第2話逃げるは恥だし役にも立たない

「グレイス、君とは結婚するが、悪いが私は君を愛することはない。私からの愛情などは期待せず、どうかお飾りの妻でいてくれないか」



 

 はい! テンプレな台詞頂きました!


 内心ほくそ笑んでいる私に向かって、美貌の夫はなおも言った。




「一応、一緒には生活することになるが、悪いが私は人見知りが激しいので結婚式も挙げない。……こんな失礼な話なんだけど、グレイス、本当に君はいいのか?」




 はいはいはいはい、と、内心私は二つ返事だった。


 私、グレイス・リンプライトの家――リンプライト男爵家は、音に聞こえたド貧乏貴族家だ。


 積もりに積もった借金のせいで、私の家の家計は数代前から火の車。


 そこらの農民の方が、というより、公園の鳩の方が確実に私より多く食べてる。


 明日着るものの調達はおろか、食べる食事にさえ毎日頭を悩ませねばならない生活。


 そんな生活にウンザリしていたある日、「お飾りの妻募集!」という、王都の掲示板の謎のチラシ――。


 詐欺かなと思ったけれど、騙されても失うものは何もないと思い切って応募してみました。


 今は応募して本当によかったと思っています、はい。


 なにせそのお飾りの妻を探していた相手は、この国イチの金満家貴族家・メレディア伯爵家の若き当主・アデル様であったのだから。




「はい! 偽りの白い結婚、合点承知の助! その手は桑名の焼きハマグリ、あたりき車力よ車引きってなもんで!」

「……なんか滅茶苦茶嬉しそうだな。あのなグレイス、これは偽装結婚なの、偽りの結婚なの。なんでそんなに嬉しそうなの?」

「いやだって、私の生活費の面倒と、実家への仕送りはアデル様が面倒見てくれるんですよね!? 明日食べるものの心配がないってだけで私の心は春爛漫の様相を呈するというか!」

「……あのね、わかる? これはね、凄く君にとって失礼な話なんだよ? そんな風にレモンの輪切り添えたみたいな弾ける笑顔で受け入れるような話じゃないの」




 アデル様は私の両肩に手を置いて、ゆさゆさと揺さぶりながら私の目を覗き込み、言い聞かせるように言った。




「これは一方的に君を弄ぶような話なんだよ? 君はこれから私の都合で弄ばれるの。幼児が弄くり回す粘土みたいにだよ?」

「粘土いいじゃないですか粘土! 私も好きです! というより、小さい頃から親には粘土以外のオモチャを買ってもらったことがないので!」

「いや、それ買ってもらったというより山の中とかで拾ってきたやつじゃないかな……。あのね、もう少しムカつくとか不満に思うとか落胆するとかさ、そういうのが普通の反応なの。君は普通じゃないの」

「まぁ昔から逸脱には定評があるリンプライト家ですからね!」




 ガハハ、と私は七つの海を駆け回った船乗りのような声で笑った。


 貧乏人は暗くしていたら生きることができない。


 財産なんて傾きかけたボロ屋しかない我が一族だけど、この明るさだけはまた別の財産と言ってもいいかも知れない。




「仲良くなった貴族の方が遊びに来た時、そこらの雑草を煮出した茶を出す貴族家はウチぐらいのもんでしょうからね! 相手はドブ水飲んでるようなしんどい顔するんですよ! まぁすっごく青臭くて苦い以外は身体にいいんですけど!」

「い、いや、ドブ水の話はいいよ。あのね? もう少しよく考えて。私は君にお飾りの妻でいてくれって言ってんだよ? カカシみたいなもんなんだよ君は」

「カカシ上等! 動いて喋って少しおさわりもできて、しかも底抜けに明るいカカシですよ! 家の中が笑いで満ち満ちるじゃないですか!」

「う……そ、そんな臆面もなく肯定しないでよ。申し訳なさが加速するじゃないか。あのね、一年後に私たちは子供が出来ないという口実で離縁するんだよ? ただ君は一方的に傷物扱いにされるんだよ?」

「は? それは困る」

「えっ」



 

 一年後に離縁。その言葉に、私は一瞬にして笑顔を消した。


 その豹変に、アデル様がびくっと怯えた。




「アデル様と離縁、そりゃ困る。だってウチ、相手がアデル様だとわかった時点でアデル様名義で家のリフォームのローン組んじゃったし。来月ぐらいから工事着工、完成が一年半後なんですよ? 離縁しちゃったら誰がローン払うんですか」




 その言葉に、アデル様が素っ頓狂な顔と声で驚いた。




「そ、そんなもう家族全員で私にタカる気満々でいるの!? 君と君の家図太すぎない!? つーか勝手に人の名義でローン組むなよ! 犯罪だぞ!!」

「だって夫婦になるんだから相手の実家の面倒見るなんて当然じゃないですか。世の中には嫁に両親の介護させる目的で結婚するひどい男だっているんですよ」

「君のはなお酷いよ! 私の合意どころか相談もなしになんで実家のリフォームのローン組むんだよ! 普通なら裁判になって泥沼の離婚劇に発展するところだよ! まだ結婚もしてないけどさ!」

「じゃあ交換条件で、ワンチャンくださいワンチャン。ネコチャンは野良猫で間に合ってるんで要りません」




 人差し指を唇に押し当て、腰を捻り、うふっという感じで笑い、私は「完璧な美少女のポーズ」でおねだりした。


 近所の農家さんにその日のおかずを恵んでもらう時に身につけた特技である。




「一年後に私と離縁したくないなーってアデル様が思ったらもう少し契約結婚契約を延長ができるってことにしません? みすみす逃がすかカネヅル」

「交換条件ってなんだよ! 君が一方的に条件飲んでよ! 契約結婚ってそういうもんじゃないの!?」

「海賊だって略奪前に交渉ぐらいするんですよ! これはパーリイですよパーリイ! とにかく、ワンチャンくださいよワンチャン。今から一年後なんて、そんな遠い未来のことを想定するなんて――人間には到底、できっこないことじゃないですか」

「なんでそんな急に素敵な言い回しするんだよ! ウッカリそうかなと思っちゃったじゃないか! 流そうとするな!」

「あーもーうるさいなぁ。だいたいね、こんな滅茶苦茶な話題にホイホイ手をあげちゃう貴族令嬢なんて私以外にいましたか?」




 ぐっ……と、アデル様が痛いところを突かれた表情になった。


 ここだな、と私は畳み掛けた。




「だいたいね、アデル様はお金持ちで顔も人並み以上ですけど、性格がアレでしょ? 割と普通っていうか、どっちかっていうと大人しい方でしょ? 重ね重ね顔とステータスはいいのに」

「う――」

「普通契約結婚の相手なんてチラシで募集するもんじゃないでしょ。酔った勢いでワンナイトラブしちゃった相手に『ところでさ』って持ちかけるとかならわかりますけど」

「そ――それはそうだけど。っていうか、そ、そうなの? 契約結婚ってそういう風なワンナイトラブの流れってあるの? 私詳しくないからよくわかんないんだけど」

「こんなアホな事態に乗っかってきてくれる人間がいるってだけでだいぶ恵まれてると言えるのに、その相手に交換条件も許さないのはちょっと傲慢では? 今から私が婚約破棄して帰るって言い出したら困るのはそっちでしょ?」

「それは――そうだけどさ」

「だいたいね、なんでそんなに契約結婚したいんですか? アデル様、言っちゃ悪いけど普通だからそんな風な思い切った偽装結婚とかしそうに思えないんですけど」




 私の言葉に、アデル様がぼそぼそと言った。




「そりゃあ――恥ずかしい話だけど、家族に結婚を急かされていてな。早く来孫の顔を見せろとひいひいお祖母様がうるさくて――」

「えっ」

「えっ」

「……ひいお祖母様?」

「いや、ひいひいお祖母様。曾お祖母様の曾お祖母様。数世紀以上もウチの一族を裏から操る陰の実力者なんだ」

「い、い、生きすぎィ……! 化け物じゃないですか! っていうか来孫ってなんですか!? 玄孫の子ってこと!?」

「ちなみにひいひいお祖母様は年齢はゆうに数百歳を超えてるが見た目は七歳ぐらいの幼女だぞ」

「完ッ全なる化け物じゃないですか!! あと確定的に語尾に『のじゃ』とかつける口調そう……!」




 私は思わず後ずさった。




「っていうかひいひいお祖母様になんでそんな忖度するんですか! 玄孫までいるんだからもういいでしょ! ひ孫どころか孫が生まれた時点でもうこの世に思い残すことなんかないでしょうが! どんなゴーツクババアなんですかひいひいお祖母様は!」

「馬鹿、ひいひいお祖母様を怒らせると大変なんだぞ! あの魔女のヘソが曲がれは国が滅ぶという伝説がメレディア一族にはあってだな……!」

「そ、そりゃあ大変だ! 絶対にヘソ真っ直ぐにしとかないと……! っていうか、それなら普通に偽装結婚じゃなくて結婚して、子供作らないと意味ないんじゃないですか!? なんで偽装結婚!?」




 私の言葉に、アデル様はスッと視線を横に逸し、「だ、だって……」とモゴモゴと呟いた。




「だって、女の人とか怖いじゃん……今まで私に言い寄って来た人たちはみんなウチの財産目当てだったし……そうじゃなくても知らん人とひとつ屋根の下とか意味わかんなくて怖くて……一回でも離縁すればひいひいお祖母様も諦めてくれるかなと……」




 その気弱な発言に、私は大きくため息を吐いた。


 この顔とこの財力で本人がコレでは、そりゃあひいひいお祖母様も結婚を急かしたくなるだろう。




「ハァ、本当ならそんなことないよ、お金じゃなくてあなた自身のことを気に入ってくれる人が現れるよ、って言いたいところなんですがね……かくいう私もマンキンでアデル様の財力を見込んで結婚しに来たんですから何も言えませんね」

「うん、今まで言い寄って人の来た中でも君がぶっちぎりで酷いよ。流石に君ぐらいあっけらかんと来られると憤る気力も湧かないだけで」

「うー……! じゃあやっぱりワンチャンくださいワンチャン! なにかの間違いでアデル様が私のことを気に入ったらそのときは契約結婚契約延長ってことで! せめて家のリフォームが終わる一年半後まで契約期間延長可ってことで! それじゃダメですか!?」




 私が頑強に言い張ると、アデル様が何かを考える顔つきになった。


 元々性格は気弱でも見た目は美丈夫であるから、黙考している顔なぞは非常に絵になる。


 ほわぁ、いい男だなぁ……と私が見惚れていると、ハァ、とアデル様がため息を吐いた。




「もう……わかったよ。じゃあ一年後にもう一度話し合いの機会を設ける。その時までは君はお飾りの妻、ね? お互いに愛情は期待しない、寝室は別だ。いいね?」

「やった! アデル様、話の分かる男!」




 私が思わずアデル様に抱きつくと、ウッ、と唸ってアデル様が赤面した。




「こっ、こら! 遠慮なく男に抱き着いてきたりするな! これは愛のない結婚なんだぞ!」

「えー、一応婚約はしたんだからボディタッチぐらいは普通でしょ? それぐらいはしましょうよ。私はおっぱいぐらいなら全然揉ませるつもりだったんですが」

「だからそういうのがはしたないって言ってるんだよ! しかも君はたくましいから隙あらば色々と既成事実とか作ってきそうだし! いいか、くれぐれも間違いが起こらないように寝室は別だからな!」

「寝室は別でいいですけど、お風呂は一緒でいいですよね?」

「なんでだよ! お風呂も当然別だよ!」

「ちぇー、つまらん男だなぁ」




 私はブツクサ言いながらも、すったもんだの挙げ句に契約結婚生活をスタートさせた。



 だが――この時の私は既に決めていた。決めていたのである。


 

 絶対にこのカネヅルを逃してなるものか。

 

 契約結婚何するものぞ。


 この一年の間に、絶対にこの美貌の貴族をオトし、真実の妻になる。


 


 そうでなければ、リンプライト男爵家は明日にも全員飢え死にしてしまうかもしれないのだから。







ここまでお読みいただきありがとうございます……!!

今日は何話か更新しようと思います……!!



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