第10話着飾りの妻へ

「なるべく派手な衣装――ですか?」




 開口一番、そう所望した私に、服飾係のおばさんは目を点にした。




「ええっと――奥様、それはどういった意味での衣装なんでしょう?」

「なんでもいいんです。とにかく派手で目立つならどんなのでも」

「はぁ……ただ単に、目立つ、と言われるとなかなか難しいのですがね……」




 服飾係のおばさんは少し困った顔をして首を傾げた。




「例えば赤色がいいとか黒がいいとか、シックとかビビッドとか、そういうふうなことなら私も具体像が掴めるのですが……」

「なんでもいいんです。とにかく目立つ、物凄く派手で、目立てばいいんですよ。ダメですかね?」




 私は頑強に言い張った。


 そう、アデル様は派手に着飾った女がタイプなのだ。間違いない。


 だったら私も輝かんばかりに着飾り、絶対にあの美貌の貴族のハートをゲッチュするのだ。




 私の珍妙な希望に、服飾係のおばさんはますます困ったように首を傾げた。




「うーん、その衣装が派手と感じるかどうかは人にもよりますしねぇ。もしよろしければ、実際に奥様が見て選んでいただけるとありがたいのですが……」

「えっ、そんなことが可能なんですか?」

「ええ、旦那様の御母上がまだご存命だった時に着られていたものでよければ。まだ衣装部屋の方に手を付けずに保管してございますから」

「へ、へぇぇ、そんな何着も服があるんだ……ウチなら速攻で質に入れてるのに……お金持ちって凄い……」

「これから奥様がお暇なのであればご案内いたしますよ」

「えぇえぇ是非お願いします! こちとら暇なんです! なんなら今日一日それで終わっても全然イイっていうか! 日の暮れるまでご一緒させてください!」




 なんだかよくわからないがっつきを発揮して、私は屋敷の衣装部屋に案内された。


 ドアを開けた瞬間、ずらりと並べられたハンガー掛けの衣装やきちんと畳まれて棚に積まれているその服の数々に、私は腰を抜かさんばかりに驚いた。




「ほわぁ! ふっ、服がいっぱいある……! ふっ、服の宝石箱や……!」

「あらあら、奥様ったらお戯れを。そりゃ衣装部屋ですから服がたくさんあるのは当たり前ですよ」

「お戯れでもなんでもないです! こっ、これ全部、着られる服なんですか!?」

「えぇ、奥様は旦那様の御母上と体型も身長もだいたい一緒のようですから、ほとんどの衣装が着られると思いますよ」




 私はおっかなびっくり衣装部屋に歩み入り、ふと目についたハンガー掛けのドレスの一着を、おっかなびっくり取り上げた。


私が普段着て野山を走り回っているボロとは素材からして違うのが、手で触れただけでわかる。しかもなんだかほんわかいい匂いが漂ってくる気がする。




「うっ、うわぁ……! 何だか物凄くツルツルした手触り……! しかもなんか生地が光ってるし……! なにこれ……!?」

「えぇ、そのドレスは絹で織られたドレスですからね」

「キヌ!?」




 ヒイィ! と叫んで、私はそのドレスを思わず放り投げた。


 宙を待ったドレスはバサッという音を立てて服飾係のおばさんの頭に着地した。


 キヌ。一生自分の手に取ることなど叶わないと思っていた伝説上の生地を自覚なく手にしてしまった私は、裏返った声で悲鳴を上げた。




「そ、それッ! ほっ、本当に、キヌ、なんですか!?」

「絹ですが」

「きっ、絹って実在するんですか……!? お金持ちの人はトイレを使う時にそれでお尻拭いてるっていう、あの――!?」

「流石にそんな勿体ないことはしませんが……まぁ、上流階級に好まれる生地ではありますね。ここには何着も絹で織られた衣装がございますわ」

「そ、そうなんだ……お金持ちって凄い……」

「まぁ奥様、そう構えずに。所詮はどこまで行っても服ですよ。奥様に着られるために用意されているものです。どうぞ遠慮なくお召になってください」




 そう言われて――私はおっかなびっくりではあったけれど、ようやく衣装を手に取って選び始めることができた。


 最初の二、三着は持つたびに手が震えたが、それ以降はなんとか衣装を手に取ることに抵抗がなくなった。




 よーし、と私は鼻息を荒くした。


 なんとしてもアデル様の好み通りの、ド派手な私になるのだ。


 その決意とともに、私はハンガーにかかったドレスを次々と手に取った。




 服飾室にある鏡の前に立ち、衣装を胸に当てて、姿見を見て、戻す。


 衣装を胸に当てて、見て、戻す。


 衣装を胸に当てて――見て、戻す。




「奥様――?」




 謎の行動を繰り返す私に、服飾係のおばさんが不思議そうに問うてきた。


 衣装を胸に当てて、戻す。


 衣装を胸に当てて、戻す。


 衣装を胸に当てて――眺めてから、戻す。


 衣装を胸に――。




 瞬間、私の中の興味メーターの針が一気にゼロへと振り切れた。




「違う……」

「え?」

「これは違う――何かが違う。これ全部、着たら普通に美人になっちゃうだけだ……」




 大げさに腕なぞを組み、うーむと唸り声を上げた私に、服飾係のおばさんがちょっと驚いたようだった。




「え……普通に美人になるって、それでいいのではないんですか? 奥様は旦那様を一層惚れ込ませるために着飾ろうとしているのでは……」

「それはそうなんですけどね……。今の私はですよ、髪もこうやって整えてもらって、化粧もメイドの皆さんにやってもらってるじゃないですか。要するに顔だけは普通に貴族令嬢になったわけじゃないですか、私も」

「そうですわね。……あっ、いや、しっ、失礼しました! 私ったら思わず失礼なことを……!!」




 なんだか慌てているおばさんを無視して、私はそこで首を傾げた。




「そこに普通に貴族令嬢らしい服装をしたら、当然普通の貴族令嬢らしい外見になるわけでしょ? でもそれだと却ってインパクトを欠くと思いません? マイナスがプラスによって埋められたら却ってゼロになってしまうというか、砂糖と塩を同量で混ぜたら無味無臭になるというか」

「い、インパクト――? っていうか、なりませんよ、砂糖と塩で無味無臭には」

「なんというかなぁ、ド貧乏な貴族令嬢ということで曲がりなりにもアデル様の中に印象が残っていた私が、こういう衣装で着飾って、至って普通の貴族令嬢になっちゃったら、それはそれで無個性になっちゃうんじゃないかと思って」

「は、はぁ……」




 そう、インパクト。この部屋の衣装に欠けているものは、おそらくそれだ。


 これらは全部上等な仕立てであり、きっと目玉が飛び出るほど高価なものには違いない。


 だけど――それらは私以外の貴族間ではおそらく比較的標準的な装いなのだろうし、逆にそれだとアデル様の中での私の印象が普通になってしまうという可能性はないだろうか。


 ましてやこの国イチの金満家貴族家の当主たるアデル様のこと、こんな衣装で蝶よ花よと着飾った女性に繰り返し繰り返し言い寄られているに違いないのだから、これでは拒否反応が出るのではないか。




 うーん、と私は再び唸り声を上げた。




「困ったなぁ……これじゃあ私の考えてる方向性と食い違うなぁ……」

「も、申し訳ございません奥様。私にはちょっと奥様のお求めである衣装の形がちょっとよくわからないというか……」

「いや、なんで事はないんですよ。ひと目パッと見た時になんでもいいから印象に残ればいいんです」

「は、はぁ……」

「そういう衣装ってないですかね?」

「申し訳ございません、この部屋の中には普通の社交界用の衣装が多いと思いますし……」




 うーん、難しいかぁ。私がため息をついた、その瞬間だった。


 にゃあ、という声がして、私はそちらの方を見た。


 いつの間にやって来たのか、オスシが部屋の中にいて、前足で部屋の隅に置かれている木箱をカリカリと前足で引っ掻いていた。



◆◆◆



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