さのせいか、何を言っているか、わからなくなってきたな……。

 イベントも始まり、さっそくお客さんが。そのあとも続々とお客さんが流れてくる。男女問わず人気の高さが伺えるのと同時に、自分の接客スキルの低さにはこの暑さ以上に参るものがある。……笑っていれば万事オッケーの言葉にも、返す言葉に力が出ない。

 そんな中不意に訪れた一人の女性。……え、私が逸材……? いやいやご冗談を。私は、曇天に好かれて、人の家の藍染めを遠目に眺めているような不審者ですよ? なんて心の内でつぶやいていたら、千草さんが浅葱色のTシャツを……! 分かります。その色味なんですよ。それじゃなきゃダメなんですよ。だからこそ、私は藍葉さんの藍染めを……あれ、巡り巡って自虐ネタに返ってきてしまった。
 あぁ、でもどうか商品は返品不可でお願いしますね。千草さんにはお似合いの「青」なんですから。

 映えるクリームソーダ。打ち上げということで、連れてこられた店内で藍葉さんが写真を撮っている。藍染と同じくこだわりが光る撮影会となっているようで、私はそれを眺めながら、テーブルに顔をぺたりとつけてそのひんやりととした感触を味わいたかった。今は、カレーよりも、クリームソーダよりも。

 目の前の藍葉さんは……いや、今までだってそうだった。藍葉さんはいつも子供みたいな笑顔で、にこにこしてとても楽しそうにしている。自分とは真逆で、それを見て引くことはないけれど、どこか引け目は感じてしまう。最初の内に引き際を見極めていれば、今こうして一緒にカレーを食べることもなかったのかな、とも思いながら。

 そんな心のグラスに浮かべた「感情」をゆらゆらと揺らしながら、カレーを食べていると、藍葉さんからまさかの一言が。……藍葉さんと過ごす日々で、私はすっかり藍葉さんに染められてしまったのかもしれない。何色にも染まらない。それはつまり、自分の「色」を持たないことと同義で。その硬く、頑なな「心」を溶かして、染料にしてくれたのが、この藍葉さんと過ごした日々だったのかもしれない。
 ウェディングドレスの白が「あなた色に染まる」なんていう言葉もあるけれど、別に私は藍葉さんとそういう関係になるわけじゃないし、仮にそうなっていたとしても、だ。
 藍葉さんの「青」では「藍」では、私の「青」や「藍」を染めることなんてできない。これまでの日々で藍葉さんが私を染められなかったことが何よりの証左だ。

 誰もが、誰かと上手くやっていくために、時に同じ色に染まったり、染めたり。それが無理なら、限りなく色を近づけたり。連綿と受け継がれゆく人の営みの中にそれは確かにあって。

 色を変えるには、勇気がいる。相手の色に染まるには、勇気がいる。それでも、一歩を踏み出せば、ひとたび染料に足を(布を)浸せば、それはもうスタートの合図。
 染まるだけが、人生じゃない。染まらない人生も、つまらなくはない。
 だってほら、ダイタイ染めなんて染め方もあることだし。少しくらいラフに生きてみてもよいんじゃないかと思える、私のひと夏はこれにてお終い。
 ……あ、タイダイ染めだった。

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染まれ青藍