第3話YOBAI、ないしYOASOBI


 金持ちの食事って凄い。


 私は改めてそう思った。




 先程、アデル様と初めて共にした夕食の食卓は――それはそれはすごかった。


 まず温かい。ウチではほとんどがクソ硬いパン一枚か、それともか近所の農家さんから恵んでもらった残り物、もしくは生野菜を齧ることが「食事」であり、温かいものを食べることがまずない。


 私の誕生日の夜などはクソ硬いパンの上にやっとこさ目玉焼きが乗ることもあったのだけれど、それもかなり無理をしてその程度だった。




 だが――どうだろう。


 アデル様の家の食卓にはデフォルトでゆで卵がついてくる豪華ぶり。


 どれもこれも塩味や甘味というよりはカネの味がするものばかりで、私は途中から半泣きになって食べ物を掻き込んでいた。


 


 だが――途中から、どうしても食事が喉を通らなくなった。

 

 どう頑張っても、私の胃は「これ以上食べられません」と繰り返すばかりで、私はほとほと困ってしまっていた。


 アデル様の話によるとこれは「満腹」という状態であり、別に病気ではないらしい。


 そっかよかった、と安心した私を見つめたアデル様の顔は、何だかとても気の毒そうな表情で、涙さえ浮かべていたように思ったけれど――まぁ気のせいだろう。

 



 カネと滋養がパンパンに詰まった腹を擦りながら、私は一人屋敷の廊下を歩いていた。


 


 既に時間は深夜と呼べる時間で、警備の兵も最低限を残して休んでいる。


 私は寝間着の下に、衣装係の女性に頼んで用意してもらった、スケスケの、一言で言えば極めてえっちくさいネグリジェを着た状態で廊下を歩いている。




 問.私はこれから何を為すべきか?


 答えは決まっている。


 解.YOBAI。ないしはYOASOBIとも言う。




 夜這い――それは男女間に既成事実を作るための、古典的な方法である。


 いくらアデル様が女性が苦手とは言え、生物学的には男。


 私がほぼ全裸で部屋に侵入してきて甘い声と表情とで迫ってきたら――後はすべて男の本能という魔物がカタをつけてくれることだろう。


 それに私は幼い頃から貧栄養に苛まれてきたせいか、身体の方にはこれでもなかなか自信がある。トマトに与える水を絞れば絞るほど甘くなるのと一緒の理屈でムチプルーンなのだ。




 後はそれを繰り返し、私が晴れてご懐妊ということになれば、気弱なアデル様にはコブつきの私を放り出す度胸はあるまい。


 リンプライト家はメレディア家という超強力なカネヅルだけでなく、なんと跡継ぎまで儲けてしまうことになる。




 それに――ジュルリ、と私は唇の端に漏れ出た涎を拭った。


 アデル様は心根こそ気弱だが、何と言ってもあの顔である。


 十人が十人、道ですれ違ったら思わず振り返るほどの美男子なのだ。




 この偽りの結婚を真実の愛の結婚にする、という事以上に、単純に、私があの人とそういうことをしてみたい。


 あのキレイな顔がはしたなく快楽に蕩けきり、肉欲に塗れて痴態を晒しまくるところを、個人的にも見てみたい――。


 そう考えるだけで私の心は躍り、フヘヘヘッというスケベな笑いが出て止まらなくなる。あぁ、言ってるうちにも興奮してきたな。




「アデル様、待ってろよ……今に私が夜伽に参りますからね……そのキレイな顔を今に極上の快楽に歪ませてやるぜぇ……! フヘヘヘ……フヒヒヒ……!!」




 ゲヒャヒャヒャ! と不気味に笑いながら、私は屋敷の奥にやってきた。


 あの美貌の貴公子が普段生活している空間――そう思うだけで、なんかいい匂いがする気がした。




 この世に興奮することはいっぱいありますけどね、一番興奮するのは契約結婚した旦那に夜這いするときだよね。間違いないね。




 アデル様と少し内密の話がありますの、と言って警備の兵を下がらせ、私はアデル様の寝室に肉薄した。


 あちらもそれなりに対策を立てて内鍵ぐらいはしているだろうが、そんなものはリンプライト一族にとっては、丸腰全裸にようやくパンツ一枚を履いたようなもの。


 いよいよのときは領内の農民たちが穀物を貯蔵している倉庫に侵入し、ごめんなさいごめんなさいと謝罪の文句を唱えながら最低限を盗み出すことすらあった私たちにとっては、大概の錠前など針金一本でダウンさせることができるのである。




 いよいよ、この廊下を曲がれば、アデル様の寝室だ。




「アデル様、いよいよです――お覚悟を!!」




 私は再び漏れ出てきた涎を拭い、私は意を決して廊下を曲がった。




 アデル様の寝室の前に立った私は――あんぐりと口を開けた。




 そこにあったのは、錠前、錠前、錠前――。


 どれもこれも大きさが私の顔ぐらいある錠前が、アデル様の寝室に鈴なりに付けられ、ドア自体も力任せにぶち破ってこれないよう、なんと分厚い鋼板で補強されていた。


 個人の寝室というより、まるで要塞の火薬庫のようなその佇まいに、私は呆気にとられてしまった。




 いやそれ以上に――目につくのはドアにびっしりと貼られた紙と、その紙に書いてある文言である。




『やっぱり来たのか! 帰れ!』


『何考えてんだこの変態女!』


『お前の考えなどお見通しだぞこのバカ!』


『これからも絶対に寝室は別だからなボケ!』


『夜這いなんてされてたまるかアホ!』


『悔しかったら入ってきてみろウンコマン!』




 ――流石はやり手貴族、私の襲撃などとっくにお見通しというわけか。というか人に向かって、妻に向かって『ウンコマン』って――!




 キーッ! と、あまりの悔しさに私は地団駄を踏み、『悔しかったら入ってきてみろウンコマン!』と書かれた紙を掴み、力任せに引き剥がした。






『(ꐦ°᷄д°᷅) 剥がすな!!!!!!!!!!!!』






 途端、下から現れたもう一枚の紙の剣幕に、私はヒエッと悲鳴を上げて腰を抜かした。




 まさか、私が逆上して紙を剥がすところまで想定しているなんて――。


 ビックリして尻餅をつき、ドキドキとうるさい心臓に手をやっていると――ンフフフフフ、という低い笑い声がドアの向こうから聞こえてきて、私は顔を上げた。




「フッフッフ、そろそろ来る頃だと思っていた……かかったなアホが! 貴様の考えなど、まるっとしゃきっとぶりっとお見通しだ!」

「あ、アデル様……!?」

「君が今夜にも夜這いに来ることなど、私にはとっくにお見通しだったのだよ! ……どうかね、今まで私の掌の上でコロコロ転がされ、踊らされていたのだと知った気分は!」




 その言葉に、ぐぬぬ……! と私は顔を歪めた。




「ぐぬぬ……! アデル様、夫ながらなんてアッパレな男……! この私を掌の上でコロコロと転がしていたなんて……!」

「君にはなかなか面白いものを見せてもらって感謝するよ。君、お飾りの妻をやめて喜劇女優にでもなったらどうだい? 芸名は……そうだなぁ、『アサ・ハカナオンナ』なんてどうだい?」

「キーッ! アデル様、いくらなんでも性格悪いですよ! ただアデル様のところに夜這いに来ただけなのにこんな仕打ちをするなんて!」

「夜這いしに来ただけってなんだ! 『だけ』とは!」




 アデル様は勝ち誇ったような声で宣言した。




「いいか、今後一年間、絶対に寝室は別だ! ちなみに窓の方にも対策してあるからな! 君がたとえニンジャであったとしてもこの部屋に入ることは不可能だ! どうだ悔しいだろ、おしりペンペン! おならプップー!!」

「くそ……ちくしょう……! 古典的な挑発すぎてなんかすっごくムカつく……! こんな屈辱、ホント初めて……!」




 私は悔しさに震えながら、それでもこの無敵要塞と化した寝室には手も足も出ず、すごすごと己の寝室に帰る他なかった。




 だが――この屈辱的な敗北が、私に執念を与えた。


 すなわち――この一年の間に、絶対にアデル様を絆してみせる、という執念である。







ここまでお読みいただきありがとうございます……!!



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