第12話初陣
「……奥様、本当に、考え直す気はないのですか?」
服飾係のおばさんが、私の格好を見つめ、心配そうに言ってきた。
私は頷いた。私が頷くのと同時に、私の股間から屹立した「それ」も、首肯するかのように首を上下に振った。
「大丈夫です、私は確信してますから。この衣装なら必ずやアデル様は気に入ります。心配は要りませんよ」
「失礼ですけれど、私には心配しか要らない格好のように見えるんですが……」
「大丈夫、大丈夫です」
私は安心させるように繰り返した。
「そこまで不安なら見ていてください。必ずやこの衣装でアデル様をゾッコン惚れさせてみせますから。待ってろよアデル様、常に塩対応のあなたを今にデレッデレにしてみせますからね……!」
「あの、奥様……もう一度確認しておきたいのですけれど、私は何度も奥様をお止めした、それを振り切って奥様はこの衣装を選ばれた……それでいいですよね?」
「それでいいです」
私が大きく頷くと、衣装係のおばさんは安心したように嘆息し、夕食の会場となっている広間のドアを開けた。
「旦那様、奥様が入られます」
「おお、グレイスが来たか。通してくれ」
アデル様の声に促され、私はしずしずと、広間の中に入った。
アデル様は今日も食卓に複数枚の書類を持ち込み、せわしなく仕事をしていた。
声をかけるかどうか迷ったが、敢えてここは無言がいいだろう。
私はひょこひょこと奇妙なステップを踏みながら広間の中に入った。
部屋の中に入った、その瞬間だった。
給仕のために忙しく部屋を行き交っていた若いメイドの一人が、私の姿を見るなり「ヒエッ」と悲鳴を上げ、手に持っていた食器を取り落として口元を覆った。
ガッシャーン! という音に驚き、顔を上げたアデル様が――私の姿を見るなり、仰天して椅子ごと後ろにひっくり返った。
ガッシャーン! という音が広間に連続したことで、私はこの衣装の成功を悟った。
服飾係のおばさんは直視が辛いとでも言うように私から目を背けた。
「んな、んなななな……!! ぐっ、グレイス、なんだよそれ!?」
テーブルに縋りながら、ようやく起き上がったアデル様が素っ頓狂な声を発した。
スイ、スイ……としなやかに手足を伸ばしながら、私は股間から屹立した白鳥の首の飾り物を優雅に振り回した。
今、私が着ている純白で可憐な装いの服は、パッと見はまさしくバレリーナの衣装である。
だが、現実のそれと大きく異なっているのは――フワッフワのスカートの股間の部分から逞しく突き出た、白鳥の首のハリボテの存在である。
去る大道芸人が残していったという遺宝――おそらくは男性だったのであろうその大道芸人氏は、この股間から雄々しく直立した白鳥の首のハリボテをこれでもかとばかりに誇示し、幾つもの大爆笑をかっさらったに違いない。
私は熟練の踊り子のようにつま先立ちをし、優雅に踊りながら涼やかに答えた。
「何って……白鳥の湖ですが」
「いや聞いても全然わかんないよ! 白鳥の湖ってなんだよ!! どういうこと!? なんだって急にそんな格好になったの!?」
「私がしたいからそうなったのです」
「どういう心境の変化!? っていうかその白鳥の首! 見た目が下ネタすぎるだろ!! 仮にも貴族令嬢がどういう意味の乱心なの!?」
「乱心も錯乱もいたしておりませんわ旦那様――今の私はただ優雅に舞い踊る一羽の白鳥なのです」
ひょこひょこ、と「バレエっぽい動き」をしながら、私は奮戦した。
ド貧乏貴族家である私の家はまかり間違ってもバレエなど習わせてもらうことなどできない家である。
バレエというより異教徒たちの踊りとしか言えないような私の奇妙な動きに、アデル様はますます慌てた。
「何度でも問い返したいんだけど、何!? どういうこと!? いきなりなんだってそんな格好し始めたの!?」
「なんで、って、アデル様の気を惹くためですけど」
私がそう答えると、はっ――? と、アデル様が息を呑んだ。
私は早くもネタが尽きかけてきた「バレエっぽい動き」を継続しながらこの状況を説明した。
「だって、アデル様はこうでもしないと私のことを見てくれませんからね。――ほら、現に今、今までは塩対応だった私のことを見てくれてるじゃないですか。全てはそのための奇行ですよ」
私が笑うと、アデル様がなんだかぽかんとした表情になった。
私はつま先立ちのまま、大きく優雅に腕を上下させながらアデル様に肉薄した。
「ほらほら、めちゃくちゃ目立つでしょ? 完全に白鳥と化した私が舞い踊ってますよ……優雅でしょ? 美しいでしょ? 目立つでしょ? これぞ正しくお飾りの妻ですよ」
まるで美しい花の周りに集う蝶のように……というよりは、ランプにたかる蛾のような動きでアデル様の周りを徘徊すると、さっき悲鳴を上げたメイドが思わずというように噴き出した。
「もっ、申し訳ございません……! でも今の奥様の格好、あまりにも……! うふ、うふふふふふ……あははははははっ!!」
もう耐えきれない、というようにメイドは口元を覆って爆笑し始めた。その勇気ある行動に触発されたように、部屋の中にいた複数人のメイドが私を見つめ、そして遠慮がちに笑い始める。
私が得意になって股間のハリボテを揺すると、遠慮がちな笑いは次々と爆笑に変わった。私の奇行を見つめて、さっきまでは私を諌めていたはずの服飾係のおばさんまで腹を抱えて笑っている。
私は満足だった。生来、人を笑顔にすることは大好きなのだ。
どんなにお腹が減っていても、どんなに隙間風が寒くても。
ただ笑顔でいるだけで、何となく何ものにも負けない元気が湧いてくるものだ。
だから人は笑わねばならない。どんな苦境にあっても、笑えば元気が湧いてくる。
それは逆境が常の私にとっては大事な人生の処世術なのである。
私はまるで鳥のように手を優雅に羽ばたかせ、つま先立ちのまま足を運び、この部屋の中で唯一笑っていない人物――アデル様に押し迫ると、はぁぁ、と全身がしぼみそうなため息を吐いてアデル様が額に手をやった。
「近いうちになにかしてくるんじゃないかとは思っていたが、そう来るか……君は本当に、私たちの想像の斜め上を超えてくるんだな……」
「にひひ、これからは無視しようとしたって無駄ですからね。無視しようとすればするほど、お飾るぜ?」
私はおしろいを塗りたくった顔で笑い、ほれ、とばかりに股間の白鳥をアデル様の顔面に突きつけた。
「お飾りの妻として無視しようとするならその分どんどん着飾って、どうやっても無視できないようにするまでです。貧乏人は逞しいんですよ?」
「はぁ、私は想像以上にとんでもない女性を妻に迎えてしまったらしいな……だが、そっちがそう来るなら私にも意地というものがあるぞ」
アデル様は顔前の白鳥の首を掴んで除けながら、渋い顔で私を見つめた。
「こっちだって爵位持ちの貴族だ。如何に着飾られたからと言って、それぐらいで絆されるぐらいヤワな男じゃないんだということを君に教えてやろう。――君にはこれからも絶対にお飾りの妻でいてもらう。いいな?」
「んふふ、強情ですね?」
「君に言われたくはない」
「よくぞ言ってくれました、それでこそ我が夫です」
私が白手袋を嵌めた手でアデル様の美しい顔に触れると、ぐっ、とアデル様は唸ったが、その手を払い除けるようなことはしなかった。この人は基本的に善人なのである。
「ならばこちらも存分に着飾り甲斐があるというもの。あなた様の望み通り、お飾ってお飾ってお飾りまくって――必ずやあなたをトロトロに絆しきって見せますからね。覚悟しておいてくださいよ?」
ニヤリ、と笑うと、アデル様が一層渋い顔になった。
ああ、この美貌の貴族が浮かべる渋面の、なんと美しく、そして端正なことか。
その事実に満足した私はアデル様から両手を離した。
「さて、優雅に舞ったらお腹が空いちゃいました。そろそろ夕食にしましょうか。あんまりメイドの皆さんを待たせるとお料理が冷めちゃいますから……」
そこで私が踵を返そうとした、その瞬間。
決して軽くはない私の全体重を支えていたつま先が悲鳴を上げ、両の足が同時に攣った。
ピキリ、という、脳天にまで突き抜ける痛みに、私は汚らしく悲鳴を上げた。
「ギャ――!!」
「ぐっ、グレイス――!?」
瞬間、私の世界がスローモーションになった。
足が攣り、ゆっくりと仰向けに倒れる私と、メイドたちの驚愕の顔。
そして素早く立ち上がり、私を両腕で受け止めたアデル様の美しい顔。
それらが脳内で処理される前に――どすん、という衝撃とともに、私はからくもアデル様の両腕の中に収まっていた。
「あ、あだだ……!!」
「グレイス、大丈夫か!? 怪我はないか!?」
「あ、いや……こ、これはつま先立ちしすぎてちょっと両足が同時に攣っちゃっただけで……」
「はぁ? ……なんだ、急に悲鳴を上げたからどこか怪我でもしたのかと……」
「あはは、すみませんアデル様、受け止めてくれてありがとうございます……」
私が苦笑とともにその顔を見上げた、その瞬間だった。
おしろいを塗りたくった私の顔があまりにもおかしかったのか。
それとも、お飾りとはいえ、一応は妻である女を受け止められたことに安堵したのか。
アデル様がプッと噴き出し、呆れたように笑い始めた。
「え――? あ、アデル様……?」
「あ、いや、すまない。くそ……とうとう君に笑わされてしまったよ。本当に、君という女性は見ていて飽きないな。……あぁ、なんだかたまらなく可笑しくなってきてしまった……こんなに笑ったのは何年ぶりだろうな……」
アデル様はどうにも可笑しいというように、顔をくしゃくしゃにして笑い続けた。
一方――ようやくこの塩対応の貴公子からひと笑いを取ったというのに、私は笑えなかった。
それどころか、意外にも笑うとえくぼができるアデル様の端正な顔を、なんだかぽーっとしたような気分で見つめることしか出来なかった。
えっ、なにこれ? なにこの気持ち。
私の心が、前代未聞の感覚に動揺した。
なんだろう、この気持ちは。
今まではドカドカと煩く肋骨を叩いていた心臓が、トゥンク、トゥンク……と、まるでティンパニのようなお洒落な音を立て始めている。
そして胸のあたりから生じた優しく甘い痺れが、トレンディな音を奏でる心臓によって胸から押し出され、血流に乗って全身をほのかに温めているかのようだった。
そう、それはまるで、一度も訪れたことがない、今後も訪れることはないだろう、南の島の温かな海に浮かんでいるかのような、物凄く心地よくて、反面、物凄くこそばゆい気持ち。
全身に感じるアデル様の体温と、アデル様から立ち上る、なんだかほんわかとしたいい匂いがそうさせたのかもしれない。
いずれにせよ、その時の私は今まで体験したことがないほど乙女ちっくな気持ちになり、今すぐこの白鳥の首のハリボテを掴んで投げ捨てたい羞恥心に狩られた。
そう言えば――昔、どろんこになって遊んだ地元の農家の少女たちが言っていた。
女には誰しもこういう瞬間が訪れるものなのだと。
今まで単なる遊び相手でしかなかった異性が、ある時を境に、急に見違えて見えるようになる瞬間があるのだと。
そう、農家の少女たちは、その気持をこう呼んでいた――恋、と。
それを思い出した瞬間、私の顔に全身の血液が集まり、私の顔はおしろいの白さを貫通して真っ赤っ赤になり、私の容態急変に気づいたアデル様が、不思議そうに私の顔を見下ろした。
「ん? どうしたグレイス、顔が真っ赤だぞ。熱でもあるのか?」
はい、あります。
多分、今の私の身体は42.5℃の微熱に浮かされています。
私は小刻みに震えながら、突如来襲した前代未聞の怪物の存在を、戸惑いつつも受け入れる他なかった。
私――グレイス・リンプライト男爵息女、19歳、乙女座。
齢19歳にして、ここにガチ恋を知る――。
◆◆◆
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